## パート5:闇の中の光

寮の部屋に戻ると、ノアが窓辺で俺を待っていた。金色の瞳が月明かりに照らされ、幻想的に輝いている。


「ただいま、ノア」


ノアは小さく鳴いて出迎えてくれた。俺はベッドに腰掛け、今日学んだことを整理する。


「ノア、お前は本当に導き手なのか?」


猫は何も答えず、ただ俺の膝に飛び乗って丸くなった。


「そうか、まだ話せないんだな」


図書館で読んだ本によれば、導き手は使い手との絆が深まってから初めて言葉を交わすという。それまでは忍耐が必要だ。


窓から差し込む月明かりが、部屋に銀色の光を投げかけている。俺は左手を月に向けて掲げた。


「虚無の律動…」


その言葉を口にした瞬間、指先がわずかに震えた。そして、かすかに黒い光が指先から漏れ出した。


「!」


驚いて手を下ろす。光はすぐに消えたが、確かに見えた。これは偶然ではない。


「制御できるようになるのか…」


本には、瞑想を通じて内なる虚無と対話する方法が書かれていた。俺は深呼吸して、床に正座した。


「心を静め、内側に目を向ける…」


俺は目を閉じ、呼吸に集中した。意識を内側へ、さらに内側へと向けていく。


最初は何も感じなかったが、次第に胸の奥に何かを感じ始めた。暗く、深く、しかし不思議と温かい感覚。それは虚無でありながら、同時に全てを内包しているような矛盾した存在だった。


「これが…俺の中の虚無…」


その感覚に意識を向けていると、左手が自然に上がり、掌を月に向けた。


指先から、再び黒い光が漏れ出した。今度はもう少し大きく、安定している。光は漆黒でありながら、同時に全ての色を内包しているかのような不思議な輝きを放っていた。


「すごい…」


俺は息を呑んだ。これが自分の力なのか。「魔力ゼロ」と判定された自分の中に、こんな力が眠っていたなんて。


光は数秒間輝き、そして徐々に消えていった。体に軽い疲労感を覚えたが、森での出来事の時のような激しい消耗はなかった。少しずつコントロールできるようになっているのかもしれない。


「これが俺の力…」


ノアが俺の膝から立ち上がり、金色の瞳で俺を見つめていた。その目には承認の色があるように思えた。


「お前も見ていたのか」


ノアは小さく鳴いて頷いたように見えた。


俺は再び試してみることにした。今度は意識的に力を呼び起こす。内なる虚無に意識を向け、その感覚を掌に集中させる。


指先から黒い光が再び現れた。前回よりも小さいが、より安定している。光は球状に凝縮され、俺の掌の上で静かに浮かんでいた。


「制御できる…」


俺は恐る恐る光球を動かしてみた。意識の向くままに、光球は左右に、そして上下に移動する。まるで俺の思考に従うかのようだ。


ノアが興味深そうに光球を見つめている。俺は光球をノアの方へとゆっくり動かした。ノアは恐れる様子もなく、前足で光球に触れようとした。


その瞬間、光球が一瞬強く輝き、そして消えた。同時に、部屋の中の影がわずかに動いたような気がした。


「なんだ…?」


俺は立ち上がり、部屋を見回した。何も変わったところはない。気のせいだったのかもしれない。


「今日はこれくらいにしておこう」


力の使用は、やはり体力を消耗する。無理は禁物だ。俺はベッドに横になり、天井を見つめた。


これまでの人生で、「魔力ゼロ」という烙印に苦しめられてきた。家族からの失望、クラスメイトからの嘲笑、教師からの冷遇。全てが俺を押しつぶそうとしていた。


だが今、新たな可能性が開けつつある。この力を制御できるようになれば、全てが変わるかもしれない。


「でも、まだ誰にも言うべきじゃないな」


力の存在を公にすれば、様々な問題が生じるだろう。教師たちの疑惑、クラスメイトたちの嫉妬、そして何より、禁忌の力を持つ者への恐れと警戒。


今はまだ、この秘密を守るべきだ。力を完全に理解し、制御できるようになるまでは。


ノアが俺の胸の上に飛び乗り、丸くなった。その温かさが心地よい。


「ありがとう、ノア」


俺は猫の頭を優しく撫でた。もう一人ぼっちではない。この小さな存在が、俺の新たな旅路の伴侶となってくれるのだ。


窓の外では、満月が雲間から姿を現し、学園全体を銀色の光で包み込んでいた。そして、その月明かりの中、一人の少女が特別寮の窓から俺の部屋を見つめていた。


銀白の長髪が月光に照らされ、氷青色の瞳が闇の中で光っている。エリザベート・クリスタルは、俺の部屋の窓から漏れ出た一瞬の黒い光を見逃さなかった。


「やはり…」彼女の唇から小さな言葉が漏れた。


彼女の表情には、高慢さや冷酷さではなく、複雑な感情が浮かんでいた。興味、警戒、そして…何か別のもの。


エリザベートは静かに窓を閉め、部屋の奥へと姿を消した。


翌朝、俺は珍しく爽やかな目覚めを迎えた。昨夜の成功体験が、新たな自信を与えてくれたようだ。


「おはよう、ノア」


窓辺で朝日を浴びているノアが、小さく鳴いて応えた。


制服に着替え、鏡の前で自分の顔を見つめる。見た目は何も変わっていない。だが、内側では確実に変化が始まっている。


「今日も頑張ろう」


俺はノアに「部屋で待っていろ」と言い残して教室へ向かった。今日もまた、「魔力ゼロ」の落第生として侮辱や嘲笑に耐える日々が続く。


だが、その目に宿る光は、少しずつ変わり始めていた。

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