Depth35 血と弾丸

「諦めてんじゃねぇ!立ちやがれ坊主!そいつをぶっ殺すんだろうが!」


 そんな声と共に、巨大なサメは透明な銃弾によって目を撃ちぬかれ、その進路をずらす。間一髪のところで太陽は死ななかった。彼は声の方にその暗く淀んでしまった視線をやる。そこには草場が今までになく憤った表情を浮かべていた。草場はそのまま銃口をジョーへと向け、弾幕を張る。しかし、奴の姿はもうない。


「やっぱ何人かマーキング済みってわけか」草場はそうぼやきつつ、手早い動きで弾丸を確保用のVXガスへと入れ替え、ガスマスクを被った。「モード:ミスト」素早く辺りを見回すが奴の姿は見えない。最悪近づかれたとしても、自分の周りに毒ガスを纏うことで襲撃を防げる。また、多少一般人を巻き込んでも、殺すことはない。


「草場鉄男……眼鏡から話は聞いてるぜぇ?」


「そいつは光栄だな」


 草場は声がした方へ振り向きざま、コルトの口から霧状の攻撃を放った。だが、それが捉えたのは奴ではなく、ただの怯え切った若者だった。その若者は筋肉を痙攣させその場に倒れる。


「はっ!おいおい!そんなことしていいのか?今は警察なんだろぉが!」


「すぐに救助するさ。お前を殺した後にな」


 今度は多少離れており、ミストの射程圏外だった。彼は対ジョー戦のプランをいくつか考えてからこの場に臨んでいる。だが、ここまで人や心海魚が入り乱れる乱戦は想定していなかった。


(想定外ってのはこれだから嫌なんだ)


 内心で苛立ちを抑えつつ、新しいプランを練る。奴を視認した時点ですでに報告は済んでいた。先ほどのキングジョーへの攻撃で心息も少しは削れているだろう。時間を稼げばそれだけでも勝率は高まる。「ここは安全策だな」それは彼の得意とするところだった。


「あー、一般市民ども!早くこの場から離れやがれ!毒ガスを浴びたくなかったらな!」


 草場は周囲をまばらに囲う人に向けて大声を発した。「これじゃどっちがテロリストだかわかりゃしねえな」彼はガスマスクの奥でニヒルに笑みを浮かべる。先ほど倒れた若者を見ていたせいもあってか、人々は一斉に逃げ出した。「これで少しは戦いやすいな」そう息つく暇もなかった。獰猛な人喰いザメが高速で向かってくる。


「モード:ジェット」


 コルトの赤い瞳が大きなしぶきを表すマークへと切り替わる。コルトの口から発射されたその膨大な水量はその小さな体に見合わない。その生み出した水の束によって、草場の身体はキングジョーの動線から大きく逸れた。これは、緊急脱出と攻撃を同時に行うモードである。だが、液体をすべて消費するため、滅多なことでは使わなかった。弾の切り替えには時間もかかる上、その推進力で体は大きく投げ出されるからだ。


 噛みつきを避け、その毒ガス砲の粒子がキングジョーにも命中しその体は硬直する。だが、多少のダメージはあるようだが致命傷には至っていないらしい。やはりバディや心海魚に対しては、人類の英知などたかが知れているようだ。


 そんな投げ出された草場の背後から、ものすごい脚力で近づいてくる人影がある。鬼崎恭介……。彼は逃げ惑った一般人の1人に瞬間移動し、草場の背後を取っていた。


(なんちゅう脚力だ、クソッタレ)


 草場は内心で毒づきながら、ジョーの方向へと一直線に投げ出されていった。


 咄嗟に緊急回避で横に身を投げる。だが奴の刃は草場を捉えていた。腹部を斬りつけられて血が溢れる。マーキングもされた上に弾切れ……。その絶望を悟られてはならなかった。しかし、弾丸を補充する隙は与えてくれないだろう。


「これで詰みだなぁ?」

 

「お前さんが跳んできた瞬間、毒ガスを纏うさ。モード:ミスト」 

 

 ハッタリだった。キングジョーもすぐに動き始めるだろう。草場の能力もあらかた割れていると言っていい。接近戦では万が一にも勝ち目などないことは自明だった。誰か来てくれたらいいんだがな……そう、少しの諦めすら芽生える。


 鬼崎は間髪入れずに草場の背後に瞬間移動した。ブラフだとバレている。


(いや、一か八かってところか?もし俺の言うことが本当ならすぐに脱出、嘘ならそのまま終わりってことだ)


 だが、それも頭の片隅にはあった。彼はモードを切り替える。


「モード:ストレート」


 脇腹越しに放たれた一発の血の弾丸は、鬼崎の腹部を捉えていた。彼は自らの血をコルトに吸わせていたのである。しかし、同時に彼は後ろから大きく首を斬りつけられていた。


「ってぇなクソがッ!」


 鬼崎は苛立ちに任せて、その力の抜けた草場の身体を蹴飛ばした。それは皮肉にも太陽の眼前に投げ出される。太陽はまだ理解が追い付かなかった。口はただガタガタと震え、絞り出そうとする声も形を帯びず崩れていく。


「わり……いな……」


 草場の口からは血が溢れ、それに溺れたようにゴボゴボと音を立てている。その手は太陽に向かって差し出されていた。妹の姿がフラッシュバックする。彼の顔からはガスマスクがずれ落ちていて、その眼から光が抜けていくのが分かった。やっと太陽は口から言葉を捻りだす。


「……おい!あんた……死ぬ予定はないってっ……!」


「予定なんてのは……いつも、狂うもん、さ」

 

 彼の口からは血が零れ、呼吸もほとんどできていない様子だった。だが、彼は乾いた笑みを浮かべている。


「家族は……あんたの家族はどうすんだ!」


「あいつらは……俺なんかいなくても、大丈夫、だ……」


「死ぬなよ!俺を……1人にするなよぉっ!」


 太陽は感情を吐露していた。彼に父親か誰かを重ねていたのかもしれない。耳鳴りが響いて、視界はぼやけ、胸を強く締め付けられた。彼は両手で自分の胸を強く握る。歪む。何もかもが歪んで壊れていく。


「お前は……逃げろ……そんで、自分ら、しく……生きろ。おっさんからの、忠告……だ」


 そう言って彼は糸が切れたかのように動かなくなった。その瞳にはもう光はない。「おいっ!おい!ああ……うあああああぁあ!」太陽は叫んでいた。感情が抑えきれなかった。その光景をジョーはいやらしい笑顔で、まるで心底面白い見世物を見るように眺めていた。


 込み上げてくる複雑で濁った感情が、太陽を飲み込んだ。同時に、目の前が真っ暗に染まっていく。そのクジラは泣いていた。悲しい声で。誰にも聞こえないその声で。これまでにない禍々しいほどの黒い煙が、彼の周囲を覆いつくしていく……。


 直後に鬼崎は強烈な違和感に苛まれた。「俺様は……誰を見ていた?」咄嗟に緊急で瞬間移動をした。草場の横に誰がいたのか、思い出せない。その人物が何かをしたはずだが、何をされたのか、何をしていたのかすら判然としなかった。腹部からは大量の血が流れ出ている。一瞬冷静になった鬼崎はその痛みを感じ始めていた。何かマズイ。それだけが彼の脳裏にこびりついていた。


「あなたを、殺します」


 鬼崎は腹の傷から目を上げる。そこにはショートヘアのスーツの女、櫟原優音ひらはらゆうねが立っていた。 

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