第5話「見えざる支配者」

 「呪い?ばっかじゃない。」


 私は、あざ笑うように言い放った。


 「みんな、お父様やお母様がいきなりいなくなったから動揺してるだけよ! あのギルバートだって動揺しすぎて愛の告白じみた真似なんかしてさ!」


 自分でも分かる。

 これは、不安をかき消すために必死に毒づいているだけだ。


 だって……信じたくない。


 両親が亡くなり、執事たちが次々と狂気を滲ませていく。

 その上、今度は噂に聞いていた館の妖精なんていう存在まで見えるようになってしまった。


 もう私を振り回すのもいい加減にしてほしい。


 「……ふふふ、なるほどねぇ……」


 ミラージュは、どこか愉しげに私を眺めながら口元を吊り上げた。


 「お嬢様はずいぶんと薄情でリアリストなんだねぇ……」


 銀色の瞳が、まるで獲物を弄ぶ猫のように光る。


 「……だったら、もっと刺激が必要かな?」


 ——パチンッ。


 ミラージュが指を鳴らした。


 その瞬間——


 ギィ……。


 扉が静かに開く音がした。


 私は、一瞬凍りつく。


 扉の向こうから、見知らぬ執事が入ってきた。


 「……誰?」


 私は訝しげに眉をひそめる。


 だが、すぐにそれどころではなくなった。


 彼の手には、ナイフが握られていたのだから。


 「っ!!?」


 私は本能的に椅子を蹴るようにして立ち上がる。


 何、何なの!? この人……?


 館の使用人に見覚えはない。

 それなのに、燕尾服に身を包み、執事のように優雅に歩いてくる。


 だが、その目が異常だった。


 虚ろな瞳。


 焦点が合っていない。


 まるで夢の中にいるように、彼は私を見つめ、うっとりとした微笑みを浮かべた。


 「……お嬢様……」


 ——ぞわり。


 全身の血が凍るような寒気がした。


 何……この人……?


 私は思わず、ミラージュの方を振り返った。


 「さて、薄情なお嬢様には洗礼として"愛の素晴らしさ"を教えてあげよう」


 ミラージュの口元が、楽しげに歪む。


 「やめて!!」


 とっさに叫んだ——が、遅かった。


 見知らぬ執事の手に握られたナイフが、スッと彼自身の手首へと向かう。


 ——ザクッ!!


 「っ!!」


 薔薇のような鮮血が飛び散った。


 私の顔をかすめる鉄の匂い。


 「……っ!! やめて!!!」


 私は悲鳴を上げる。


 だけど、彼は笑っていた。


 「お嬢様……お嬢様……」


 うわごとのように呟きながら、流れた血をするる、と指で撫でる。


 「……うっ……う……」


 見ていられない。


 私は恐怖に震えながら、ミラージュを睨みつけた。


 「何考えてるのよ……!! なんでこんなことを……!!!」


 だが——


 ミラージュは、面白おかしそうに笑っているだけだった。


 「ふふ、どうしたの?」


 「何が"どうしたの"よ!? ふざけないで!!」


 「これはただの愛の形だよ?」


 「……は?」


 私は、自分の耳を疑った。


 「ほら、彼は"お嬢様のため"にこうしているんだ。」


 「……そんなのおかしい……!!」


 「おかしくなんてないよ? だって、執事たちは皆、そういう風に"創られた"んだから。」


 ミラージュの銀色の瞳が、じわりと妖しく光る。


 「お嬢様がこの館の主になった瞬間、彼らの"愛"は歪んだ。」


 「"愛"が深くなったから、こうしているだけさ。」


 「……っ!!」


 ミラージュは、紛れもなく"異常"だった。


 「どう? これで少しは実感できたかな?」


 「……っ、ふざけないで……!!」


 私は、頭が混乱していた。


 今朝のネクロの異常な執着。

 レヴィの殺気。

 ギルバートの歪んだ忠誠心。


 そして——この見知らぬ執事の狂気じみた自己犠牲。


 「……ああ、愛って、素晴らしいねぇ。」


 ミラージュは、血まみれの執事を見ながら、心の底から楽しそうに笑った。


 「さあ、お嬢様。これが"呪い"の始まりだよ。」


 私は、理解した。


 "館の主になった瞬間から、私は執事たちに愛される呪いにかかってしまった"のだと。


 ……そして、ミラージュはそれを知っていて、楽しんでいる。


 私は震えながら、血まみれの床を見つめた。


 「……こんなの、狂ってる……。」


 すると、ミラージュは、くすくすと笑いながら私の耳元で囁いた。


 「——ようこそ。"愛"の世界へ。」


「ギルバート!!」


 私は必死に叫んだ。


 血の匂いが鼻を刺し、目の前では見知らぬ執事が倒れている。

 私は恐怖に震えながら、ただ信頼できるはずの執事長の名を呼ぶことしかできなかった。


 バンッ!!


 扉が勢いよく開く。


 「お嬢様!?」


 ギルバートが駆け込んできた。


 青い瞳が、私を確認すると次に血まみれの床と倒れている執事を見て、彼の表情が驚愕に染まる。


 「……っ、何が……!?」


 混乱するのも無理はない。


 ここまでの通路は一つしかない。

 ギルバートは、廊下でずっと見張っていたはずだ。


 なのに、なぜこんな惨事が起こったのか?


 ギルバートは目を細め、倒れた執事を慎重に観察する。


 だが——彼もまた、分かっていない。


 いや、彼は"見えていない"のだ。


 「ギルバート! ミラージュがっ!! ミラージュがやったのよ!!」


 私は必死に黒衣の男を指さす。


 だが、ギルバートの表情は困惑に満ちたままだった。


 「……ミラージュ?」


 彼は眉をひそめながら、私の指の先を追う——だが、何もない空間を見ているだけだった。


 「……お嬢様、何を——」


 「あはははは!!」


 突然、耳をつんざくような高笑いが響いた。


 「当主にしか視えないと教わっただろう?」


 ミラージュの楽しげな声が響く。


 「……っ!」


 ギルバートは驚いたように辺りを見回す。


 「お嬢様、一体何を——誰と話しているのですか?」


 「ギルバート、信じて! そこにミラージュがいるの!」


 私は声を震わせながら、ミラージュの立つ場所を指差す。


 だが、ギルバートの瞳には、彼の姿は映っていない。


 ギルバートは、私の様子を不安そうに見つめながら、倒れた執事に視線を戻す。


 「……とにかく、お嬢様、ここはお下がりください。」


 ギルバートは私を気遣いながら、倒れた執事の手を取り、応援を呼びに廊下へと向かった。


 私は必死に「待って!」と言いかけたが、彼はすぐに部屋を出てしまう。


 ——そして、再びミラージュと二人きりになった。


 「さて……。」


 私が身を強張らせるのを見ながら、ミラージュはゆっくりと私へ近づいてくる。


 その歩みは音もなく、影のように滑らかだった。


 「……ふふ、お嬢様……かわいそうに。」


 ミラージュは、心底楽しそうに笑う。


 「誰も貴女の言葉を信じてくれない。」


 「貴女だけが、この館の"真実"を知ってしまった。」


 「それが"当主の呪い"なんだよ。」


 私は、恐怖に押し潰されそうになりながら、それでも睨みつける。


 「……何が、"呪い"よ……!」


 「貴女が館を受け継いだ瞬間、執事たちの"愛"が歪んだ。」


 「それを、"私"が引き出してあげてるんだ。」


 「……っ、私を振り回して楽しいの!?」


 「楽しいさ。」


 ミラージュの銀色の瞳が妖しく細められる。


 「貴女には、"愛"を受け入れてもらわなければならないからねぇ……?」


 「……なんの話よ……!」


 ミラージュは、私の頬に指先を伸ばし、スッと撫でた。


 「この館は"貴女のためにある"んだよ。」


 「だから、貴女は"愛される"運命にある。」


 「それは抗えない。"館の呪い"だからね。」


 「……私は、そんなもの望んでない……!」


 私は、反射的にミラージュの手を振り払う。


 だが——彼はそれを、愉快そうに見ていた。


 「望んでいない?」


 彼は、私の耳元に囁く。


 「じゃあ、試してみるかい?」


 「……試す?」


 「貴女が"愛されていない"のなら、執事たちは貴女を簡単に手放すはずだ。」


 「貴女が"この館を出ていく"と言ったら……彼らはどうすると思う?」


 私は、言葉を失った。


 ネクロ。

 レヴィ。

 ギルバート。


 彼らが——私を手放す?


 ……そんなの、簡単な話じゃないか。


 ——でも、本当に?


 もし、本当に"呪い"なんてものがあるのなら……?


 私は、自分の胸の内に広がる不安に気づかないふりをしながら、ミラージュを睨みつけた。


 「……私は、誰にも囚われたりしない!」


 ミラージュは、再び笑う。


 「ふふ、じゃあ試してごらん?」


 彼は、黒い霧のようにふわりと姿を消しかけながら、最後に囁いた。


 「貴女は……"もう愛されてしまった"のだから。」


 私は、震える手で拳を握りしめた。


 ——本当に、私はもうこの館と執事たちに"呪われて"いるのだろうか。

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