ニャール村(二)
半魔であるヨーコも成長は早い。五年の月日とともに、ヨーコは幻術で見せた大人の姿へとなっていた。だがノヒンに比べれば少しゆっくりなようで、現在十七歳のヨーコの肉体年齢は二十歳程度だろうか。今やその美しく妖艶な姿は、ニャールの女神とも言うべき存在になっている。
「いふもおもふけどいひゃくにゃいの?」
ヨーコがノヒンの首筋にキスをしながら話す。おそらく「いつも思うけど痛くないの?」と言っているのだろうが、くすぐったかったのか、ノヒンがヨーコの額を押して離した。
「傷痕、なんで消えないんだろうねぇ」
「あれじゃねぇか? 傷は男の勲章ってぇだろ? 無意識で残そうとしてんだよ」
「まあ、傷だらけのノヒンもかっこいいけどねぇ」
ヨーコは囁くようにそう言いながら、何を思ったのかノヒンの首筋に噛みついた。実は隙あらば「自分が付けた傷を残したい」と、噛みつくのが癖になっていた。もちろん血が出る前に噛むのをやめているので、どこにも傷痕は残っていない。
消えない傷痕については実際ノヒンが言った通りだ。魔人は脳の記憶領域から損傷前の情報を引き出し、心臓にある魔石が魔素を消費することで再生する。その過程でノヒンの傷に対する想いが作用し、傷痕を残していた。
赤子の頃に潰された目に関しては、幼いが故に魔石が上手く作動せずに潰れたままとなったようだ。そのうえ脳の記憶領域には「目が潰れている」という情報しかなく、治ることはもうない。
「だからすぐ噛むなって言ってんだろ? 割と痛ぇんだぞ?」
「ぷは……、いいじゃんいいじゃん! 私にも傷痕残させてよ! それに昨日の夜は気持ちよさそうにしてたじゃん! 『ヨーコに付けられた傷ならいくらあってもいいな』って言ってたじゃん!」
「だからって普通あそこは噛まねぇだろ」
「気持ちよかったくせにぃー?」
二人が昨夜の情事について、これでもかというほど甘く絡み合って話す。
「ちっ! ちっちっ! 見せつけてくれますねぇ? 僕は空気ですか? 空気なんですかぁ? ああそうか! そういうプレイなんですね!? 爛れた性生活を見せつけて興奮する変態なんですね!?」
苛ついた様子のランドが、あからさまに悪態をついた。すっかりランドの存在を忘れていた二人。
「なんだぁランドォ? もしかしてまだヨーコのこと諦めてねぇのか?」
ランドは昔からヨーコに思いを寄せていた。素直ではない性格が災いし、ようやく想いを告げたのは二ヶ月前のこと。それも酒に酔い潰れ、泣きながらヨーコにしがみついての醜態だった。「なんでノヒンなんだぁ? 僕の方が長い付き合いじゃないかぁ! 口かぁ? ヨーコは口が悪い方が好きなのかぁ?」と、もはや意味不明の絡み方で。その後ランドはテーブルに突っ伏したまま眠り、ノヒンは改めてヨーコに聞いた。「なんで俺だったんだ?」と。
その問いに対してヨーコはゆっくりとした口調で過去を語ってくれた。
―――
──二ヶ月前、ノヒン自宅内
ノヒンが酔い潰れたランドに毛布をかけ、「なんで俺だったんだ?」とヨーコに問いかける。その問いかけを受けたヨーコが、過去を振り返るように遠くを見つめた。
「……ダガーを渡してくれた時あるじゃない? その時……、生まれて初めて『従うか逃げるか』以外の道を選ばせてくれたから……かな。まぁ……、『死ぬか殺すか』選べって乱暴な言葉だったけどね。私達……ランドやアルはね、シア・ツァーリのチャジラルって村で育ったの。川沿いの小さな村で、人口は百人くらいかな? そこで普通にね、普通に暮らしてたんだ。ランドとアルは隣の家の仲良し兄妹で、よく遊んだな……。その頃からランドは生意気で……、アルは大人しかった。それでね、ある日突然、魔素災害が起きたの。聞いた事あるでしょ? 原因不明の突然魔素が爆発するように発生する災害。それでね、気付いたら村人全員が降魔になってて……、ランドとアルは運良く半魔になってた。まぁその後大変だったから運悪く……かな? ……え? 私? 私は元から半魔だったんだ。チャジラルに逃げ延びた魔女の子供。魔女からは半魔か魔女が生まれるからね。チャジラルの人達は優しくて、お母さんと私の事を外に漏らさないで保護してくれてたんだ。お母さん? お母さんなら確か……、イルネルベリの密入国者に拉致されたって言ってたかなぁ? 名前はサマンサ……、だったかな? ごめんね、小さかったからよく覚えてないんだ。ああ! それでね、その後で降魔になった村人が襲ってきてね……。すごく怖かったなぁ。あぁ私死ぬんだぁって思った時に、アルの悲鳴が聞こえてね。気付いたらアルとランドを抱えて走ってた。そこからあてもなく三人で彷徨って……、結局シア・ツァーリの兵隊さんに見つかって……、そこからは檻の中で動物扱いの日々だったね。あ! でも大丈夫だよ? 三人とも性的な暴力は振るわれてないから! シア・ツァーリだと半魔は動物扱いみたいで、性交渉すると病気が伝染るんだって言われてる。それでランドがね、何回か兵隊さんを殺してやるって呟いてて……。私、止めたんだ。だって殺したりしたら殺されるでしょ? 相手は軍隊だよ? いくら半魔がなかなか死なないって言っても、軍隊相手は無理だよ。だから殺すんじゃなくて逃げようって。チャンスはあるはずって。それで従順なふりして……、裸で芸なんかもしちゃってさ。笑えるでしょ? それからしばらくして逃げ出すことには成功したんだ。でも別の町の近くでね、ランドがワーウルフの姿で狩りしてるところを見られて、すぐ捕まっちゃったの。そこからはまた動物扱いの日々。シア・ツァーリってね、どこもたくさんの兵隊さんがいて、やっぱり三人じゃ勝てないよねって。私の裸踊りね……、すごくみんな喜ぶんだ。必死だったよ? また従順なふりしてれば必ず逃げられるって。それでその町に吹雪から避難してきた聖王都の王族様が数日滞在したのね。グレイスって言ってたかな? そこで私達はそのグレイスって人の目に留まったの。それでたくさんお金を積んでね、ランバートル経由で私達を密輸するって話になって……、あとは分かるでしょ? だからね、そんな従うか逃げるかしかなかった私に、ノヒンの言葉が響いたんだ。おっきい斧持って、自分より倍近くもある大人達を殺して……、正直すごく怖かったよ? でもね、ちょっとかっこいいなぁって思ってる自分がいたの。そうしたらノヒンがね……死ぬか殺すか選べってダガーを渡してくれて……、あぁ、この人は私を動物としてじゃなくて、一人の人間として見てくれてるんだぁって。私も自分の人生、選んでいいんだなぁって……」
ヨーコの言葉を静かに聞き終えたノヒンは、ただそっとヨーコを抱きしめた。そうしてどちらからともなく唇を重ね、流す涙が二人の頬を濡らした。
その後タイミング悪く目を覚ましたランドと揉み合いになり……、といういつもの展開になったのが二ヶ月前──
―――
──現在
「ごめんねランド……。ランドの気持ちに気付いてあげられなくて。でもランドも大切な家族だよ。弟? みたいな?」
「分かってる。分かってるさ……。でも僕を選ばなかったことを後悔しないでくださいね!」
ランドが鋭い視線を二人に向けるが、その瞳は潤んでいた。
「……なんだかだせぇぞランド?」
「う、うるさいうるさい! アルー! 二人が僕をいじめるんだー!」
ランドがアルに慰めてもらおうと外に飛び出した。あの泥酔してヨーコに告白した日から、時折ランドはおかしくなる。こう見えてもランドはニャール村の女性陣に絶大な人気があり、傷心のランドを慰めようとする女性も多い。が、ランドが誰かと関係を持ったという話は今のところない。
アルはというと、ドライアドの植物を操る力を使って田畑を耕し、農作物を育てていた。その手で育てた作物は美味であり、栄養価が高い。ニャール村の健康面を支える陰の功労者である。容姿も五年の歳月を経て美しく成長し、身体の成熟具合はヨーコに迫るほどだ。アルに近付く男をランドが威嚇する光景は、ニャールの風物詩となっていた。
「そういやぁグルタグとの話は進んでんのか?」
「うん、かなり好感触だよ。明日グルタグまで野菜を持ってくんだー」
グルタグ。北方の大帝国シア・ツァーリの国境都市の名だ。
ニャールとルタイ平野の中間に位置するツェンゲル盆地から、さらに北へと進んだ先にある。少し前、行き倒れの女性をニャールで保護したのだが、その女性がグルタグの出身だったことでできた縁。聞けばザザン一家に拉致される途中、辱められている際にガルムの襲撃に遭い、運良く逃げ出せたということだ。
そういった縁もあって、今現在ニャールとグルタグで交易を始めようとしていた。ニャールからグルタグまではおよそ八百キロメートルだが、それほど移動に時間はかからない。なぜならニャールでは、
雷馬の平均時速はおよそ二百キロメートル毎時。走る際に魔素を使って空気抵抗を軽減して走るので、騎乗している人間も空気抵抗を受けずに移動することが可能。この雷馬はヨーコがいつの間にか手懐けていたものだ。ヨーコは天性の人たらしなのだが、それは時に魔獣に対しても発揮されていた。
「明日ぁ? 明日は俺がザザン一家との停戦交渉だしよぉ、ランドはソールに行って薬や貴重品の仕入れだ。別の日にできねぇのか?」
ツェンゲル盆地はザザン一家の縄張りであるルタイ平野からも近い。グルタグに行くにはツェンゲル盆地を通る以外に道はなく、ザザン一家と出くわす可能性がある。一応遠回りの道もあるが、その場合は五千メートル級の山を越えねばならず、現実的ではなかった。
「あれぇー? もしかして心配してくれてる? ノヒンはかわいいなぁーもう」
「茶化すなよ。ヨーコは戦いにゃぁ向いちゃいねぇ。幻術でなんとか出来んのも四、五人だろ?」
「大丈夫だよ! ノヒンもグルタグまで一緒に行ったことあるでしょ? 治安はいいし、心配し過ぎだって。グルタグとの取引をまとめたらニャールはもっと良くなるしね。それにアルの
念花とは、アルがドライアドの力で生み出した特殊な花。念花を持つ者同士、離れた位置での会話が可能となる。正確に距離を測ってはいないが、およそ八百キロメートルの範囲をカバーし、ニャールとグルタグでの会話は可能。ザザン一家の縄張りであるルタイ平野からグルタグまではおよそ六百キロメートルで、こちらも会話が可能。ただニャールからルタイ平野までは千四百キロメートルほどあるので、こちらは念花の範囲外。
「ああくそ……、なんで明日なんだよ。ちょっとでも違和感があったら連絡しろ! そんときゃあ俺がグルタグぶっ潰してやるからよ!」
「うわぁ……ノヒンなら都市一つくらい壊滅させそう……。でもありがとうね、ノヒン。大好きだよ」
ヨーコがそっとノヒンの頬に手を添え、唇を重ねる。そのまま二人は激しく唇を求め合いながら寝室へと向かった。
「ノヒン……、ニャールで幸せな家庭、作ろうね……?」
ベッドへと倒れ込んだヨーコが、熱のこもった視線をノヒンに向ける。その紅石英の如き薄桃色の瞳が水気を孕み、するすると衣服を脱いだ肌が紅く上気する。ノヒンはそんなヨーコに覆いかぶさり、優しく首筋にキスを落とした。
「……だけどよ、ヨーコ。俺らにはまだやることがある。避妊はするぞ」
「うん……。でも絶対だよ……? 私にノヒンの家族を作らせてね……? 私達の人生……ハッピーエンドにしようね?」
「あぁ。ハッピーエンドって言葉はむず痒いがよぉ、一緒に笑える世界、目指そうぜ……」
「ノヒン、愛してる」
ヨーコがノヒンの首筋に腕を絡ませ、優しく耳を噛みながら囁く。
「愛してるぜ、ヨーコ」
そう囁いたノヒンもまた、ヨーコの耳を優しく噛んだ。そうしてその無骨な腕でヨーコを抱きかかえ、お互いに対面して座るような形で抱きしめ合い──
深く、深く愛し合った。
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