30 君が見つけてくれたもの






 ◇◇◇


 A組のみんなとひと通り騒いだあと、紘斗は日奈をこっそりその輪から連れ出した。

 賑やかなグラウンドと違い、人気ひとけの少ないバックネット裏の段差に、ふたりは並んで座る。


「まずは……マジで、ほんとにごめんなさい」

「え、と……」


 紘斗が深く頭を下げると、日奈は戸惑ったように眉を下げた。


「昨日は、完全に八つ当たりっつーか……混乱してたからって、佐倉にあんな言い方して……本当にごめん。傷つけたよな」


 昨日、紘斗が気を失う直前の会話―――混乱の中で自分が言った言葉が、胸に重く残っていた。

 いくら追い込まれていたからといって、ひどいことを言ってしまったと、紘斗は心から後悔していた。


「気にしてないよ。わたしこそ……フォローもなにもできなくて、ほんとにごめんね」

「佐倉が謝ることはひとつもない。全部俺が自分でやったことなんだから」


 紘斗がきっぱりと否定しても、日奈は申し訳なさそうに目を伏せた。

 紘斗が気を失ったあとのことは、越智先生から聞いた。日奈がひどく取り乱していたと知り、想像するだけで胸が締めつけられた。


「あの……大丈夫なの? 紘斗は、身体とか……」

「うん、身体は全然、大丈夫」


 そう言って、紘斗は研究所で起きた出来事を少しずつ語り始めた。

 不思議な空間で会話をした、別の記憶をもつ自分のこと。プログラムの改変による今の自己認識や、取り戻した記憶のこと。

 そして、再起動後は家に戻って両親と話し、その足で越智先生に学校まで連れてきてもらったこと。

 日奈はそのひとつひとつにうなずきながら、静かに耳を傾けていた。


「お母さんたちは……どうだった?」

「母ちゃんは泣いて喜んでた。父ちゃんは謝ってたな。つらい想いさせて悪かったって」

「……そっか」


 両親も、「紘斗の意思が最優先」と言いながらも、紘斗がこれからもAIとして生きることを望んでいた。

 それすらも不安に感じていた紘斗は、ふたりの話を聞いて少し心が軽くなった。


「とにかく、お礼が言いたくて。戻ってこれたのは……佐倉のおかげだから」

「みんなの歌が……届いたんだね。みんな、本当に待ってたんだよ。紘斗のこと」

「うん。さっきのですげぇ伝わった」


 A組のみんなの歓迎にも、正直ほっとした。

 心のどこかで、「もう今まで通りにはいかない」と覚悟していたのだ。


「もう……」


 すると突然、日奈が両手で顔を覆った。


「もう、会えないと……思った。すごく、怖くて……いっぱい、後悔して……」


 こらえきれなくなった涙が、その声に混ざって震える。その姿に、紘斗の胸がぎゅっと締め付けられる。

 そして、それ以上に、自分をこんなにも想ってくれていることが嬉しかった。

 紘斗はそっと手を伸ばし、日奈の頭を撫でた。絞り出すように「ごめんな」と言うと、日奈は小さく首を振った。


 ひとしきり泣くと、日奈は気持ちを整えるように深く息をついた。

 その様子を見て、紘斗も少しだけ肩の力が抜ける。


「入院中の記憶も……戻ったんだ。音楽療法に参加してたこととか、実験に協力するって決めたときのこととか。……まぁぶっちゃけ、マジでAIになるとはあんまり思ってなかったんだけど」


 紘斗が言うと、日奈は驚いた様子で顔を上げる。


「そ、そうだったの?」

「死んだあとAIになれます、とか言われても、ふつう信じねーって」

「あ……それもそっか」


 思わず笑いがこぼれ、ふたりの間にようやく柔らかな空気が流れる。


「逆に……佐倉はどうなの? 俺がAIとか、引かない?」


 言葉を選びながら、ようやく胸の奥の問いを口にする。

 日奈がいま、AIである紘斗のことを、どう受け止めているのか―――ずっと胸の奥で渦巻いていた不安だった。


「すごく……自分勝手な話になっちゃうんだけど、ね。わたしは……紘斗がAIになってくれて、よかったなって」

「えぇっ?!」


 あまりに意外な言葉に、思わず声が裏返った。


「だってそのまま……紘斗が病院で亡くなって、それで終わってたら、わたしは紘斗に会えなかったから」


 その言葉に、胸の奥が強く揺れた。

 たしかに、AI、日奈と出会うことは絶対になかった。


「それは……まぁ、そうか」

「ごめんね。すごい、自分勝手だよね。こんな簡単なことじゃないっていうのは、わかってるんだけど」

「いや。それは……でも、そう思う」


 そう思うと、あのまま病院で人生を終えていたらできなかったことが、いっぱいある。

 元気に高校生活を送ることも、A組のみんなに会うこともなかった。

 勉強に思い悩むことも、夢に向かって邁進することもなかった。


「俺の人生は16歳で……あの病院で終わってたんだもんな。ほんとは」


 終わったはずの人生が、形を変えていまも続いている。

 それはもう、“与えられた命”としか言いようがなかった。


 紘斗ひとりではきっと、その考えには辿り着けなかった。

 「ってのは、お前ひとりの問題じゃない」―――また、あの言葉を思い出す。


 後夜祭は、フィナーレに向かっていた。

 プロジェクションマッピングと3Dホログラムが、グラウンドに星空や花火を映し出す。

 音楽と連動した美しい光景に、生徒たちは目を奪われていた。

 そんななか、紘斗は「……あのさ」と、勇気を振り絞って切り出した。


「……一応、ケジメつけたいっつーか……俺の気持ち、伝えときたくて」


 その言葉に、日奈の身体がぴくりと反応する。緊張が走ったのが、紘斗にもわかった。

 これから伝えることは、すべて自分勝手なエゴでしかない。それでも、伝えないまま終わらせることは、できなかった。


「佐倉を想う気持ちがなんなのか、マジでずっとわかんなかったんだ。たぶん……感情抑制のせいで」


 感情を抑え込まれた紘斗にとって、その想いは近いようで遠い、曖昧なものだった。


「でも、バカみたいだけど……佐倉にはカッコイイって思われたいとか、佐倉に近付く男がうざいとか、そう思ってた」


 そう思って行動して、その行動は記憶から消去されて。

 想いばかりが募って、違和感が積み重なって―――ぐるぐると同じ場所を回っているような気持ち悪さが、常にあった。

 それでも。


「……記憶がなくなっても、佐倉を想う気持ちは残ってて……ぜんぶ思い出した今は、この気持ちに迷いはない」


 紘斗は、日奈のほうに向き直った。

 日奈の潤んだ瞳を見つめながら、そっと息を吐く。


「俺は、日奈が好きだ」


 言い終えた瞬間、日奈は恥ずかしそうに顔を手で隠した。

 その仕草に、紘斗の胸の鼓動はさらに早まっていく。


「不意打ちで名前呼ぶの、ずるい……!」


 その声に照れが混じっているのがわかり、紘斗も思わず照れ笑いする。


「しゃ、しゃーねぇだろ! 名前とか……恋愛的なことは回避するようにプログラミングされてたんだから。それでも、必死に抗ってたけどな」


 本当はずっと、下の名前で呼びたかった。

 それをさせなかったのは、AI初期設定時の感情抑制プログラムのせいだった。


「……でも、すっきりした。悪かったな、変な話して。みんなのとこ、戻るか」


 一世一代の告白を終え、紘斗はようやく息をつく。

 立ち上がろうとすると、座ったままの日奈が、紘斗の制服の裾を掴んだ。


「返事は……聞かないの?」


 日奈の台詞に、紘斗の心臓は跳ね上がった。


「へ……返事もなにもないだろ。AI。それで話は終わりだよ」

「終わりじゃないよ。だって、紘斗ばっかり気持ち言うの、ずるいよ」


 これは、紘斗が予測していなかった展開だった。

 日奈の台詞と表情から、紘斗はようやく日奈が言おうとしていることを理解する。


「いやちょっと待って、むり。内容によっては決心が揺らぐじゃん、絶対……!」

「そしたら、もう一回考えてよ」


 潤んだ瞳が、紘斗をとらえる。その視線の熱に、紘斗は足元がふわふわと宙に浮くような感覚を覚えた。


「わたしだって、ずっと……好きって言いたいの、我慢してたんだもん」


 日奈の言葉が、紘斗の心にまっすぐ突き刺さる。

 紘斗は思わず頭を抱えて、その場にしゃがみ込んだ。


「……ほら見ろ。聞こえたか? 俺の決心がポキッと折れた音が……」

「ふふ、なに言ってんの」


 自嘲気味に呟くと、日奈はくすりと笑った。

 これが、惚れた弱みというものなんだろう。日奈の一言一言に、いちいち心を奪われてしまう。


「あのな、俺がお前を好きっつーのは、半端なもんじゃないぞ?! 忘れても忘れても、それでも好きだったんだから」

「そ……そんなの、わたしだって……一緒だよ? 何回忘れられても……好きだったんだもん」

 

 紘斗が言うと、日奈も負けじと言い返す。

 日奈の言葉に、紘斗はふたたび心臓が跳ね上がる。

 日奈には勝てないと、紘斗はようやく痛感した。観念してふたたび、日奈の隣に座り直す。


「……でも、付き合うとかは無理だからな。俺、我慢できないもん」

「が、我慢って……?」


 わかっているのかわかっていないのか、わざわざ聞き返してくる日奈。

 紘斗は日奈の手の甲に、そっと自分の手を重ねた。


「……こういうこと、したくなるってこと」

「っ……!!」


 瞬間、日奈の顔が真っ赤に染まる。

 しかし日奈は、数秒の間を置いて―――自分の手をそっと引っくり返した。

 そして、紘斗と手のひらを重ね合うと、恋人繋ぎのように、指を絡めてくる。


「し、しても……いいよ」

「…………」


 とうとう、僅かに息をしていた紘斗の理性さえも、崩れてしまった。

 好きな相手にここまでされて、もう引き返せるはずがなかった。


「ケリつけるつもりで言ったのに……。知らねぇぞ、周りに変な目で見られても」


 紘斗がいちばん気掛かりなのは、そこだった。

 自分がAIであることが、いつ、どんな形で世間に知られるかわからない。

 そのときに、日奈が傷つくことだけは、絶対に避けたかった。


「俺は、日奈には普通の恋をしてほしい……幸せになってほしいんだよ。俺となんかじゃなく……」


 自分がAIである限り、本当の意味で日奈を幸せにはできない。

 将来を語る以前に、高校生活の大事な時間を、自分のために費やしてほしくなかった。

 すると日奈は、紘斗の手をそっと握り直して、紘斗をまっすぐに見つめる。


「わたしは、紘斗に選ばれたからここにいるわけじゃない。わたしが紘斗を選んだの」


 日奈自身がそうしたいから、いま、ここにいる。

 日奈の決心は、固かった。

 いずれ傷つく結果になったとしても、いまだけは紘斗を手離したくない―――そんな強い意思が、伝わってきた。


「だから、紘斗が心配することはなにもない。わたしはわたしの意志で、紘斗の隣にいるんだから。わたしの幸せは、わたしが決める」


 日奈の強い想いは、紘斗の心に深く響いた。

 日奈は、紘斗以上に紘斗のことをよく理解している気がした。

 紘斗が築こうとした壁を、いとも簡単に超えてくる。


「ふはは! ほんとかっけーよ、日奈は」


 感嘆の声が自然と漏れ、紘斗は思わず笑いだした。


「あ……ねぇ、この曲」


 日奈はそう言うと、耳をすませるみたいに押し黙った。

 紘斗も周囲の音に、耳をすませる。

 いつの間にか後夜祭のフィナーレも終わり、グラウンドにはゆったりとしたBGMだけが鳴り響いていた。


「『Stand by me』だ」


 帰宅を促すBGMとしてグラウンドに流れていたのは、日奈と紘斗が読んだ少女漫画に出てきた曲だった。

 R&Bの落ち着いたメロディは、祭りの後の穏やかな時間にぴったりだった。


「もう100年も前の曲なのにな」

「そんなふうに思えないよね。いい曲」

「俺らも踊っとく?」

「あはは! やだやだ、恥ずかしいもん」


 紘斗が言うと、日奈が声を上げて笑った。

 すると日奈は突然天を仰ぎ、ぱちぱちとまばたきをする。


「やばい、涙でる」

「うわ、どした?」


 紘斗は慌ててポケットを探り、ハンカチを差し出した。

 受け取ったハンカチで目元をおさえながら、日奈は柔らかく笑う。


「紘斗が、うれしいの。それだけ」


 その笑顔を見て、紘斗まで泣きそうになった。

 日奈が紘斗の中に見いだしてくれた、“心”と“命”。

 その事実こそが、たった一本の決して折れない柱となり、いまの紘斗を支えていた。

 心臓も、感情も、作り物だとしても―――自分は、生きている。

 その事実だけは、この先、決して誰にも折ることができない。そんな確信があった。








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