残響6 灰と露

 前哨基地は戦場となった朽ちた市街地の先に位置していた。瓦礫を寄せ集めた要塞と形容すべき外観で、四方に立つ角ばった監視塔の上には設置型の兵器の影がある。


「エリス、やっとだよ……!」


 リナが私に抱きつく。その言葉と行動に、彼女が安堵を感じているのが理解できる。同時に、私たちはそれがなければ相手の内面を知ることはできない。ふと考える。私はリナに何を考えていると思われているのだろう、と。


 他の傀儡乙女ソウルドールたちを見る。道中には足取り重く、顔が地面を向きがちだったものが、今では真っ直ぐと前哨基地へ顔を向けている。どのルミナイトも鈍色の空からの光を受けて輝いている。


 錆びついた金網と厚い鉄製の二重ゲートをくぐり、基地内に進入する。中は広い土の地面と、それを取り囲む多層構造の回廊からなっている。回廊は、中央広場側に面した通路に腰高の手すりがあり、その向こうに部屋が横一列に並んでいる。中央の広場では、巨大な黒い鉄の化け物が解体されているところで、あちこちから火花が上がっている。


「次の作戦までここで過ごす」


 前を行くミラは振り返らずに言う。喋りながら後ろ手ひとまとめにしていた長い黒髪を解くと、風を受けて広がる。硝煙のにおいが微かに届く。


「ここではお前たちの検査やメンテナンスが行われる。人間も多く駐在している」


 その言葉の通り、黒い鉄の化け物の解体作業場や回廊1階部分に並ぶ傀儡乙女の修繕所、そして、所々に休憩のためか固まってこちらに目を向けるのは人間だ。人間が私たちに向ける顔には様々な表情がある。どの表情の意味も私には理解できる。


 笑い合う声、重々しい会話を交わす深刻な表情、親しげに身体を寄せあう二人……人間の営みがここにはあった。


「おい、お前、こっち来い」


 傀儡乙女の一人が人間に声をかけられ、肩に手を回され、そばの薄暗い部屋の中に連れて行かれる。その様子を振り向きざまに見ていたミラが私の方に顔を向ける。


「私のそばを離れるな」






 私たちは検査室という空間に集められていた。壁際の棚には傀儡乙女のあらゆるパーツが並んで保管されており、私たちが作られたあの工場を思い起こさせる。他にも多種多様の機械や器具が揃っていた。


「全員、装備を取り、服を脱げ」


 検査官の人間が号令を発する。私は素早く指示に従ったが、何体かの傀儡乙女は戸惑っているようだった。


「なにをしている!」


 私のそばに立っていた人間が小さな声で言葉を交わしていた。


「人間としての記憶が表出したんだ」

「それで羞恥の感覚を取り戻したのか……?」

「戦場という極限状態で目覚めるんだよ」


 人間としての、記憶──。私が見ていた、あの夢は……。


「指示に従わなければ、処分するまでだが?」


 躊躇していた傀儡乙女たちは検査官の言葉に反応を見せ、素早く服を脱ぎ去った。戦場で目の当たりにした傀儡乙女たちの破壊の光景が彼女たちを突き動かしたのだろう。


 しかし、


「いや……、私たちは都合のいい道具なんかじゃない……!!」


 一体の傀儡乙女が大きな声を発して、足元に置いたスチールバーク銃に手を伸ばそうとした。一瞬でこの空間を充満させるような銃声が轟いた。傀儡乙女の頭に複数の穴が開いて、色褪せたルミナイトの瞳が眼窩よりこぼれ落ちた。そのセラプラスト製の身体が大きな音を立てて倒れる。


「いいか、お前たちは戦争の道具にすぎない。道具は道具らしく従順であるべきだ。そうは思わないか?」


 検査官の問いかけに、さきほど服を脱ぐことに躊躇いを示していた傀儡乙女が応じる。


「わ、私たちは……、人間だったのではないですか? 剣で貫かれた光景が、何度も私の頭の中を駆け巡るんです……! 私の魂は……──ッ!!」


 四発の弾丸が一度に発射され、彼女は物言わぬ傀儡と化した。そばに立っていたミラは、崩れ落ちる彼女に顔を向けることもしなかった。


「記憶など些末なことだ。お前たちの存在意義は戦場にのみある。それが全てだ。お前たちの眼は敵を認識し、その最後を見届けることにある。記憶や魂などという幻影に惑わされるな!」






 検査を終え、目立った破損のない傀儡乙女たちは武装を預けた上で調整室に移動させられた。ここは仕切り壁によって室内がいくつかのスペースに分けられている。リナと共にそこに向かうと一人の人間が私たちの姿を案ずるように見てきた。


「早く服を着て。そうしたら、ベンチに座って」


 調整室の棚には傀儡乙女の手足や球体関節といった、より細々としたパーツがしまい込まれている。それだけでなく、球体関節に塗り込むグリスや細かい傷を埋めるパテなどが瓶で並べられ、セラプラストの表面を磨く道具も揃い、工房のようでもある。


 木製の長いベンチに座るよう促され、私たちは静かに腰を下ろした。


「私たち、人間みたいだね」


 隣に座ったリナが小さく言うと、目の前にいた調整官が、ふふふ、と笑ってリナの頭に手を置いた。他のベンチでも、言葉を交わす傀儡乙女たちの声はどこか丸みを帯びているように聞こえる。


 調整官は一脚の長いベンチに腰掛ける傀儡乙女を一人で担当しているようだった。


「わたしはアイリスだよ。よろしくね」


「私はリナ。こっちはエリス。お互いに名前をつけたの」


 リナはアイリスに真っ直ぐに顔を向けて親しげに話している。私は何を言葉にすればいいのか分からずに、ただリナの横顔を見ていた。アイリスが歯を見せて笑う。


「それはよかった。……それに、無事でここまで来れたね」


 慈しむような目で私たちを見る。それに感化されたのか、リナは言う。


「怖かった……。あの黒い鉄の化け物が現れて、仲間の子が壊されちゃったの。私、何もできなかった……。それに、さっきも検査室で……」


 アイリスは悲しげに深く息を吐いた。この短い時間で、アイリスの表情はいくつも変化していた。工場や検査室で見た人間とは違うようだ。


「あの人はね、仕事熱心なんだけど、あんたたちには当たりがキツいのよ」


「私たちは道具だと言われた」


 自分でも驚いたが、アイリスにそう伝えることで私は何かを訴えようとしたのかもしれない。アイリスは私とリナの肩に手を置いた。人間は身体を寄せ合うものなのだ。だから、私もリナと……。


「基地にはあんたたちを欲望の捌け口にする男たちもいる。呼び止められてもついて行っちゃダメだよ」


 リナがゆっくりと私の手を握る。恐怖は戦場にだけあるわけではない……そのことを私も理解させられた。私たちが傀儡乙女である限り、私たちは道具であり、人間のようにしかなることができないのだ。


「アイリス」


 声がして、このスペースに別の人間が現れた。大柄でアイリスに比べると肌の色が濃い。アイリスは驚いた後、喜びを表現するかのような笑顔を見せた。


「カイ!」


 二人は抱き締め合う。


「まだ調整してるのか、こいつらを」


「これからよ」


 カイは私たちに一瞥し、アイリスの顎を自らの方に引き寄せた。


「まだダメ、カイ──っ……!!」


 カイがアイリスと唇を重ねる。途端にアイリスの瞳に光が揺らめいた。まるでリナの瞳に時折現れるあの炎のような揺らめきだった。


 カイはアイリスと唇を重ねながら彼女の太腿の間に手を差し入れる。すると、アイリスが私たちを気にしながらも声を漏らす。


「だ、ダメ……」


「あまり声を出すとまわりに聞こえるぞ」


 薄い仕切り壁の向こうからは、他の調整官や傀儡乙女たちの音や声がする。


「この子たちが……」


 アイリスが私たちを指さしながらも、カイの筋肉質な腕に表情を崩していく。


 リナは二人の様子から目が離せないようだ。ギシ、と音がして、彼女が私の手を握る力をより一層強めたのが分かった。


 口元に強く手を当てて押し殺したアイリスの声には、喜びを示す響きがあった。私もアイリスのように、人間のように、喜びを感じる時が来るのだろうか?


 気が付けば、私もリナの灰白色の手を強く握りしめていた。

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