痩躯の悪魔
──翌日
「どういうことだアル! ヨーコがまだ帰ってこねぇって! こっちから連絡しても返事がねぇし……、もう日を跨ぐぞ!? 日暮れ過ぎには帰ってくるはずだっただろ!?」
「お、怒んないでよノヒン
「俺はザザンとの停戦交渉が長引いてニャールに帰るとこだ! ツェンゲル盆地辺りにいる!」
ノヒンがザザンとの停戦交渉を終え、ツェンゲル盆地へと差し掛かった辺りでアルと念花を繋いだ。停戦交渉を終えた時点でヨーコにも念花を繋いだのだが応答はなく、嫌な胸騒ぎがノヒンを襲う。
「ランドは? ランドはどうしてんだ!? ランドにも頼んでヨーコを探させてくれ!」
「ランド兄の帰りは明日だよ……、ソールまでは二千キロくらいあるし、こっちに近付くまで連絡は取れない……」
「くそっ! どうすりゃ……、どうすりゃいいんだ!」
「そ、そうだノヒン兄! ツェンゲル盆地にいるんだよね!?」
「ああ!」
「お花の位置特定、ノヒン兄のお花を経由すれば分かるかも! やったことないけどやってみるね!」
アルの念花は一定の距離までならば、会話だけでなく位置情報を特定することも可能。会話だけであればおよそ八百キロメートル。位置特定はおよそ七百キロメートル。ニャールからツェンゲル盆地まではおよそ七百キロメートルであり、ノヒンの念花を経由することで、さらにその位置特定の距離を伸ばせるかもしれないとアルは考えているようだ。
「頼んだアル! もしグルタグで捕まってるってんなら俺が行って皆殺しだ! ぶっ殺してやるよ!」
「わ、分かった! 集中するから少し待ってて」
アルが位置特定に集中したことで、しばらくの静寂が訪れる。ノヒンは苛立ちから頭を掻きむしった。
「……んん……これ……は……、え? どういうこと……? な、なんで……?」
「どうしたアル!? ヨーコはどこだ!」
「……ルタイ平野の奥……、ザザン一家の……、拠点?」
「あぁ!? ザザン一家の拠点だぁ!? グルタグにいたヨーコがなんでザザンの……ちっ!」
言葉の途中でノヒンが何かに気付いたのか、大きな舌打ちをした。
「くそっ! 全部仕組まれてやがったのかよ!」
「え? どういうこと?」
「前に助けたグルタグの出の女だ! ザザンと繋がってやがったんだよ! あいつぁザザンに拉致される途中で逃げ出したって言ってたがよぉ! よくよく考えたらおかしいんだ! ザザンは一度自分のもんだって思ったら死んでも逃がさねぇ!」
「だ、だから運良く……って話じゃないの?」
「違ぇっ! そもそもザザンがガルムなんかに遅れをとるわきゃねぇ! しかもあっちにゃ雷馬が何頭かいる! 女の足でニャールまで逃げ切るなんておかしいんだ! ザザン一家が送り込んだ女だって考えりゃあ全てがしっくりくる! つまり元からザザンとグルタグは繋がってやがったんだ! くそっ! よりにもよってザザンだと! しかもさっきまで俺がいたじゃねぇか! くそっ! くそぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ! ぶっ殺してやる! 皆殺しだ! 全部! 全部全部全部全部……、皆殺しだ糞がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「お、落ち着いてノヒン兄! まだヨーコ
「黙れっ! もうたくさんだ! 俺が全部ぶっ殺してりゃあよかったんだ! 何がニャールだ! 何が幸せな家庭だ! この世界の糞どもを全員ぶっ殺してからの話だろぉが! 許さねぇ! 許さねぇぞ! ザザァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァンッ!」
「ノヒン兄……」
ノヒンの中で明確に何かが壊れた。もはやアルの言葉も届かない。心臓の位置、結晶化した魔石がドクンと脈動した。幼い頃、ゴルゲンに潰された左目も熱くなる感覚。
ノヒンの潰れた左目には縦縞の痣があった。
魔女の刻印。
呪われし業の烙印。
神話時代に行われた大戦の宿因。
キィンと耳鳴りのような感覚画ノヒンを襲い、遠く離れたザザンの敵意を感じた。
敵意を受け、ギチギチと体に力が漲る。
ノヒンの跨る雷馬が尋常ならざる殺気に当てられ、暴れ回って逃げ出した。ツェンゲル盆地からザザン一家のルタイ平野まではおよそ七百キロメートル。平均時速およそ二百キロメートル毎時の雷馬がいなければ、到底移動できない距離。
ノヒンの体からじわりと黒い霧、魔素が滲み出す。そうして次の瞬間──
全力で地面を蹴りつけた。
蹴りつけた地面が抉れ、大地が震える。雷馬よりも速く、音すらも置き去りに、まるで黒き流星の如き殺意がザザンの元へと向かう。
―――
──ルタイ平野西奥、ザザン一家拠点
「ザザァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァンッ!」
ズガンッ! とノヒンが大戦斧を振るい、岩を積み上げた拠点の防壁を粉砕。ザザン一家の拠点はぐるりと広大な範囲を岩の防壁で囲っている。ノヒンは先程までその防壁の外でザザン一家と停戦交渉をしていた。
「いやいや以外と早かったですねぇ? 特定まで何日もかかると思ったんですがぁ……、これはこの半魔の花の力ですかぁ? そちらに音が漏れないようにするのが大変でしたねぇ」
嗄れた耳障りな声とともに、細長い影が揺れる。長身痩躯の死神を思わせる男──
ザザンだ。
その姿は夜を照らす松明の炎に紅く染まり、手にはアルがヨーコに渡した念花を摘み上げるようにして持っている。まるで戦利品を見せびらかすように、それをひらひらと揺らしていた。ザザンが身に纏うのは、人間の皮膚と髪で
純然たる悪。
吐き気を覚えるほどの醜悪。
停戦交渉などせずに殺してさえいれば。
「……ぶっ殺す」
大戦斧を握るノヒンの手にギチギチと力がこもる。
「いいんですかぁ? あなたの大切な半魔はぁ……、こちらにいますよぉ?」
ザザンの手が、ヨーコの持っていた念花を弄ぶように揺らした。
「なぜこんなことになったのかもう分かってますよねぇ? とりあえず答え合わせのプレゼントでぇす」
ザザンのその言葉を合図に、ノヒンの前に女性の死体が投げ込まれた。衣服を纏わず、筆舌に尽くし難い拷問を受けた跡。顔は判別できるように傷付けられておらず、前にニャールで保護した女性だということが分かる。
やはりザザンとグルタグは繋がっていたのだ。女性の身に打ち込まれた釘の数が、ザザンの異常性を示していた。
「お察しの通りぃ……、グルタグと私達は通じていたんですよぉ? グルタグからニャールに取引を持ちかけたのも私の指示ですねぇ。その女は役に立ったのでたくさん愛してあげたんですよぉ。釘を打ち込みながらするのぉ、最高に気持ちいいんですぅ」
ノヒンが静かに一歩、ザザンに向けて足を踏み出す。反吐が出そうなほどの悪意を前に、ノヒンの怒りはとうに限界を超えていた。
「ああっ! 話は最後まで聞いて下さいねぇ? 私は話を遮られるのが嫌いでしてぇ……くくっ」
悪意に塗れた笑顔を浮かべ、ザザンが手下を手招きした。手下が持ってきたのは一脚の椅子。鈍く軋む音を立てて据えられたその椅子は、ひと目で悍ましいものだと分かる。
「素晴らしいデザインの椅子でしょう? これぇ……、なんだか分かりますぅ? ……骨ですよ骨ぇ。人骨で作った椅子なんですがぁ……、座り心地は悪くないですよぉ? くくっ……ああっ! そうだぁ! 淫売の半魔の話でしたねぇ? まったくいやらしい体をした女ですよぉ。大丈夫大丈夫ぅ、まだ生きてますからぁ……、ねぇ?」
ノヒンの脳は怒りで焼け切れそうだった。視界が赤黒く染まり、世界が震えたかのように揺れる。だがノヒンはそれを押し殺した。ヨーコが生きているのなら、下手に動くことはできない。食いしばった歯は削れ、握り締めた拳からは血が滴り落ちた。
「でもぉ……、あなたがいけないんですよぉ? 知ってますぅ? あなたは私の持ち物だってことぉ。ゴルゲンとそういう取引だったんですがねぇ? あの日から私はぁ……、あなたのお尻が恋しくて恋しくてぇ……、おかしくなってしまったんですよぉ! あぁっ! 早くあなたのお尻にねじ込みたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁいっ! ……くくっ……くくくくっ……、ああそれでですねぇ? あなたの大切な淫売を拉致して提案したんですぅ。『ノヒンを渡してくれるならぁ、あなたは無事に帰れますよぉ?』ってぇ。そうしたらあの淫売ぃ……、なんて言ったと思いますぅ? 『ノヒンは渡さない! あんたみたいな下衆には死んでも従わない! 私は私の道を自分で選ぶ! みんなでハッピーエンドを迎えるんだ!』ですよぉ? 頭がおかしいんですかねぇ? 自分の立場が分かってるんですかねぇ?」
ノヒンの歯が激しく軋み、バキバキという咬合音が響く。今すぐにでもザザンを引き裂きたい欲求が、心の奥底で猛獣のように牙を剥く。
だがザザンの口ぶりからは、ヨーコがいまだ生きていること、そうして自らと交換すれば助かる可能性があることを読み取ったノヒンは、その業火のごとき憤怒をどうにか封じ込める。
「まぁ……、長々と話しても仕方ないですよねぇ? とりあえずあの淫売を連れて来なさぁい」
ザザンが指を鳴らすと、小屋の中からヨーコが姿を現した。男二人に抱えられ、松明の炎に赤く照らされたその姿はあまりにも──
「嘘……だろ……? なん……だ……?」
ヨーコの手足はすでに千切られ、目は潰され、見るも無惨な姿となっていた。その全身は白濁とした液に塗れ、拷問されながら凌辱されたであろうことが容易に窺い知れる。
ノヒンの視界は一気に闇に閉ざされた。意識の深奥を揺らすかのような寒気が走り、呼吸もままならぬほどの衝撃が胸を締め上げる。
──ずしゃり。
ノヒンの足が一歩、前へ踏み出された。もはや何も考えることはできず、踏み出した足が痙攣したように震える。
「ああっ! 待って下さい待って下さぁい! まだ死んでませんよぉ? 知ってますよねぇ? 半魔は心臓にある魔石を砕かなければぁ、魔素を取り入れて傷は治りますぅ! 治るんですよぉ……くくっ」
ノヒンの足がぴたりと止まる。あまりにも凄惨なヨーコの姿に放心したノヒンは、普段なら忘れようもない知識、「半魔や魔女は魔石が無事であれば再生する」という事実を失念していた。ザザンの汚らしい嗄れ声が、今のノヒンには救いの響きを持って聞こえた。
「大事な人質を殺すわけないじゃないですかぁ! ねぇ? それでですねぇ、あなたに大切なお話があるんですよぉ! 聞きますぅ?」
「……話……し……?」
「そう! とぉっても大切なお話なのでよぉく聞いてくださぁい! まぁずぅはぁ! 降魔や魔獣ぅ! 降魔や魔獣は魔石もなくぅ! 殺せば普通に死にますぅ! 次に
ノヒンは戦場で幾度となく降魔や魔獣と刃を交えてきた。だからこそそんな基本は熟知している。だが心が弱り果てた今は、ザザンの声に縋るようにして聞き入っていた。
「そしてぇ……、ここからが重要ですよぉ! 呪われし魔女や半魔ぁ! これは魔石がありぃ! 魔石を砕かない限りは脳が指示を出して傷が再生するぅ! どうですぅ? 字名持ちとの説明の違いは分かりますかぁ?」
「……なん……だ……?」
「少しは自分で考えて下さいよぉ……壊れちゃいましたかぁ? まぁ仕方ないので説明してあげますよぉ。字名持ちはぁ……、
そう、字名持ちの降魔や魔獣は例え頭を潰しても再生するが、魔女や半魔は再生しない。魔女や半魔の場合、絶対条件として脳が無事であり、体と繋がっていなければならない。これは字持ちの降魔や魔獣が自我を失い、魔女や半魔に自我が残ることと関係している。
「ああっ! 動かないで動かないでぇ! 首を切り落としますよぉ? 今から大事な場面なのでねぇ! 最後にチャンスをあげようと思いましてぇ」
痩躯の悪魔が心底楽しげな笑みを浮かべながら、ゆっくりとヨーコへ歩み寄っていった。
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