第4話 杏奈、ふわりと空に浮かぶ。

 我が家は厳格な序列がある。たった二人の家族なのに。


 おばあさまは、息子のお父さんを、「嫁」のお母さんとともにフェリーの海難事故で亡くして以来、心の蓋をぴたりと閉じてしまったの。


 夕飯時に、わたしからしゃべりかけることもできない。不思議な転校生の真由香さんのこと、話せない。

 今日も、さつま芋の入った黒ゴマご飯と、アジの干物、わずかな佃煮だけ。おばあさまの好みのものだけ。

 わたしがクラス一番の痩せっぽちなの、おばあさまの「食育」のせいだと思う。


 夕ご飯が終わって、自分の部屋の和室に戻り、深くため息をつく。


 夜風に無性に当たりたい。というか、本当を言うならば、学校前のファストフード店の鶏肉が行きたい。


 わたしは真っ暗な外に、紺色の部屋着のワンピースで飛び出した。


 神社に向かって走る。「おろち石」のあるあたりを目指してたものの、途中で走るのをやめて立ち止まる。そして、神社の境内の真ん中で叫んでいたんだ。


「もうー。本当、疲れたよー。ファストフードがほしー!!!」


 空にきらりと出てる十六夜いざよいの月に向かってわたしが叫ぶと、


「叫ぶんなら、俺の名前を呼んで欲しかったけどな」


 どこか苦笑いしてるような、同時に、すごく楽しそうな男子の声が、向こうの梢の方からする。

 

 この声。

 男子の低音域でも……。リィくんの声を例外にすれば、毎日、わたしが一番、身近に浴びてる声。


〜〜〜

「宿題見して。森嶋」


「おはよ。森嶋」


「じゃあな。森嶋」

〜〜〜


 ここは、わたしの家だけれど、人里離れた山の中の神社でもある。マイクロバスの時間は午後7時までで終わってる。今は午後8時半。わたしとおばあさまの小さな住居以外、周りに人の気配なんかないはず。


 何より何より。現れた優希くんは、淡い紫色に体がうっすらと光り輝いていた。

 頬に少しだけ血がにじんでた。


 そして、彼はほんの50センチだけ、今も、体が地面から浮かんでた。


「ファストフードはなくて残念だけどさ。コンビニの肉まんならあるからさ」

 優希くんが地面にとんと降り立つ。幻なんかじゃない確かな足音を立てて、近づいてくる。


 優希くんの手にあったのは、まだ温かそうな肉まん。


「これとな。さっきまでは、あんまんもあったけど。天翔あまかける時ってエネルギーチャージしないとなんないから、俺が食った。ごめんな」


 天翔る、と、なんでもないことのように優希くんは言う。


 これは夢なんだな。


「優希くん、お財布ある?」


「あー。財布はないけど、ポケットに五千円札が入ってるな」


「『天翔る』って、わたしも連れてける? ファストフードが食べたい。どうしても!」


 渡された肉まんを、つぶれそうなくらいにギュッと握りしめてしまう。


 嘘だよ。そんなに鶏肉が食べたいわけなんてない。ただ、わたしは。


 一生に一度くらい、自分も「天翔る体験」ができたらなあ。とね。

 この時、十六夜の月に照らされて思ったんだよね。


「とりあえず、肉まん食べたら? 俺は逃げないからさ」


 優希くんに言われて、湯気の出てる肉まんを大急ぎで食べた。何か水分、と思ったけれど、不思議と飲み込めた。


 肉まんの湯気で涙がじわりと出た。


 でも、湯気のせいばかりでもなかった。



「食い終わった? じゃあ、両手、出して」

 

 優希くんに右手を差し出された。わたしが両手を怯えながらも前に出した途端、ふわりとわたしの体が浮かんでしまう。


 なにこれ嘘!!! 全然慣れない。


 ジェットコースターの浮遊感とか、YouTubeで調べたことあるけど、乗った経験は人生で一度もないの。


 夢なんかじゃない。この感触はリアルだよね。


 優希くんの差し出した右手を、わたしの両手でしっかり握り、空中にもっと上がって。ものすごいスピードでわたしたちは駆けていく。


 今、わたしたちのいるところは、いつも通ってる高校の校庭のはるか上空だ。


「降りる時にコツがいるんだ。森嶋が怪我しないように、サポートしてやるから」

 優希くんがわたしの左手を強く強く握りしめてる。


 そのまま、わたしたちは夜の校庭に降り立ったの。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る