春の鬼子母神堂
沙羅双樹
第1話 仕事に疲れると鬼子母神堂へ行く
アルバイトは午後の一時に終わる。マンション清掃の仕事。勤め先には私一人。植木鉢に水をやり、廊下や階段を掃いてまわり、モップをかけ、入り口のドアや、窓の桟を拭く。そういう仕事。マンションの住人と顔を合わせれば、「こんにちわ」とあいさつをする。住民たちと何かを話すことはしない。
そうして、午後一時が来れば、マンションを出る。こうしたことがもう何年も続いている。誰にも会わないということはストレスがたまらなくていいことだが、ひとりきりでいるということもまたストレスになる。
刑罰の中で一番つらいのは、独房に入ることなのだと、何かの本で読んだ。一人きりにさせられることが一番苦しいのだそうだ。ひょっとしたら、今ものすごくつらい仕事についているのかもしれないな、時々そんなことを思う。
たいていはまっすぐ帰宅するけれども、月に何回かはそうした一人きりのストレスに耐えられなくなって、足は自宅とは違う方向を向く。坂道を下りていくと、おちついたたたずまいの住宅街になって、その先に五重塔が見えてくる。まるで京都の観光地に来たような錯覚にとらわれる。
そう言えば、中学生の頃、修学旅行は京都で、あの頃はとても楽しかった、などと50年も前のことをはっきりと思い出す。今は私も老人か。そう、今は私は、年金を貰いながらこうしてマンション清掃のアルバイトをしている老人になってしまった。自分では若いつもりだが、足腰はすっかり衰えてきてしまった。
お寺の境内に入ると、ここは大本山なのだが、訪れる人は少ない。観光地化されていないこの寺が心地よい。外国人がいっぱいで、スマホで動画を撮っている、そういうお寺とは違う。ゆっくりと散策できる。歩いているうちにストレスが消えていく。これが仏教の真髄なのではないか、などと思ったりもする。
鬼子母神堂に続く建物に入れる。入り口で靴をスリッパに履き替えて、絨毯の上を歩く。そこにソファーセットがあって、たいてい誰もいないからそこで一休みする。静かで誰もいなくて安らげる空間。マンションも一人でいるのだから一人というのには違いないが、お寺の建物の広さ、なんとなく安らげる気持ちの良さ、目に見える木々や、時々姿を見せる僧侶の姿。これが違うのだと思う。
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