第6話「館の記憶」

 「気が済むまで調べるといいさ。」


 ミラージュは銀の瞳を妖しく光らせながら、不敵に微笑んだ。


 「だけどね、お嬢様……」


 黒い影がゆっくりと霧散し、館の闇へと溶けていく。


 「知ったところで、君の運命は変わらないよ。」


 最後の囁きが耳元に残り、私は息を詰まらせた。


 ——気が済むまで調べるといい、か。


 茫然としたまま、その場に立ち尽くしていたが、ようやく我に返ると私は当主としての公務に戻った。


 ◇


 夜、自室に戻ると、今朝のネクロとレヴィの喧嘩の痕跡は跡形もなく片付けられていた。


 「……さすがは我が屋敷の使用人たちね。」


 私はため息をつきながらも、その手際の良さに感心していた。


 (今朝のあの混乱が嘘みたい……。)


 あの後、ギルバートに何があったのか問い詰められたが、倒れた執事自身も記憶がなかったらしく、結局真相を知るのは私とミラージュだけだった。


 ——とはいえ、説明したところで信じてもらえるはずがない。


 私は執事が**"乱心した"**ということで、納得してもらった。


 あんな事件があったのに、私は一晩ぐっすり眠れてしまったらしい。

 疲れすぎていたのだろうか……。


 ◇


 翌朝——


 私は、懲りずにまた薔薇の花束を持ってきたネクロと対峙していた。


 「……お嬢様。今日の薔薇も、美しいでしょう?」


 ネクロの紫色の瞳が、期待に満ちた光を宿している。


 昨日の今日でまた騒ぎになるのも嫌だ。


 「……もう、仕方ないわね。」


 私は渋々ながら花束だけを受け取り、早々にその場を後にした。


 (まったく、懲りないんだから……。)


 廊下を歩いていると——ふと、ある影が目に入る。


 レヴィだった。


 こっそりと、私の部屋の方向へ移動している。


 「……」


 私は、見なかったことにした。


 ◇


 館内を歩いていると、**昨日の"血だまり騒動"**が、館の静寂を悪い意味で賑やかにしていた。


 (……嫌な予感がする。)


 何気なく通りかかった廊下で、メイドたちのひそひそ話が耳に入ってしまう。


 「昨日のあれ、結局なんだったのかしら?」


 「お嬢様が執事に折檻したって噂があるけど……。」


 「えっ、それ本当なの?」


 「しかも、痴情のもつれだって——」


 「……は?」


 私は思わず足を止めた。


 痴情のもつれ? 折檻? は!?


 いやいや、そんなわけないでしょ!!


 「……あとでギルバートに注意するように言っておこう。」


 執事の乱心を隠すための"適当な噂"が広まっているのかもしれない。

 が、それにしたって内容がひどすぎる。


 私の精神が削られていく。


 ◇


 ——今日は特に忙しくもない。


 私は、昨日のミラージュの言葉を思い出しながら、決意した。


 (……忌々しい男の言うことなんか信じたくないけど。)


 (それでも、調べるだけ調べてやる。)


 私は館の資料室へ向かった。


 この館の歴史を、知るために——。


 文献を漁っていると、埃まみれの分厚い本の間から一枚の写真がひらりと落ちた。


 「……?」


 私は手に取り、古びた写真を覗き込む。


 そこには、初代当主のサーラ様が写っていた。


 厳格で高貴な雰囲気を纏った美しい男性。

 その気品溢れる立ち姿は、肖像画で何度も見たことがある。


 「……でも、隣の男は……?」


 写真の中で、サーラ様の隣に佇んでいる男性に、私は見覚えがあった。


 「ミラージュ!?」


 思わず、声に出してしまった。


 長い髪を後ろで三つ編みにまとめ、完璧に仕立てられた執事服を身に纏う男。


 その姿は——昨晩、私を血だまりの悪夢へと引きずり込んだ"あの男"と瓜二つだった。


 「でも……初代当主様ってもう300年以上前の人だよね……?」


 私は混乱する。


 しかも——写真に写っているということは、私以外にも"ミラージュ"が見えていたということ?


 ……いや、そもそもこの写真、他の人にはどう見えているんだろう?

 もしかして、私にしか"ミラージュの姿"は映っていないのでは……?


 思考がぐるぐると巡る中、私は手っ取り早く誰かに聞いてみることにした。


 ——が、その手間はあっさり省かれた。


 「おやおや、懐かしい写真だねぇ……」


 「ひっ……!」


 私のすぐ後ろから、甘く、耳を撫でるような声が降ってきた。


 私は驚いて振り返る。


 そこには——


 ミラージュが佇んでいた。


 いつから……!?


 「……いつからそこに……?」


 私の問いに、ミラージュはにこやかに微笑む。


 「昨晩からずっとだよ。」


 「……」


 私の頭が真っ白になった。


 つまり……こいつは……


 乙女の部屋に勝手に入り込んで、寝顔まで見ていたということ!?


 「っ……!!」


 屈辱と混乱に顔が熱くなる。


 そんな私の反応を面白がるように、ミラージュは軽く笑いながら口を開いた。


 「いやぁ、君の寝顔は本当に愛らしかったよ。」


 「……っ!!」


 「静かな寝息、微かに揺れるまつげ、ふわりとした髪が枕に広がる様……。

  それから、寝返りを打つたびに、無意識にシーツを引き寄せる仕草も可愛らしくてねぇ……」


 ——不快。


 まるで私の寝姿の全てをこの男の記憶に刻まれてしまったかのような喋り方。


 私は怒りと嫌悪で顔をしかめながら、乱暴に写真を突きつけた。


 「……この写真について説明しなさいよ!」


 「ふふ、そんなに怒らないでくれよ。」


 ミラージュは優雅に指先で写真を持ち上げ、ゆったりと眺める。


 「これは、私とサーラが一緒にいた頃のものだよ。」


 「……やっぱり、あんたなのね。」


 「そうとも。私は、初代当主と共にこの館を築き上げた者だからね。」


 「でも……どうして300年以上も前の写真にあんたが写ってるのよ!?」


 私が詰め寄ると、ミラージュは軽く肩をすくめ、まるで当たり前のことを言うように答えた。


 「……私は"妖精"だからさ。不老不死のね。」


 「……っ!」


 「時を超えて、この館と共に在る。それが私の役目であり、宿命でもあるのさ。」


 ミラージュは、懐かしそうに写真を指でなぞる。


 「サーラはね、とても素晴らしいお方だったよ。……とても美しく、賢く、魅力的な人間だった。」


 まるで、愛おしむような口調。


 私は、背筋に嫌な寒気が走るのを感じた。


 (この男……本当に初代当主を"愛していた"の……?)


 (それとも、"歪んだ執着"を抱いていたの……?)


 「……じゃあ、サーラ様もあなたのことを"見えていた"の?」


 ミラージュは、銀の瞳を細めた。


 「……さて、それはどうかな?」


 ——答えを濁された。


 私は、ますます不安になる。


 「でも、お嬢様。」


 ミラージュは、写真を私の手にそっと返す。


 「こうして私を知った以上……君も、彼と"同じ道"を辿ることになるんだろうねぇ。」


 「……どういう意味?」


 ミラージュは、くすくすと笑うだけだった。


 まるで、これから待ち受ける運命を知っているかのように——。


 「待ってよ! サーラ様は男性だし、あんたも男だよね!?」


 私は、聞いてはいけない質問をしているような気がした。

 けれど、口をついて出てしまった以上、もう引き返せない。


 ミラージュの顔が、一瞬曇る。


 「……ああ、それはね……」


 彼は銀色の瞳を細め、少し思案するように首を傾げた。


 「私は、偉大なる不老不死の妖精だからね。性別くらい簡単に変えられるのさ。」


 「……嘘……。」


 私は息を呑んだ。


 性別を、簡単に変えられる?


 そんなの、まるで——


 「ふふ……昨日の惨事を前にして、まだ私の力を疑うのかい?」


 ミラージュは、皮肉げな笑みを浮かべる。


 「まぁ、見せても減るもんじゃないからいいけど……」


 そう言うや否や、彼はわざわざ服に手をかけて脱ぎ始めた。


 「ちょっ!? 何してんのよ!? やめなさい!!!」


 「ん? 変身するなら、見たほうが分かりやすいでしょ?」


 私は全力でミラージュの手を掴み、服を脱ぐのを必死で制止した。


 「いらない!! 見せなくていいから!!!」


 「……そう?」


 ミラージュはクスクスと笑いながら手を止める。


 「まぁ、気が変わったら言ってくれたまえよ?」


 「言わない!!」


 私は彼から距離を取り、思い出したように問い詰める。


 「……あんた、執事たちが"呪い"でおかしくなるって言ってたけどさ、お父様が当主だった時は何もなかったじゃない!」


 そう。


 少なくとも私の記憶の限りでは、亡くなった父が当主だった頃、執事たちが狂ったような奇行をすることなんてなかった。


 ネクロが毎日薔薇を贈ってくることはあったけど、それはただの庭師の趣味の範疇だったはず……。


 ——なのに、私は当主になった途端、彼らの"愛"が明らかに歪み始めた。


 「おかしいじゃない……! なぜ今になって?」


 私は、ミラージュを睨みつける。


 すると、彼は気怠そうに肩をすくめながら言った。


 「あー……だって私、妻子持ちには興味ないし。」


 「…………は?」


 「まぁ、君の父君のことも愛してはいたよ?」


 ミラージュは、楽しげに写真を指先でくるくると回しながら言った。


 「でもねぇ、お父様の場合は"狂った"のは執事ではなく、メイドだったけどねぇ?」


 「……っ!!?」


 私は愕然とした。


 「どういう意味……?」


 「君も知っているだろう?」


 ミラージュは、口元に不敵な笑みを浮かべる。


 「君のお母様は、この館の元メイド……。」


 「……!」


 確かに、私は幼いころから何度も母に結婚前の苦労話を聞かされていた。


 身分の違いから、多くの反対を受けたこと。

 婚約したことで、館の一部の使用人たちが態度を変えたこと。

 使用人仲間だった者たちが、彼女を激しく妬んだこと。


 「……まさか……!?」


 私は、呆然とミラージュを見上げる。


 「お嬢様……君、そろそろ気づいたんじゃない?」


 彼は、私の恐怖と混乱を見透かしたように、じわりと金色の瞳を細める。


 「そう、私はねぇ……この館の使用人たちを使って、"当主"を囲っているんだよ。」


 ——ぞくりと、背筋に悪寒が走った。


 「なぜそんなことを……?」


 私は、震える声で尋ねる。


 「理由? そんなの決まっているじゃないか。」


 ミラージュは、優雅に微笑みながら私の顎を持ち上げる。


 「私は、この館と"主"を愛しているのさ。」


 「館と……"主"?」


 「うんうん、君のご先祖様も、君の父君も、みんな"私の愛する存在"だった。」


 「だからねぇ……私は"彼らが外に出ないように"、しっかり囲っておく必要があるんだよ。」


 「……っ!」


 私の思考が、次第に"理解"へと変わっていく。


 **"ミラージュの呪い"は、使用人たちに執着と狂気を植えつけるもの。**だが、それは"無作為に"ではない。


 "当主"が"独り身"であれば、執事たちが狂い、

 "当主"が結婚すれば、今度は"別の誰か"が狂う。


 つまり——


 私は、"囲われている"。


 この館の使用人たちは、私を外へ出さないために、"歪んだ愛"で縛り付ける。


 そして、それを仕組んでいるのが——


 この男、ミラージュだった。


 「……これが"館の呪い"だよ。

 まぁ、他にもいろいろ楽しめるような呪いを用意しているけどね。」


 彼は、ゆっくりと私の耳元に囁いた。


 「君はもう、ここから出られない。」


 私の全身が、ぞわりと鳥肌に覆われる。


 「……私は、そんなものに縛られない!!」


 私は必死に叫んだ。


 すると——


 ミラージュは、嬉しそうに微笑む。


 「ふふ、いいねぇ……"縛られたくない"って思う心こそ、愛の始まりさ。」


 「……!?」


 ミラージュは、私の耳元で、まるで子守唄を囁くように言った。


 「大丈夫だよ、お嬢様。」


 「君は、もう"愛されてしまった"のだから。」


 その言葉は、冷たく、けれど甘美な呪いのように私の心に絡みついた——。

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