第3章:秘められた才能

## パート1:語り始めた導き手

それから一週間が経った。


毎晩、俺は部屋で密かに「虚無の律動」の制御を練習していた。最初は小さな光球を作るだけだったが、次第に形を変えたり、動きをコントロールしたりできるようになってきた。


だが、日中の学園生活は相変わらずだ。「魔力ゼロ」の烙印は変わらず、侮辱や嘲笑は続いている。特にマルコス教授の授業は地獄のようだった。


「灰崎、この問題を解きなさい」


今日も例によって、俺を標的にしたマルコス教授の声が教室に響く。


「はい」


俺は立ち上がり、黒板に向かった。魔法理論の複雑な問題が書かれている。幸い、理論に関しては自信があった。図書館での勉強の成果だ。


俺は問題を解き、答えを書き終えた。


「正解です」マルコス教授は少し驚いたように言った。「おや、理論の理解だけは深いようですね。」


クラスメイトたちから小さな笑い声が聞こえる。いつものことだ。


席に戻りながら、ふと窓の外に目をやると、一羽の鴉が枝に止まって、こちらを見ているのに気づいた。普通の鴉と違い、その目には知性が宿っているようだった。


授業後、トムと昼食を取るために中庭に向かった。


「お前、最近なんか変わったな」トムが言った。


「そうか?普通だと思うけど」


「いや、なんていうか…自信が出てきた感じがする」


確かに、力を少しずつコントロールできるようになって、精神的にも変化があった。もはや「魔力ゼロ」という烙印に完全に支配されることはない。


「気のせいだよ」


「そうかな…」トムは疑わしげだったが、それ以上は追求しなかった。


昼食後、俺は一人で校舎の裏に行った。そこは人目につきにくい場所で、少しの間なら力の練習ができると思ったからだ。


「誰もいないな…」


周囲を確認し、左手を上げる。内なる虚無に意識を向け、ゆっくりと力を呼び起こす。指先から漆黒の光が漏れ出し、小さな球となった。


「よし、もう少し大きく…」


集中して光球を成長させていく。拳ほどの大きさになったところで、形を変えてみることにした。光球が細長く伸び、蛇のような形になる。


「次は…」


集中力が途切れたのは、背後から聞こえた物音のせいだった。俺は慌てて光を消し、振り返った。


そこには誰もいなかった。だが、近くの木の枝に先ほどの鴉が止まっているのが見えた。鴉は俺をじっと見つめていた。


「見られたのか…?」


安堵と警戒が入り混じる。動物に見られただけなら問題ないが、なぜか違和感があった。


放課後、俺はいつものように図書館へ向かった。ルーク館長は俺を見ると、微笑んで禁書区画への鍵を渡してくれた。


「調子はどうだい?」


「少しずつですが、コントロールできるようになってきました」


「焦らずにな」館長は優しく言った。「その力は、使い手の心と共に成長するものだ」


禁書区画で『虚無律動論』を読み進めていると、次第に眠気が襲ってきた。ここ数日、夜遅くまで練習していたせいだろう。俺は本を閉じ、少し目を休めることにした。


目を閉じると、不思議な感覚に包まれた。まるで意識が体から離れ、どこか別の場所へ引き寄せられるような…


「目覚めたか、若き律動使いよ」


低く、しかし温かみのある声が聞こえた。俺は目を開けたが、そこはもはや図書館ではなかった。


無限に広がる漆黒の空間。だが、恐怖は感じない。むしろ懐かしさのようなものを覚える場所だった。


俺の前には、黒猫のノアが座っていた。だが、その姿は普段より少し大きく、金色の瞳はより一層輝いていた。


「ノア…?」


「そう呼んでくれて嬉しい」猫が口を開いた。人間の言葉で話している。「私はずっとお前を待っていたのだ、灰崎零」


「待っていた…?」俺は混乱していた。「お前は本当に導き手なのか?」


「そうだ」ノアは頷いた。「私は虚無の律動に選ばれし者の導き手。お前の力が目覚めるのを、長い間待っていた」


「でも、どうして俺が?」


「それは運命だ」ノアの声は深く響いた。「千年に一人と言われる虚無の律動の使い手。お前の魂はその資質を持って生まれてきた」


「魔力ゼロと判定されたのも…?」


「通常の魔力測定では、虚無の律動は検出できない」ノアは説明した。「むしろ、通常の魔力がゼロだからこそ、虚無の器となり得るのだ」


俺は自分の手を見つめた。これまでの絶望が、実は特別な運命の始まりだったとは。


「ノア、俺はこの力で何をすべきなのか?」


猫の金色の瞳が深く俺を見つめた。「それはお前自身が見つけるものだ。力は道具に過ぎない。それをどう使うかは、持ち主次第」


「でも、禁忌の力だという…」


「確かに危険な力だ」ノアは認めた。「虚無は全てを飲み込む。制御を誤れば、使い手自身も飲み込まれる」


「どうすれば完全に制御できる?」


「時間と修練だ」ノアは立ち上がった。「そして、心の平静を保つこと。感情の嵐は虚無を暴走させる」


俺は頷いた。確かに、森での魔獣との遭遇時は、強い恐怖と危機感があった。


「そして警告がある」ノアの声が厳かになった。「お前の力に気づいた者がいる。彼女は氷のように冷たく、そして炎のように熱い魂を持つ」


「エリザベート…」俺は直感的に名前を口にした。


「そう」ノアは頷いた。「彼女は森であの出来事を目撃した。そして今、お前を観察している」


「敵なのか?」


「それは…まだわからない」ノアは慎重に言った。「彼女の中にも、秘められた思いがある。だが警戒は必要だ」


俺は考え込んだ。エリザベートが俺の力を知っているなら、なぜまだ誰にも話していないのだろう?


「もう一つ」ノアが続けた。「お前を見守る者がいる。知恵の目を持つ老人だ」


「ルーク館長のことか」


「彼は信頼できる」ノアは頷いた。「かつて、彼も特別な力の使い手と深い絆を持っていた」


「ノア、これからどうすればいい?」


「まずは力の制御を続けること」猫は答えた。「そして、真の友を見極めること。全てを信じず、全てを疑わず」


空間が揺れ始め、ノアの姿がぼやけてきた。


「時間が来たようだ」ノアは言った。「これからは意識的に話すことができる。だが、他者の前では普通の猫として振る舞う」


「待って、まだ聞きたいことが…」


「心配するな」ノアの声が遠のいていく。「お前は一人ではない。私がいる。そして…」


最後の言葉が聞こえないまま、俺は現実世界へと引き戻された。


図書館の椅子で目を覚ました俺は、汗ばんだ額を拭った。夢だったのか?いや、あれは確かに現実だった。


「零くん、大丈夫か?」


ルーク館長が心配そうに声をかけてきた。


「はい…少し眠ってしまって」


「無理はするなよ」彼は優しく言った。「力の修得は長い道のりだ」


俺は頷いた。そして、ふと窓の外を見ると、先ほどの鴉が見えた気がした。だが、すぐに飛び去ってしまった。


「帰りましょう」館長が言った。「明日も新たな日が始まる」


俺は本を元の場所に戻し、図書館を後にした。心の中では、ノアとの会話が反響していた。


「俺は一人じゃない…」


その言葉が、どこか心強く感じられた。

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