トゥース・フェアリーからの贈り物

茅野 明空(かやの めあ)

第1話


 ぼくは最悪な気分だった。

 しゃっくりと涙が止まらない。体が自分のものじゃないみたいにかぁーって熱くなってる。

 ぼくは右手ににぎりしめていた歯の形のケースを見た。そしたら余計に涙が出てきた。


 さっき、ぼくは歯医者さんで歯を抜いてきた。

 ぼくの奥歯が、急に病気になったんだって。ほっぺがぱんぱんにふくれるくられちゃったんだ。

 お母さんに連れられて歯医者さんに行ったら、「子供の歯がひどい虫歯になっちゃったから、抜かないと治らない」って言われた。

 こわくてこわくて、大声で泣いていやだって暴れたけど、心のどっかではやらないとダメなんだってこともわかってた。

 だから、最後には頑張って抜いたよ。「注射」もした。チクってしたけど、思ってたほど痛くなかった。抜くのも、ポンッて感じであっという間に抜けた。

 抜いた子供の歯をケースに入れてもらった。もう今はぜんぜん痛くないのに、ぼくの涙は止まらなかった。



 ぼくが本当にこわかった理由は、痛いからとかじゃないんだ。

 この前、おじいちゃんが口から入れ歯を出すのを見ちゃったんだ。おじいちゃんは、入れ歯をコップの水にぽいっと入れて、自分の部屋に行っちゃった。

 その入れ歯をじっと見てたら、急にこわくなった。

 ぼくも、最近子供の歯がいっぱい抜けていくんだ。だから、ぼくもおじいちゃんみたいに入れ歯を入れなきゃいけなくなるのかな?

 お母さんたちは「そのうち大人の歯が生えてくるから大丈夫」って言うけどさ、そんなの本当かどうかわからないじゃないか。なんでわかるの? ぼくの大人の歯がちゃんと生えてくるかどうか、どうやったらわかるの? ぼく自身にはぜんぜんわからないのにさ。

 だからぼくは、歯を抜きたくなかったんだ。


 あーあ、ぼくもおじいちゃんみたいによぼよぼになっちゃうのかな。

 大人になんてなりたくないな。ずっと、子供のままでいいのにな。

 なんで、今のままじゃいけないんだろう。歯も生え変わったりしなければいいのに。子供の歯でだって、ごはんは食べられるのに。

 ぼくはその日、なんだか別れるのがさみしくて、子供の歯を入れたケースをまくらの横においたまま、ベッドに入った。歯の形のケースをながめながら、ウトウト、ウトウト……。




 いつの間にか眠ってたみたい。なんだかカタカタって音がした気がして、ぼくは目がさめた。そして、目の前にあったはずの歯のケースがなくなってることに気付いて、あわてて起き上がった。

 落としちゃったのかなと思って、ベッドの下をのぞきこんで、ぼくはあっとおどろいた。

 だってだって、床に落ちていた歯のケースがぱかって開いて、中から白いまるっとしたものがヨチヨチ出てきたんだもの!

 白いつるつるのあたまに、ちっちゃいあしが二本生えてる。あれって……もしかして、ぼくの子供の歯?

 そいつはケースから出ると、くるっとこっちを見上げてきた。ぼくはまたおどろいた。目と口がある! その目が大きくなったと思うと、そいつはぴょんっと飛び上がって、一目散に逃げ出しちゃった。


「ちょ、ちょっと待ってよ! ぼくの歯!」


 あわててベッドから飛び降りて、ぼくはぼくの歯を追いかけた。

 歯は足がちっちゃいのに、めちゃくちゃ早い。ぴゅーっと部屋の壁に向かってかけていく。それを追いかけながら、ぼくは「あれ?」と首をかしげた。

 あれれ? おかしいな。ぼくのベッドから壁まで三歩で着くはずなのに、ぜんぜん着かない。壁がどんどん遠くなっている気がする。それに、まわりのものがどんどんおっきくなっていって……


 うわぁ! ぼく、ちっちゃくなっちゃってる!


 気が付くと、ぼくは巨人の部屋にいる小人みたいになってた。ベッドが富士山みたいにおっきい。ぼくのおしりにちょうどのサイズだったはずの椅子は、お城みたいだ。天井なんて、ずっとずっと上の方で空みたいに広がっている。


 あ、でも今はそれどころじゃない。ぼくの歯!


 ぼくは歯の後をあわてて追いかけた。待って! 待ってよ! ぼくを置いていかないで!

 壁の下の方に空いている小さな穴に、歯は飛び込んでいっちゃった。こんなところに穴が開いてたなんてぜんぜん気が付かなかったや。

 穴のなかはまっくらで、お化け屋敷みたいだ。ぼくはちょっとためらったけど、思い切ってえいやっと穴に飛び込んだ。


 うわぁー! なんだか滑り台みたいになってる!


 どんどんぼくは滑って落ちていく。くるくるくるくる。まるでウォータースライダーを滑ってる気分だ! ちょっと楽しくなってきて、思わずぼくは叫んじゃった。

 突然、目の前が明るくなってきた。出口が見えてきたみたい。

 すぽんっと勢いよく滑り台から放り出されて、ぼくは明るい光の中に飛び込んだ。

 なんだか、トランポリンのような、やわらかい地面がぼくのおしりを受け止めた。よかった、ぜんぜん痛くないや。

 まわりを見回して、ぼくはわぁー!とまた叫んじゃった。


 だって、すごいすごい! お菓子の王国だ!


 水色の空には綿菓子でできたピンクの雲がぷかぷかしてて、川みたいに流れているのはどろどろに溶けたチョコレートだ! 木みたいに生えているのは、カラフルなぺろぺろキャンディー。草みたいに生えてるのは緑色の砂糖がまぶされたグミだし、僕が着地したのは、プリンでできた山だったみたい。

 そして、そこらじゅういっぱいに、ぼくの歯と同じような白いまるまるとした動く歯たちが、キューキュー鳴きながら遊びまわってるんだ!(歯って鳴くんだね⁉)

 みんな、目と口があって、白いちっちゃい足もある。好き勝手に飛んだり跳ねたり、すごく楽しそうだ。大きさや形はちょっと違ってるけど、これじゃぁぼくの歯を見つけるのはなかなか大変そう。

 あんまりびっくりな光景にぼくがぼんやりとしてると、こっちに近づいてくる歯がいた。


「あ! ぼくの歯!」


 ぼくはすぐに気付いて叫んだ。なんでわかったかって? その歯には、ほかの子たちと違って、左側の頭に黒い穴が空いてたからさ! ぼくが作っちゃった虫歯の穴。そのせいで抜くことになっちゃったんだもんね。

 ぼくの歯は、ぼくに近づいてくると、にっこり笑ってぴょんぴょん飛び跳ねた。

 これ、遊ぼうってことかな?


「いいよ! 一緒に遊ぼう!」


 ぼくは笑って、歯といっしょにお菓子の国に走り出した。

 プリンの山を飛び降りて、ショートケーキの丘を走る。雪みたいに生クリームが広がってて、ぼくたちは自分たちの足跡が後ろに続いてるのを見て笑い合った。

 ドーナツでできてるくるくる回る遊具に乗って遊んだ。ポップコーンがはじける原っぱの中を飛び回った。ビスケットでできた塔に登って、綿菓子の雲をちぎって食べた。

 チョコレートの川にかかってる、マシュマロの飛び石を飛ぼうとしたとき、ぼくは途中でこわくなって立ち止まってしまった。これ、落ちたらどうなるんだろう?

 向こう岸に渡ったぼくの歯が、勇気づけるようにぴょんぴょん飛び跳ねている。

 そうだ、足元ばっかり見てるからこわくなるんだ。

 ぼくは、向こう岸のぼくの歯に目を向けて、前だけ見て足をおおきく踏み出した。


 いち、にの、さん!


 ぴょん、ぴょん、ぴょんっと、ぼくは残りの飛び石を飛び越え、向こう岸に着地した。


「やったー! できたできた!」


 ぼくの歯と一緒に、喜んで飛び跳ねる。なんだ、やってみればなんてことないや。

 その時だった。突然、お菓子の国中に、女の人のキレイな声が響き渡った。


「みんなー! 私の子供たち! 集まってちょうだいー!」




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