第26話
翌朝、美月は自分の部屋のベッドで目覚めた。
一瞬、状況を吞み込めなかった。
(昨夜は階下のリビングで眠ったはずなのに……)
着ているのは昨夜の夜着と羽織だが、その上から布団が掛けてあった。
熊谷が美月の部屋に入るとは考えにくい。
(旦那さまが運んでくださったの?)
我儘を言って、かえって迷惑をかけてしまったのだろうか。
美月は少し落ち込んだ。
それにしても、朝から階下が賑やかだ。
美月は着替えて階段をおりた。
食堂のほうから陽気な話し声が聞こえる。
ドアを開けると、気づいた煌がわざわざ席を立って出迎えてくれた。
詰襟の上着を脱いだ白シャツとズボンの洋装が爽やかだ。
元気そうなその姿に、美月はホッとした。
「おはようございます。もうよろしいのですか?」
「ああ、おはよう。昨夜は済まなかった。疲れているだろうからゆっくり休ませたかったのに、うるさいヤツがいて起こしてしまったな」
その後ろで、やはり白シャツとズボン姿の若者が、敬礼の姿勢をとった。水口とかいう煌の後輩だ。
「奥方さま、昨夜はありがとうございました。おかげで命拾いいたしました」
「いいえ、こちらこそ。旦那さまを連れ帰ってくださって、ありがとうございます」
美月は丁寧に頭を下げた。
「こやつは元気になったとたん腹が減ったと騒ぐので、早い朝食を用意してもらったのだ」
煌が説明するあいだにも、食欲旺盛な若者は食卓に戻り、すでにお替りしたらしい大盛りのご飯をかきこむ。
「それにしても、昨日の船はえげつなかったッスね」
思い出したのか、箸を持ったまま眉をひそめて水口が言った。
美月が尋ねる。
「外国から入港した船ですか?」
「ええ。途中で嵐に遭って、入港予定が大幅に遅れていた船なんです。そのあいだに食料が尽きたらしくて、餓死した船員たちが荷箱に詰めこまれていて」
「飯を食いながらする話か」
煌がたしなめたが、興奮気味の水口は止まらない。
「だって、先輩、入港手続きの前からもう怨霊だか幽霊だかわかんないモンが溢れ出ていて」
「おまえが無計画に突入するから、あっちも敵意をもって襲ってくるんだ」
「だって、そうでもしないと生き残った船員たちが取り殺されそうに見えたんッスよ! それで、襲われた俺を先輩たちが庇ってくれて、ご迷惑をおかけしたことは本当に申し訳なく、反省もしております」
しだいに声を小さくして、水口はうなだれた。
「わかっているならいい。これから支部に戻って、反省文と始末書だな」
煌は冷たく言い渡した。それから、
「とはいえ、瘴気をこの身に封じて倒れた俺を見棄てずに、担いでここまで運んでくれたことには感謝する。だが、運んでいるあいだに俺の内の瘴気に当たって自分も倒れるとは、まだまだ鍛錬が足りないがな」
「庇ってもらったおかげで、あの時点では部隊内で俺がいちばん元気だったんですけど……面目次第もありません。でも、おかげで噂の美しい奥方さまにお会いできたし、美味しい朝飯までいただけて、ラッキーです!」
調子のいい後輩に、
「飯はかまわんが、妻には二度と会わせんからな。もう来るなよ」
煌は憮然と告げながら、美月を引き寄せた。
水口は箸を握ったまま呆れる。
「うわっ、ごちそうさま!」
「箸を置いてから言え」
「そういう意味じゃありません、まだ食います」
賑やかな食事風景だ。
寡黙見える煌も、後輩相手ならポンポンと軽口が飛び出すようだ。
美月は、知らなかった煌の一面を見て嬉しく思うと同時に、初めて聞く港湾特殊部隊の任務に驚いていた。
(わたしたちには視えないモノを視て、ほんとうに命がけでお仕事をしていらっしゃるのだわ)
不安が顔に出てしまったのだろう。煌が苦笑して言う。
「案ずるな、俺は強い」
「心配しますよ、不死身ではないのですから」
反論されるとは思っていなかったらしく、煌は驚き、それから困った顔をした。
取ってつけたように食堂の柱時計を見上げ、詰襟の上着を羽織る。
「水口、時間だ、行くぞ!」
「え、まだ早くないですか?」
水口は慌てて沢庵をひと切れ口に放り込み、自分の上着を掴んだ。そして、タキと美月に「ごちそうさまでした」と挨拶することも忘れずに、煌のあとを追って出て行った。
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