27 あなたのために
翌日、文化祭当日。
朝の教室に、紘斗の姿はなかった。
重く沈殿した空気が漂う中、越智先生は静かに教室に入ってきた。
「結論から言うと……紘斗はいま、再起動の最中だ。状況は良好とは……言い難い」
生徒たちは、声にならない失望を押し殺し、かすかなため息を漏らした。
日奈は、心が地面まで引きずり降ろされるような、苦しさを感じた。
両親の強い意向、クラスメイトたちの反応、そして正体を知る者が限られているという状況―――それらを踏まえたうえで、協議の末に再起動が決定されたのだという。
また、自分をAIだと認識しないままの再起動は危険と判断され、昨晩のうちにプログラムの修正が施されたとのことだった。
「紘斗の自我はいま、非常に複雑な状況にあって……いつ目覚めるかはわからない。もしかしたら……数ヶ月単位の時間を要するかもしれない。そうなると一度、リセットをかけるほかなくなる」
“リセット”――その言葉の意味するところが、どこまでの記憶を失うのかは明言されなかった。
聞いたところでどうにもならないことだけは、生徒たちにもわかっていた。
合唱のステージは、午前の最後から2番目。
研究所がどこにあるかも知らないが、恐らく紘斗は間に合わないだろう。
「……ステージは、やりきろう。鈴鹿くんのためにも」
瀬名が、絞り出すように言った。
その想いを受け取るように、葵衣が頷いて続ける。
「そうだね。伴奏は、鈴鹿くんが練習用に録音してくれてたギターの音声を使おうか」
「いまのうちにステージで音響チェックだけしてもらう?」
葵衣と瀬名は、落ち沈んだクラスの空気の中、話を進めようとしてくれている。
前を向かないと―――そう思うのに、日奈の心は重く沈んだまま、浮かんでこない。
ずっと泣き続けて、もう枯れたと思った涙が、また溢れてくる。
(こんなとこで、泣いちゃいけない……)
わかっていても、胸の痛みはおさまらない。
「日奈、大丈夫か」
不意に肩を叩かれ、日奈ははっとして顔を上げた。
教室の中では、いつの間にか生徒たちが立ち上がり、机を移動させていた。亜由里が心配そうに、日奈の顔を覗き込んでいる。
「ご、ごめん。ぼーっとしてた」
体育館に移動する前に、教室で軽く音合わせをするつもりなのだろう。慌てて立ち上がると、亜由里がぽんと日奈の背中を叩いた。
「ちょっと来な」
「え、あ」
亜由里に腕を引かれ、ふたりで教室を出る。
開け放たれた廊下の窓に並んで寄りかかると、亜由里ががしがしと日奈の頭を撫でた。
「いまのうち、泣いときな。みんな、いまできることをやってるだけだ。泣いて何もできないやつがいたって、別にいいんだよ」
「っ……!」
亜由里の言葉が、崩れそうな日奈の心をやさしく掬い上げた。
どこかで、今日の朝に紘斗が「おはよう」と教室に現れるのではないかと――そんな希望を抱いていた。
どこまでも甘い自分に、嫌気が刺す。
現状を受け入れられず、空気に身を委ねてばかりの自分にも。
日奈は、堪えることなく泣いた。
亜由里はなにも言わず日奈に肩を貸し、ただぽんぽんと頭を撫で続けてくれた。
教室から、みんなの歌が聴こえる。
傷ついていない子なんて、きっといない。
何もできない無力さを感じているのも、きっと日奈だけではない。
いまできること、それは―――今のA組にしか出せない音を、届ける。
それだけしかないと、みんな、わかっているのだ。
文化祭の幕が開けた。
生徒たちは、午前はステージ発表の鑑賞、午後は自由行動となっている。
各クラスのステージは順調に進み、いよいよA組の一つ前の演目が準備に入った。
そのあいだに、A組の生徒たちは体育館脇の通路で待機する。
通路に集まると、だれからともなく、円陣を組み始める。
「大きな声出しちゃだめだよ」「静かにね」と言いながら、笑い合う。
心が沈んでいても、明るい空気を作ろうとする―――そんなA組のみんなの気丈さが、いまの日奈にとっては救いだった。
渡と葵衣にうながされ、瀬名が円陣の中心で静かに口を開く。
「ずっとあたしは……このクラスのだれかに届くようにって、歌ってたんだけど」
最初に歌を聴いた時から、ずっと気持ちを注ぎ続けてくれた瀬名。
その声に、みんなは静かに耳を傾けた。
「今日だけはみんな、鈴鹿くんに届けるために、歌ってほしい」
日奈は唇を噛みしめ、こみ上げる涙を懸命にこらえる。
「んなモン、とーぜんだろ!」
「しっ! 声でかいよ、渡!」
渡のひと声に、みんなの空気がさらに綻ぶ。
「今のあたしらにしか出せない音を、届けよう!」
「「「おー!!」」」
みんなは、声を抑えながらも精一杯の気持ちで小さく叫んだ。
音を立てず、そっと手を重ね合わせて、ハイタッチを交わした。
直前の演目が終わり、ついにA組の出番がやってきた。
ステージに向かう途中、日奈は難しい表情でスマホを見つめる蒼佑の姿に気づく。
「蒼佑……どうかしたの?」
「いや、大丈夫。……ちゃんと、聴かせてやりたくて」
曖昧に笑いながら、蒼佑はスマホを手にしたままステージへと進む。
中央にカホンを運び、その上に静かに腰を下ろすと、足元にスマホをそっと置いた。
渡が、背負っていた紘斗のギターケースを蒼佑の隣に置く。
そしてみんなは、蒼佑とそのギターケースを中心に、大きな円を描くように立った。
合唱らしからぬ並び方に、観客席からひそひそとした声が上がる。
けれど、A組の誰ひとりとして、そんなことを気にしてはいなかった。
『プログラム9番。1年A組による合唱「センティエント・ブルー」です。作詞・作曲・編曲は、すべて生徒たちが行いました。A組の皆さん、お願いします』
司会者の声を合図に、録音されたギターの音が、体育館に響く。
その音にあわせて、蒼佑がカホンを叩き始めた。
それぞれが、苦しみ、悩み、それでも優しくありたいと願いながら、作り上げた歌。
大切な誰かを想い、その人に届くようにと、願いを込めて―――
『茜色の校舎に 溶けたため息』
はじまりは、ソプラノだけ。
抑えたボリュームで、歌声はひっそりと立ちのぼる。
『黒板の隅 そっと隠した言葉』
そこにアルトのコーラスが重なり、男声のハモリが加わって……少しずつ、音の厚みと響きが増していく―――
『センティエント・ブルー』
茜色の校舎に 溶けたため息
黒板の隅 そっと隠した言葉
だれも知らない 君のモノローグ
痛みも声も 届かないまま
「なんでもない」って笑う君の
揺れる瞳に気付いてた
この世界が君を拒んでも
僕は明日も君に会いたい
夜の向こうで 朝が待ってる
明日もどうか 君のままでいて
君のあくびに 僕もつられて
笑い合う いつもの昼下がり
舞う砂ぼこり 見上げた飛行機雲
こんな毎日がいいんだよ
ひとりでは無力でも
僕らならきっと無敵さ
「大丈夫」って言葉の裏に
本当の心を隠さないで
もしも明日が怖くなったら
僕の名前を呼んで
目を閉じても 息を止めても
僕には君の心が見える
嵐の朝も 雨の夜も
君の命の灯火が見える
僕は明日も君に会いたい
明日もどうか 君のままでいて
僕には君の心が見える
君の命の灯火が見える
笑顔の裏で、苦痛に顔をゆがめる“だれか”がいるのではないか。
みんな、ずっとそれを感じていた。
クラスの仲が深まれば深まるほど―――“だれか”を突き止めるのが怖くなった。
それでも、その“だれか”を、ただ放っておきたくはなかった。
ただ、普通の学校生活を送りたいだけなのに。
ふざけて、笑いあって、そんないつも通りの日々を過ごしたいだけなのに。
そしてとうとう、知ってしまった。
その“だれか”が、紘斗であると。
紘斗のために自分たちにできることなど、限られている。
きっと本当の意味で救うことはできない。
自分たちにできるのは、想うこと。そして、願うこと。
明日も、あなたに会いたい。
明日も、変わらないあなたでいてほしい。
こんな風にあなたを想い、願っている人がいる。
だから、どうか、手を伸ばして。消えないで。
―――あなたの命の輝きは、わたしの目にはちゃんと見えているから。
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