這い寄る混沌
颯が『夜光蛇』に情報を貰うため、迷宮都市グラドへと移動して〝幽玄郷〟へと足を踏み入れている、ちょうどその頃。
ラトはシャニカと別れて一人でアルブ・ルブム内の中でも格式の高い、貴族などが使うようなレストランにて、一人で堂々と食事を摂っていた。
一見すれば、一人の美女がただ一人で料理に舌鼓を打っているようにも見える。
美しい容姿をさらに引き立たせる洗練された所作。緩慢にも思えるような、けれど淀みない流れるような動きで、じっくりと食事を堪能しているように。
周りから見ればそのように見えるが、しかし真相は異なる。
かつての颯のように、ラトもまた〝外なる神〟としての力である領域の掌握による思念の読み取りを行っているのだ。
しかし、颯とは異なる点もある。
《ここの料理は相変わらず素晴らしい出来だ》
《――このままでは我が商会の売上も》
《あー、クチャクチャ口鳴らすとか最悪。お金はあってもコイツはダメね、不快感が勝るわ》
次々と流れ込んでくる、明確な言葉たち。
意識や感情といったものしか読み取れず、実際に会話をしている情報しか読み取れない颯とは異なり、ラトは領域をより〝深く〟侵食することによって、人の表層的な思考を一言一句漏らさずに読み取ることができるのだ。
これによって情報を読み取ることを目的の一つとして、ラトは優雅に、気品のある佇まいを維持したまま食事を堪能しつつ、その裏では拾い上げる思念や意識を選別していく。
恋愛模様や下心だけが透けて見えるような存在の意識を拾い上げず、情報の取捨選択を繰り返す。
そうして一通りこの王都、そして周辺国の問題を話題にしている者たちから情報を抜き取ってから、ラトはついにその標的を貴族らに向けた。
ラトのいるレストランは上流階級を意識した造りとなっている。
そのため、貴族向けの個室も用意しているようではある。
とは言え、そのような仕切りや魔法的な遮音結界のような代物も、領域を支配しているラトにとってみれば、あってないようなものでしかない。
あっさりとそれらの仕切りを超えて、ラトは領域を広げて思念を、思考を、言葉を拾い上げていく。
《――忌々しいフルシェラーナ伯爵家もこれで終わりだな》
《『人族同盟』と密かに連絡を取っておいて正解だった》
《神子はすでに神樹様の元に回収した。あとはリフバインド家が動けば事は大きくなる》
ふと引っかかってきた、とある個室内の思念。
じわじわと領域を拡張し、その一室内部の領域をさらに広げ、深めることで、会話の声も同時に拾い上げていく。
「――しかし、神子様、か。あの〝消耗品〟も今代は長くは保たなかったな」
「えぇ、先代はもっと使い勝手が良かったのですが、こればかりは。やはりまともな修行も受けさせられなかったのが大きいかと」
「仕方ありますまい。神樹様のためなのですから。神子としての特権を享受して生きてきたのですから、やはりこういう時にはしっかりと役目を果たしてもらわねば――」
一室で交わされる会話。
それらしい情報を手に入れられたことを喜ぶと同時に、ラトは思う。
もしもこの会話を颯が聞いていたら、皆殺しになっていただろうな、と。
「フリーディオン卿。今回の神子様の利用は、確かルブルスカ家が王家に進言したとのことでしたが、それは真ですかな?」
「うむ、その通りだ。『人族同盟』の守りがなくなり、これから我らがエレシアン・ヴェール王国は様々な外敵に狙われることになるであろう。その前に現在の神子を神樹様の回復に宛てがい、今の内に次代を育てるべきだ、とな」
「それは正論ではございましょう。事実、このディシアス大森林にも魔物共が押し寄せております。それは神樹様の守りが弱っているという証左でもあります」
「忌々しくもフルシェラーナ伯爵家が反対してきたが、すでに『人族同盟』を離れたあの家に覆すだけの力はないからな。伯爵家如きが、調子に乗り過ぎだったのだ。フルシェラーナにこれまで煮え湯を飲まされてきた家々が、フルシェラーナに協力などするはずもなかろうに」
「そうですなぁ。いやはや、フルシェラーナ家は政治というものを分かっていないようだ」
三人の貴族と思しき者たちの会話。
この者たちの物言いから、どちらかと言えば〝傍観者〟に近いような立場にあるような者たちだろうと当たりをつける。
この国の背景を知り、その上で傍観者を気取って語らう者たちのそれ。
自らの発言になんの責任も感じておらず、言いたいことを口にしているだけの者たちである。
――あぁ、本当に惨たらしく殺したくなる類ね。
口に運んでいる料理すらも不味いものに変わったような気分で、ラトは一人、胸の内で静かに呟く。
ラトにとっては、人の世界の政治などどうでも良いものだ。
むしろどちらかと言えば、より良い政治を行うような者たちほど壊してみたくもなったりはするが。
ただ、表だけを取り繕っているような連中の方が矜持ばかりが肥大化した愚物が多いため、そういう輩の方が面白いほどに転がしやすく、玩具として扱われたと知らしめて絶望させるのが滑稽で面白い、という程度の認識である。
エルフの国、エレシアン・ヴェール王国。
ラトはこの国の情報を颯を介して〝観ていた〟が、その条件を聞いていた限りは『人族同盟』の被害者として辛酸を嘗めさせられているのかと思ったものだ。
だが、蓋を開けてみれば内部は内部でずいぶんと腐っているらしい。
日和見主義者共が犠牲になる神子を消耗品と揶揄し、自分たちは高みの見物を決め込んでいる。
一見すれば力強く見える樹も、実はそれが枯れかけていて内部が腐っているものもある、なんて話を思い出しながら、ラトは食事を済ませ、ゆっくりと立ち上がる。
すると、ちょうどそのタイミングでラトに動きを合わせるかのように、一人のエルフの男性が席を立った。
「――失礼、そちらの白銀の髪の美しいお嬢さん」
「……? それは私のことかしら?」
背後から声をかけられる形となったラトがゆっくりと振り返って周囲を見回してから訊ね返してみれば、エルフの男――見た目だけならば二十代後半から三十代半ば程度を思わせる男が、微笑みを湛えたまま頷いた。
「えぇ、貴女のことです」
「何か御用かしら?」
「なかなかこのアルブ・ルブムでも見られない美しい御方でしたので、せっかくですので食後のお茶にでもお誘いさせていただこうかと」
一見すれば、ただのナンパにも等しい光景だ。
当然ながらただのナンパ等であればラトが付き合うことはないだろうが、しかしラトはしばし逡巡した様子を見せてから、力なく笑ってみせた。
「困ったわね。あなたの言う通り、王都には今日初めて来たばかりなのよ。せっかくだから、少し王都を見て回りたかったのだけれど」
「おぉ、そういうことでしたら、私にお任せを。しっかりとエスコートさせていただきますよ」
もしも颯がいたのなら、きっと「やめた方がいいと思うよ」と言って止めたかもしれない。
もちろん、この男のエルフに対して、だが。
しかし颯がいない今の状況で、そのような言葉を言う者はそこにはいない。
「……そう、ね。案内してくれるというのなら、お願いしようかしら」
「お任せを。ここの代金も私が持ちましょう。この王都へとやってきた記念に」
「あら、いいの? お金に困っているわけではないのだけれど」
「いえいえ、ただの気持ちですから。さ、参りましょう、レディ」
慣れた様子で支払いも済ませ、押し付けがましくないスマートさで支払いを受け持ち、わざと大仰にエスコートでもするかのように振る舞う男。
その男の行動の一つ一つを観察しながら、ラトは眼の前のエルフが見た目通りの年齢をしていない類の存在であることに気が付き、密かに口角をあげた。
――見事に釣れたわね、と。
ラトがこのような店の中で、たった一人で優雅さを意識しながら食事をしていたのは、一種の釣りのようなものでもあったのだ。
若いエルフでは声をかけにくくなる高貴な振る舞い。
地球のように身分というものがない社会であれば、何も知らずに声をかけてくるような者もいたかもしれないが、こちらの世界では王制であり、身分制度がはっきりしている。
そんな世界であるからこそ、なおのこと店での食事は階級によって客層が大きく変わる。
こうした一流の店で、しかもそこに相応しい立ち居振る舞いを意識しつつ、この世界の食事のマナーを完璧にこなしてみせることで、自分という存在をアピールした。
ちなみに食事のマナーについては、しっかりとこの店に入る前に中にいた上品な客たちを領域越しに観察し、模倣し、理解しただけではあるのだが、それはさて置き。
ラトがこの店を選んだもう一つの目的。
それこそが、そうして自らをセルフプロデュースしてみせることで、ラトは自分を餌にして、食いついてくるであろう存在を待つということだった。
高貴さを演出した自分を欲しがる何者か。
相応の地位に立ち、己に自信がある存在であるほどに、自分という存在は珍しい宝石のようにも見えたことだろう。
それをラトはよくよく理解している。
声をかけてきた男がやってきたのは、貴族側の個室。
先ほどまでは部下を連れて一人で食事していたことも、ラトを部下が見つけ、その部下を通してラトを監視していたことも、とっくにラトは理解している。
詰まるところ、男が声をかけた時点で、すでに状況はラトの手のひらの上にある、ということだ。
「お名前ぐらいお聞かせいただけるかしら?」
「――あぁ、失礼いたしました。私はフェブリクス・ジル・ルブルスカと申します」
――ルブルスカ、ね。
さて、あなたは一体、どんな環境に生きているのかしらね。
獲物を前に舌なめずりするかのように、ラトは微笑みながらも男をじっくりと観察していた。
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