## パート5:予期せぬ危機と力の兆し
翌朝、俺とトムは学園への道を歩いていた。
クリスタリア学園は王都アストラリアの北東、「魔法の森」と呼ばれる地域に位置している。学生寮から学園までは、この森の中の小道を通って15分ほど歩く。
「昨日の夜、また遅くまで勉強してたのか?」トムが言った。
「ああ、古代魔法の本を読んでた」
「お前、本当に勉強熱心だよな。俺なんか実技以外はサボりがちだけど」
「魔法が使えない分、理論だけでも極めようと思ってさ」
トムは肩をすくめた。「まあ、お前の好きにすればいいさ。でも、たまには息抜きも必要だぜ」
彼のこういうところが好きだ。トムは単純そうに見えて、実は繊細な気遣いができる奴なんだ。
「ありがとう」
「それより、今日の実技テストどうすんだ?マルコスのやつ、お前にも受けさせるって言ってたよな」
「いつも見学でいいって言われてるけど…まあ、見てるだけさ」
実技テストは落第組にとって最大の屈辱の時間だ。魔法が使えない俺は、基本的に見学を命じられる。他の学生が次々と魔法を披露する中、ただ立って見ているだけ。
「ちっ、あいつらまた来るぞ」
トムの言葉に顔を上げると、前方から学生の一団が歩いてくるのが見えた。エリートクラスの連中だ。幸い、クリスタルローズのメンバーはいない。彼女たちは特別寮から別のルートで登校するからだ。
「無視しよう」
俺たちは道の端に寄って通り過ぎるのを待った。エリートクラスの学生たちは俺たちを見て鼻で笑い、小声で何かを言い合っている。日常茶飯事だ。
「あの落第生、マジで魔力ゼロらしいぜ」
「灰崎家の人間なのにな。家系的にありえねーよ」
「養子とかじゃね?」
聞こえるように言っているのは明らかだが、反応しても仕方ない。
彼らが通り過ぎた後、俺たちは再び歩き始めた。森の小道は朝日が差し込み、美しい光景だ。魔法の森の樹々は通常の森より色鮮やかで、時折小さな光の粒子が舞い上がる。律動が濃密に存在する証拠だ。
「あれ?」
トムが足を止めた。前方から悲鳴のような声が聞こえてくる。
「何かあったのか?」
急いで声のする方へ向かうと、小道から少し外れた場所で、下級生らしき少女たちが震えながら立ち尽くしていた。その前には…
「魔獣!?」
緑色の鱗に覆われた蜥蜴のような生き物が、牙をむき出しにして少女たちを威嚇している。体長は2メートルほどで、背中には鋭い棘が並んでいる。低級魔獣の「グリーンバイパー」だ。
「なんでこんなところに…」
魔法の森には結界が張られており、通常魔獣は入れないはずだ。
「トム、先生を呼んでこい!」
「お前は?」
「あいつらを逃がす!早く行け!」
トムは一瞬躊躇したが、すぐに頷いて学園方向へ走り出した。
俺は魔獣に気づかれないよう、慎重に少女たちに近づいた。一年生だろうか、三人とも幼い顔立ちをしている。
「大丈夫、助けるから」小声で言う。「俺が注意を引くから、その隙に逃げるんだ」
「で、でも…」
「心配するな。さあ、準備はいいか?」
少女たちが小さく頷いたのを確認し、俺は大きな声を出した。
「おい、トカゲ野郎!こっちだ!」
魔獣が俺の方を向いた。黄色い目が獲物を捉えたように光る。
「そうだ、こっちだ!」
俺は石を拾って投げつけた。魔獣は怒りの唸り声を上げ、俺に向かって突進してきた。
「今だ、逃げろ!」
少女たちが俺の後ろから小道へと逃げ出す。よし、これで安全…
だが、予想外のことが起きた。魔獣が突然方向を変え、逃げる少女たちを追いかけ始めたのだ。
「くそっ!」
俺は咄嗟に魔獣の行く手に飛び出した。
「お前の相手は俺だ!」
魔獣が俺に向かって牙を剥く。このままでは噛みつかれる。魔法が使えない俺には、防御する手段も反撃する術もない。それでも、少女たちを守るために、俺は両腕を広げて立ちはだかった。
「来るな…!」
絶体絶命の瞬間、予想外のことが起きた。
俺の左手から漆黒の光が放たれ、魔獣を包み込んだ。光は闇のように深く、同時に全ての色を内包しているかのような不思議な輝きを放っていた。
魔獣の姿が光の中でぼやけ始める。まるで存在そのものが薄れていくかのようだ。魔獣は悲鳴を上げたが、その声も次第に消えていった。
光が消えると、そこに魔獣の姿はなかった。完全に消滅したのだ。
「はぁ…はぁ…」
激しい疲労感と共に、膝から崩れ落ちる。体中が鉛のように重く、頭がクラクラする。
「今の…なんだ…?」
自分でも理解できない力が、危機の瞬間に突然発現したのだ。魔力ゼロのはずの俺から、あんな力が?
ふと気づくと、助けた少女たちの姿はない。逃げ切ったようだ。良かった…
「大丈夫か…?」
俺は立ち上がろうとしたが、足に力が入らない。力を使った反動で、全身がだるい。
「とにかく、ここを離れないと…」
誰かに見られたら説明できない。魔力ゼロのはずの落第生が、魔獣を一瞬で消し飛ばしたなんて…
木々の間から校舎が見えてきた。なんとか学園まで辿り着かなければ。
俺は残りの力を振り絞って立ち上がり、よろめきながら小道を歩き始めた。頭の中は混乱で一杯だ。あの黒い光は何だったのか?なぜ俺から放たれたのか?魔力ゼロのはずなのに、どうして?
放課後、この不思議な現象について調べるため図書館へ向かおう。あの古代魔法の本に、何か手がかりがあるかもしれない。
だが、その時、俺は気づかなかった。
森の茂みの陰から、一人の少女が全てを目撃していたことに。
銀白の長髪を持つ少女の氷青色の瞳は、驚きと疑惑で見開かれていた。
「あの落第生が…まさか…」
エリザベート・クリスタルの唇から、信じられないという呟きが漏れた。
---
放課後、俺は急ぎ足で図書館へと向かった。今朝の出来事が頭から離れない。あの黒い光、消えた魔獣、体から湧き上がった力の感覚。全てが非現実的だった。
図書館に着くと、昨日読んでいた古代魔法の本を探し始めた。ルーク館長は不在のようで、静かな館内には数人の学生が散らばっているだけだ。
古代魔法の棚から、昨日の本『古代律動の共鳴法』を見つけ出す。急いでページをめくり、昨日読んだ「虚無」についての記述を探した。
そして、ようやく見つけた一節。
『虚無の律動は、全ての律動の根源にして終着点。存在するものを無に帰し、無から存在を紡ぎ出す禁忌の力なり。千年に一人、この律動と共鳴できる者が現れるという。彼らは通常の魔力測定では「無」と判定されるが、実は最も強大な力を秘めている…』
俺の手が震え始めた。
「これが...俺の中にあるものなのか?」
古代の文字が踊るように見え、頭の中で反響する。「虚無の律動」――これまで感じていた空虚さは、実は強大な力の予兆だったのか?
図書館の窓から差し込む夕日の光が、本のページを赤く染める。俺は混乱していた。魔力ゼロと判定された自分が、禁忌の力の使い手だなんて。そんな都合の良い話があるはずがない。
「馬鹿馬鹿しい」
本を閉じ、棚に戻そうとした時、背後で物音がした。振り返ると、シャーロット・ナイトシェイドが立っていた。いつの間に近づいていたのか、気づかなかった。
「古代魔法に興味があるのね」
彼女の紫水晶のような瞳が、俺の手にある本を見つめている。
「ただの好奇心だ」
俺は平静を装って本を棚に戻した。彼女が何を見たのか、何を知っているのか、わからない。
「好奇心?」彼女は小さく笑った。「魔力ゼロの人間が、最も複雑な魔法体系に興味を持つなんて…不思議ね」
「理論を学ぶのに、魔力は必要ない」
「そうね」彼女は一歩近づいた。「でも、あなたの目は違う。何かを探している人の目よ」
俺は言葉に詰まった。シャーロットは鋭すぎる。
「何か用があるのか?」
「別に」彼女は肩をすくめた。「私も古代魔法に興味があるだけよ。特に…」彼女は俺の耳元で囁いた。「禁忌とされる力についてね」
背筋に冷たいものが走った。彼女は何かを知っているのか?それとも単なる偶然か?
「閉館時間です」
図書館司書の声が救いだった。シャーロットは一歩下がり、「また会いましょう」と言って立ち去った。
俺は深呼吸して、図書館を出た。頭の中は混乱で一杯だった。今朝の魔獣との遭遇、黒い光、古代の本に書かれた「虚無の律動」、そしてシャーロットの不可解な態度。
全てが繋がっているようで、まだ霧の中だ。
学生寮への帰り道、夕暮れの空を見上げた。星が一つ、二つと瞬き始めている。
「虚無の律動…」
その言葉を口にした瞬間、左手の指先がわずかに震えた。気のせいだろうか。それとも…
俺は自分の手をじっと見つめた。そこには何も見えない。だが、何かが確かに変わり始めていた。
「魔力ゼロ」という絶望的な現実が、もしかしたら違う可能性を秘めているのかもしれない。
そんな淡い希望を胸に、俺は寮への階段を上り始めた。
知らぬ間に、銀白の長髪を持つ少女が遠くから俺を見つめていたことに気づかないまま。
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