16 信じたくないこと
翌朝。
蒼佑の家に立ち寄り、昨日買った誕生日プレゼントを蒼佑に預けた。
その流れで、一緒に学校へと向かう。
「なんだ、普通に買い物しただけかよ」
昨日の話をすると、蒼佑はつまらなさそうに言った。
「自分のお母さんの誕プレ選びを、他人に押し付けないでよね」
「いや、あの状況はああするしか……むしろ俺グッジョブだと思うんだけど」
「なにそれ」
自信満々に言う蒼佑に、日奈は呆れたように目を細めた。
校門の数メートル手前で、自転車が後ろから近づいてきた。スピードを緩めて日奈の横で停止したのは、紘斗だった。
「おす」
「おはよー、紘斗」
「はよーっす」
日奈は、返そうと思って鞄に入れていた手袋を紘斗に差し出す。
昨日紘斗と別れた後で、手袋を返しそびれたことに気付いたのだ。
「これ、昨日返すの忘れちゃってごめんね」
すると紘斗は、手袋を受け取りながら不思議そうに眉を寄せる。
「……貸したんだっけ」
その言葉に、日奈は思わず「え?」と聞き返す。
また日奈をからかっている……と、初めはそう思った。
しかし、紘斗の表情を見てすぐに、その考えは消える。
紘斗の顔に浮かんでいたのは、心からの疑問の色だった。
紘斗は本気で「貸した覚えがない」と思っているのだ。
「え……と……」
なんと返せばいいのかわからず、思わず漏れ出た日奈の声は、震えていた。
嫌な予感が、胸の奥を冷たく締めつけるように広がっていく。
「昨日帰り寒かったもんな。そん時貸したんじゃないの?」
蒼佑が言うと、紘斗は静かに答える。
「帰り……佐倉と帰ったっけ」
瞬間、日奈は鈍器で頭を殴られたような気になった。
紘斗は、忘れている―――
日奈と一緒に帰ったことも、手袋を貸してくれたことも。
(あれ……? こういうの、前にも……あった? まさか紘斗は……でも、そんなこと……)
心の奥底に追いやっていた最悪の想像が、徐々に現実のものとなっていく。
息が苦しくて、立っているのがやっとだった。
「……うちの母ちゃんの誕プレ、日奈と買ってきてくれただろ?」
「あぁ……そうか、佐倉と一緒に買いに行った。それから……一緒に帰ったんだっけ」
蒼佑の問いに、紘斗は記憶をたどるように言うが、表情はどこか曇っていた。
そんな紘斗の姿に、日奈の心はさらに締め付けられる。
どうして。まさか。そんなこと。
この状況を否定したくて、頭の中で言葉を並べてみるものの、それは無意味なことだった。
(……つらい、けど……いま放り投げたら、ここで終わっちゃう……)
日奈は、溢れそうになる涙をのみこんだ。鼻の奥が、つんと痛む。
唇を噛みしめ、絞り出すように声をあげる。
「い……一緒に帰ってないよ! 手袋は教室で拾って、紘斗に返さなきゃって思ってただけ!」
早口に捲くし立てると、そのまま視線をスマートウォッチに落とす。表示された時間が、逃げ道をくれた。
「あ、紘斗! 自転車停めてこないと、遅刻しちゃうよ!」
「お、おう」
日奈に言われ、校舎裏へと向かっていく紘斗の背中を、日奈と蒼佑は無言で見送った。
その場に残された空気は、どこまでも重く沈んでいた。
蒼佑が心配そうに、日奈の表情を伺う。
「……大丈夫か」
「……だいじょうぶじゃ、ない」
涙が決壊し、ぼろぼろと日奈の頬を零れ落ちた。声もなく、ただただ頬を伝って流れ落ちる。
蒼佑は大きく息を吐き、「とりあえず話そう」と日奈の背中を押した。
予鈴が鳴り響くなか、2人は保健室に向かった。
普段、養護教諭は常駐していない。保健室にある端末に学生IDと症状を入力すると、AIが病状を自動診断し、担任に報告するシステムとなっている。
蒼佑は症状を適当に入力する。
そして自分のタブレットを開き、『AIRAの電源を切れ』と打ち込み、日奈に指示を出した。
日奈は指示通りスマートウォッチを操作し、AIRAの電源を切った。
小さな音とともに、日常を記録するはずのAIが閉じられた。
「念のためな」と声を潜める蒼佑に、日奈も応じるように小さく頷いた。
手元を見つめたまま、唇がかすかに震えていた。不安と恐れが、体の芯からにじみ出るようだった。
「……こういうの、何回目だ?」
蒼佑は静かに、慎重に言葉を選ぶ。
日奈は、コンビニでの紘斗との会話を思い出す。
紘斗は、体育祭のときに日奈に「可愛い」と言ったことを、覚えていなかった。
「い……1回、あれって思ったくらいで、全然……。でも、さっきの様子見て……前にもこういうこと、あったなって……」
「……そうか」
日奈は目を伏せ、言葉を探すように口を動かした。
蒼佑も苦しげな表情で、息を吐く。
「俺も……いままで違和感を感じたことは、ほとんどなかった。ただ時々、話の辻褄があわないことはあったんだ」
蒼佑は、記憶をひとつひとつ手繰るように、慎重に語りだす。
「中学の修学旅行どこ行ったって話になってさ。あいつ、大阪のエキサイトランドだって言ったんだよ。でも、エキサイトランドって、俺らが中学に上がる前に閉演してるんだよな。誰も突っ込まなかったけど、ずっとそれが引っ掛かってた」
蒼佑の記憶の片隅に残っていた、違和感のかけら。
それを聞き、日奈は不安げに蒼佑の顔を見上げた。
「で、でも……ただの記憶違いってことは、ないかな? わたし達がAIって思い込みすぎてるだけ、とか……」
日奈自身も、これまでに紘斗に感じてきた違和感のすべてがただの記憶違いだとは、思っていなかった。
それでも―――信じたくない、という気持ちが、こぼれ出ていた。
「まぁ……脳機能障害とか解離性健忘の可能性も考えられなくはない。紘斗がいつ、なにを忘れてるのか……様子を見る必要はある」
そして蒼佑は重苦しく、「だけど……」と零す。
「前にみんなに話した、研究論文の話覚えてるか? 『意識継承型AIロボット』の話」
「う……うん」
蒼佑の言葉に、日奈は戸惑いながら頷く。
「あの時は言わなかったんだけど……その研究論文は、数人の研究者による共同研究として発表されたものだったんだ。その中の1人が……」
蒼佑は少し間を置いてから、ゆっくりと言葉を継いだ。
その沈黙は、続きを語るのに必要な、重い時間だった。
「……“越智令児”だったんだよ」
「っ……!」
日奈の表情が、一瞬で強ばる。
担任の、越智先生―――まさか先生が、『意識継承型AIロボット』の研究者の1人だなんて。
たしかに越智先生は、生物の教師だ。特に神経科学に精通していると、入学の挨拶の時に話していた気がする。
そうなると―――
「……だから俺は、1年A組にAIがいるのは、間違いないと思ってる。そして、そのAIの正体は……」
「やめて!」
日奈は耳を塞ぎ、悲鳴のように声を上げた。
日奈の目からは再び、大粒の涙がこぼれ落ちる。
不安、恐れ、絶望……胸の奥に抱えていたものが、堰を切って溢れてくる。
「……心配するな。俺も、暴き立てる気はない。できれば誰も……気付かずに過ごせるのが一番いいって思ってる。ただ……」
蒼佑は一度、深く息を吸いこんだ。
「俺は……これからもアイツは、日奈との記憶をたびたび失くしていくんじゃないかと……思ってる」
「な……なんで……」
蒼佑の言葉に、日奈は声を潤ませた。
「……俺が開発者なら、AI自身が特定の相手を愛するような機能は、備え付けない」
低く唸るように言い、うつむく蒼佑。
「ただし、アイツが『意識継承型AIロボット』だとしたら、感情や嗜好はオリジナルの鈴鹿紘斗とほぼ同一なはずだ」
蒼佑は、元の人間の脳のコピーをとって生まれるのが『意識継承型AI』だと話していた。
記憶や性格、考え方や嗜好など、すべてを引き継いだAIである、と。
「オリジナルの鈴鹿紘斗に恋愛感情が備わっていたなら、どれだけ完全にプログラミングしたとしても、“人を好きになる”という行動は制限しきれない。行動原理や思考は、ほとんどオリジナルの鈴鹿紘斗のまんまだから」
「それって……」
「紘斗は、日奈をそういう対象として……見てるってことだろうな」
心臓が痛いほど打ち、体温が指先から逃げていくようだった。
日奈と紘斗を想い、あえてはっきりと言葉にしなかった蒼佑。
その優しさを感じながらも、日奈は心がえぐられるような想いだった。
蒼佑の言う通りなら、嬉しいことのはずだった。
それなのにいま日奈の心に満ちるのは、行き場のない悲壮感だけだった。
こんなにも悲しい形で、紘斗の想いを知りたくはなかった。
「“人を好きにならない”はずのAIが恋愛感情をもつ……つまりそれは、AIにとっては矛盾だ。矛盾が生じたらどうするか―――自己補正機能により、その記憶自体を消してしまう」
蒼佑の声も、かすかに震えていた。
「この自己補正機能はおそらく、『自分がAIかもしれない』という思考に対しても行われる。つまりAIは、『自分がAIかもしれない』とか、『この人を好きかもしれない』とか思うたびに、その記憶が消去されていくんだ」
心は冷たく、心臓の鼓動すらもどこか遠くで聞こえるような気がした。
「感情を操作するみたいでひどいって思うかもしれないけど……その自己補正が追いつかなくなったらどうなるか、わかるよな」
「……機能停止、するしか……なくなる……?」
「そう。他校のAIは恐らく、そういう状況になったんだろうな」
“9人目”が"AI狩り"された時の、動画配信を思い出す。
AIではないかと疑いを向けられ、追いつめられ……機能を停止するかのように意識を失っていた。
自身が何者なのか……そのアイデンティティを失い、停止するAI―――そう考えるとまた、日奈の胸は痛んだ。
紘斗も、同じ状況になるかもしれない。
同じように突然停止し、もう二度と会えなくなるかもしれない。
そう思うと、震えるほどに恐ろしかった。
「わた……しは、どうしたら、いいの……?」
「まだ、絶対的な確証はない。確定したとしても、いまは本人にも他者にも、絶対に悟らせないこと。それしかない」
「お、越智先生に、相談したらどう? それか、鈴鹿先生とか、紘斗のお母さんとか……」
「……そうしたいのは山々だけど、俺たちの行動の何がトリガーになるか、予測できない」
なんとかこの状況を打開したいと、日奈は必死だった。
それは蒼佑も同じだったが、闇雲に動くことにはリスクもある。
「例えば、『正体がバレた時点で機能を停止する』っていう約束事があるかもしれない。だから、『俺たちが気付いてる』ってことも、他者に悟らせない方が良い」
一歩間違えれば、紘斗を失う―――そんな危機感が、蒼佑の言葉から痛いほど伝わってきた。
「気付いたのが日奈ひとりじゃなくて良かった。俺も一緒に抱える。もし紘斗が……そうだったとして。機能停止せずに済む方法も、考える」
蒼佑は、真剣な目で日奈を見つめた。優しさと、強い決意がそこにあった。
「つらくなったら、吐き出せ。絶対にひとりで抱えるな」
「っ……う、ん……」
涙声になりながら、日奈はなんとか頷いた。
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