1話 お人形さん

「……どうしよう。」


 異世界に来れたのは、いい。


 でも、そのあとがぜんぜんわかんない。


 お腹がすいた。

 すごく寒い。

 学校に行かなくていいのは助かるけど……衣食住が、何もない。


 あんまり好きじゃなかったはずの義家族が、急に恋しくなる。


「……そんなこと考えちゃダメ……!」


 思っちゃいけないことを考えてしまった。

 だから、ほっぺを叩いて、治すことにした。


 とにかく今は、たべものを探さないと。


 そう思って、きょろきょろ周りを見回していると――


「…えっと、大丈夫?」


「――!」


 声。

 びっくりして、体がちぢこまる。


 義父さんに怒られたときみたいに、心臓がばくばくとうるさくなる。

 頭の中がまっしろになって、どうしていいかわからない。


 だけど、勇気を出して、そっとうしろを見た。


 ――きれいな、白くて長い髪。

 ――宝石みたいに透き通った、赤い目。


 そこには、お人形みたいに綺麗な、同い年くらいの子が立っていた。


「―――ぁ」


 びっくりがまだ残っていて、ことばが出ない。

 おなかに力を入れて声を出そうとするけど、震えた息がもれでるだけだった。


「あっ……驚かせちゃってごめんね……?」


 気まずそうに、お人形みたいな子が目をそらす。


 そのしぐさが、少しだけ申し訳なく見えた。

 胸のおくでばくばくうるさかった心臓が、すこし静かになっていく。


「……ぇ、と。ごめんなさい。」


 なんとかことばを取り出せた。

 でも、お人形さんはよくわからなかったみたい。


 だって――こまった顔をしている。

 狐につままれたような、あっけにとられた顔。


「……何言ってるの、貴女は悪くないよ……?

むしろ、私が貴女を驚かせちゃったんだし……」


 あたりまえのことをくりかえすみたいに、彼女は言う。


 ――私には、よくわからなかった。


 だって、声をかけてくれたのに、シツレイな態度をとったのは、私だもん。

 なのに――


 嫌な顔をしてどこかに行ったり、

 怒鳴って頭を叩いたり、

 ランドセルを捨てたり──しない?


 ──そんなの、おかしい。


 私を見つめる目は、静かで。

 優しくて。

 だから──


 不気味だった。


「まずは自己紹介だね……

紅月レイ。 気軽に〝レイ〟でいいよ?」


 笑って、名前を教えてくれる。


 ……どうして?


 私は、悪いことをしたのに。

 どうしてそんなに優しく笑うの?

 どうして、私になまえを教えてくれるの?



 ―――ああ、そっか。


 この人は、知らないんだ。


 目の前にいるのが

 友だちを見捨てたヒトゴロシだって。


 知らないから、

 そうやって、優しくしてくれるんだ。


 ほんとのことを知ったら、どんなかおをするかな。


 まっかにして、怒るのかな。

 あおくなって、怖がるのかな。

 しろくなって、見捨てるのかな。


 ──ただただ、こわい。


「……お隣、座ってもいいかな?」


 お人形……レイは、少しだけ不安そうにそう言った。


 本当に、よくわからない人。


 私にことわる権利なんてないのに、どうしてわざわざ聞くの?


 よくわからないけど、地面に座らせるのは、なんだかダメな気がした。


 だから、「いいよ」とだけ言って、近くのベンチに座る。


 ちょうどそこは、街灯に照らされていて、

 他のベンチよりもすこしだけ明るかった。


「ありがとう。」


 レイは、ほっとしたように微笑んで、そっと私のとなりに腰を下ろす。


 ……お礼なんて、言われることしてないのに。


 ひんやりとした夜の空気が、うすい服のすきまから入り込んでくる。


 風のにおいも、どこか違う。

 少し甘くて、でも、鉄のようなにおいが混じっていて。


 神様って、本当にきまぐれだなあ、なんて思って。

 なんとなく、ぼんやりと空を見上げる。


 くらくて、ふかい闇。

 黒い何かがたれてきそうで、少しだけ怖かった。


「……貴女の名前、聞いてもいい?」


 レイは、きれいな目を向けて、そう聞いた。


 ──また。


 なんで許可をもとめるんだろう。

 許可なんて、いらないのに。


 私なんかの名前をきいたって、何にもいいことなんてないのに。


 ──なんて、言えるはずもないから。


 私は、名前をこたえることにした。


「……狐野きつねの明日香あすかです。」


 レイは、少しうれしそうな顔で「いい名前だね」って言った。


 どうして、そんなに優しく笑うんだろう。


 それに、大人の人たちがよく言うけど、「いい名前」って、どういう意味なんだろう?


 私が考えたものなんかじゃないし、別にめずらしい名前でもない。

 学校に〝あすか〟って名前のひとは、たくさんいたのに。


「じゃあ……明日香って呼んでいいかな……?」


 本日、三回目くらいの疑問形。


 レイのえんりょがちな態度を見ていると、胸のおくでつっかえる感じがする。


 わざわざ聞かなくたって、勝手にそう呼べばいいのに。


 なんとなく、気に入らない。


 少しいらいらしてくる。


 意味がわからない。


「……!」


 また、へんなことを考えてしまった。


 やっぱり私は、生きてちゃダメな存在だ。


 誰かに嫌な気持ちを向けちゃダメなのに――


 左右に頭を振って、イヤナキモチを吹き飛ばす。


「……うん、大丈夫……だよ。」


 目を合わせるのが、なんとなく怖くて。

 ぶらぶらと揺らした自分の足を見つめた。

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