第二階層 スキル


 突如発生したダンジョンに突っ込んでしまった浅見の視界が、薄暗いながらも街灯のある住宅街から、一転して闇に包まれた異空間へと変わる。


「……え? はい?」


 浅見はパニックになりながらも反射的にアクセルから足を離し、ブレーキを踏もうとした――その瞬間だった。


 凄まじい衝撃音が鳴り響き車内を揺るがした。


 シートベルトが食い込み、エアバッグが弾け視界が白く染まる。

 頭がくらくらし、気を失いそうになったその瞬間、耳をつんざく悲鳴が洞窟内に響いた。


「っ……。なんだ今の声……。――そんなことより何にぶつかった!?」


 焦りが募る。震える手を押さえつけてドアを開けると、急いで車の前に向かう。


 そこには、今まで走っていた住宅街とはまったく異なる、ゴツゴツとした岩肌がむき出しになっている洞窟のような場所が広がっていた。しかし、気が動転している浅見は、ここがダンジョンだとは夢にも思っていない。


 車のライトに照らされて横たわっているものを見つけ、浅見は血の気が引いた。ボンネットを見ると、軽くぶつかったとは思えないほど凹んでいる。


「きゅ、救急車……」


 スマートフォンを取り出して119番を押すも繋がらない。画面を見ると圏外になっていた。「なんでだよ!」と苛立つ浅見だが、もう少し周囲を注意深く見れば、ここが日頃走っている道ではないことに気付けたはずだ。


 横たわっているのは、二足歩行の生物だ。足はびっしりと体毛に覆われており、顔は犬や狼に似ている。


 もし探索者ならこれがコボルトだとすぐに分かるのだが、浅見はサラリーマンだ。コボルトの体毛を使った商品を扱ったことはあるが、横たわっているのがそれだとは気が付かない。彼の知識ではこれがコボルトだとは到底理解できなかった。


 慌てふためく浅見が急に天井を見上げた。


『神速の称号を獲得しました。スキル、神速を獲得しました』


 耳鳴りのような感覚とともに、頭の奥に直接声が響いた。呆然としていると今まで薄暗かったダンジョン内が明るくなる。そしてぶつかった相手が人間じゃないと分かった。


 周りのごつごつした岩肌も、同僚が見せてくれた雑誌のスキルを披露する写真の背景と似ていることから察した。


「え、俺……、ダンジョンにいるの?」


 どうすればいいのか分からない浅見は、とりあえず車が入ってきたと思う方向を見る。黒い淵がある空間の裂け目がそこにはあった。奥には見慣れた住宅街が見えている。


 エンジンの止まった車をどうするか迷ったが、白い煙が上がっているのを見ても下手に触らないほうがいいと判断し、徒歩で空間をくぐることにした。


 すると見慣れた水道路に出た。


「よかったぁ……」


 安堵するのもつかの間、いやな汗が伝う。ダンジョンの入口が消えてしまったのだ。


「いや、俺の車……」


 ダンジョンの主を倒すと、そのダンジョンは消える――。


 だが、そんなことを知らない浅見はただ呆然と立ち尽くしていた。そして、気づけば足が自然と家へと向かっていた。


 家に着いた浅見は着替えることもせずにダンジョンの事を調べ始める。


 まずはダンジョンが消えた理由を調べる。そして主を倒すとダンジョンが死ぬ、つまり消えてなくなると知った。


「ってことは、あの毛むくじゃらがダンジョンの主ってことか……。主を倒すのはやめてほしいって言われても……」


 今やダンジョンは大事な『金を生む場』となっている。主を倒した事で財政難に陥った市もあるほどだ。日本では資源確保の観点から、主を倒さないようにお願いしている。


 ただ浅見のあれは事故だ。まさに交通事故で主を倒してしまった。しかも発生から数秒という世界最速記録で。


 発生したてのダンジョンの主はすごく弱いのだが、世界はこれを知らない。ダンジョンは基本的にすぐ攻略されることがないからだ。

 そのせいで、誰も発生直後の主が弱いとは知らないのだ。

 ダンジョンで何が待ち構えているかもわからないのに、すぐさま突っ込む国があるわけがない。装備を整え、議論を重ね、やっとの思いで行動に移る。


 その間にダンジョンは成長し階層を増やす。どこまで成長しているかは、そのダンジョンの最下層である主に遭遇するまでは分からない。


 最下層部で3層しかない小さなダンジョンも中にはあるが、そういったダンジョンは初心者用として利用されている。


 偶然が重なった結果、浅見は最速で主を倒し『神速』というスキルを授かったわけだ。


 次に浅見は頭の中で響いた声の正体を探ることにした。


 ダンジョン協会のホームページを開き、『スキル一覧』のページをスクロールする。


 『さ行』を何度見返しても、『神速』の文字は見つからない。



「……無いか。そういや称号ってのも言ってたっけ」


 ダンジョン協会のホームページをいくら探しても『称号』の文字はなく、検索エンジンで調べるもヒットしない。


「試しに使ってみるか? なんとなく使い方は分かるらしい、けど」


 物は試しとパソコン画面を見ながら、深く集中する浅見。そしてため息を漏らす。


「そういやダンジョンの中でしか使えないって言ってたな」


 年甲斐もなくはしゃいでいるようで少し恥ずかしそうに頬をかいていた。



 次の日の昼休憩。昼食中の浅見に隣に座る同僚が話しかけてくる。


「今日はお前の車が止まってなかったけど歩きか? まさかダイエットとか?」


 口の中に入っている米を茶で流し込むと、浅見は椅子を転がして男のほうに寄った。珍しく寄ってくる浅見に男が少し驚いたような表情を浮かべる。


「実はな……。……いややっぱ止めとく」

「おいおいおい。そこまで言っておいて止めるなんて、気になって仕事が手につかなくなるぞ」

「普段からサボってるくせによく言うよ」


 こうして浅見は小声で昨日の出来事をざっと説明する。だが男の盛り上がり方を見て、危険な感じがした浅見はスキルのことを伏せて説明を終えた。


「ってことは、何かスキルをもらえたんじゃないのか!? えっと、確か……、これ見てみろよ。『主を倒せばスキルが得られる可能性が高い』ってあるだろ? 倒せないから誰も検証できないっていうし、お前はどうだったんだ?」


 男は興奮した様子でスマートフォンを操作して、スキルの獲得方法を研究しているグループのホームページを見せる。

 どうやら男は日頃から探索者やダンジョンの事を調べているようだ。何も知らない浅見が珍しいともいえる。


「頭の中に声が聞こえるとか言うやつだろ? なんにも無かったな。生まれたてのダンジョンの主は弱いとかで、それに当てはまらないんじゃないのか?」


「そっかぁ……。格闘技のチャンピオンも生まれたては弱いもんな……」


 浅見は適当にごまかすと男は変なことを言って自分で納得していた。突っ込まれても困る浅見は話を変える。


「そんなことより車だよ車。消えてなくなったんだぞ。どうすりゃいいんだよ」

「ダン協にでも行って聞いてみたらいいんじゃね?」

「ダンジョンに車で突っ込んで事故で主を倒してしまって車が消えましたって?」

「はっはっは。面白いな」

「笑いごとじゃねえっての」


 この日浅見は、ダンジョン協会に行くために仕事を早めに切り上げたのだった。




 和歌山城の北側にある和歌山市役所。昔は17時過ぎに閉まっていたが今では24時間開いている。ただ、窓口などはほとんどが閉まっている。唯一空いているのがダンジョン協会の窓口だった。


 正面玄関から入り、総合案内を超えた先にダンジョン協会の窓口はあった。20時を過ぎたころということもあり、庁舎内はあまり人がいない。浅見はダンジョン協会の職員らしき制服を着た女性に声をかけた。


「あの、すいません。お聞きしたいことが」

「はーい。なんでしょうかー?」


 にこにこと活発そうな女性だった。後ろで一つにまとめられた髪が左右に揺れている。名札には日下部とあった。


 浅見は椅子に座ると昨日のことを話始めた。


「昨日の夜に、車で走っていたらダンジョンに入ったみたいで、主を轢いたみたいなんですよね。で、壊れた車をどうしようもなくて、歩きでダンジョンを出たら、そのまま消えちゃって困ってるんですけど……」

「――えっ!?」



 驚いた声がフロアに響いた。日下部は分厚いファイルを足元から取り出してばっさばっさと勢いよくめくる。


「まず、車ですけど諦めてください。二度と同じダンジョンは開かないといわれています。それよりも場所はどこですか?」


「えーっと、このあたりです」


 浅見は地図で昨日の場所を指した。


「ものすごく住宅地ですね。……うーん。どうしたものか……」


 日下部が何を迷っているのかわからない浅見は聞いた。


「どうしたって、何がですか?」

「いや、うちってダンジョンの主を倒すなって方針じゃないですか? それに3つ目のダンジョンで更に集客が見込めたのに、それが無くなったとなれば、それはもう、すんごい怒られると思いますよ」

「え、道を走ってて一瞬のうちだったんですよ?」

「ほら、上の人らってこっちの都合なんてお構いなしじゃないですか。お兄さんが主を倒した、ただその一点だけいわれると思いますよ?」


 この歳になって、すごい怒られるのは勘弁していただきたいと浅見は思う。すると日下部がいい笑顔で言った。


「このまま黙ってたら誰も知らないですし、問題ないんじゃないですか? はい私は忘れました!」


 分厚いファイルをバタンと閉じて、足元へ突っ込んだ。そして1枚の紙を浅見に渡した。


「探索者に興味がありましたらインストラクター同伴でお試しでダンジョンに入れますので是非ご利用くださいませー」


 急に矢継ぎ早に話しだした日下部だが、後ろから誰かやってきたようだ。先ほどの話を聞かれないようにしてくれていたのだ。浅見はありがたく乗っかることにした。


「はい。では後はこちらで考えてみたいと思います。ありがとうございました」


 後はとは車の事を言ったつもりだったが、無事に日下部に届いたようで。


「ドンマイです。お兄さん」と笑顔で頭を下げていた。


 家に帰った浅見は貰ったチラシを読んでいた。

 土曜日と日曜日の午後から、インストラクター同伴でダンジョンに入れる催し物をダンジョン協会が開いているようだ。

 今日は金曜日。

 とくに明日の予定がない浅見はスキルのこともあり、この催し物に参加することを決めるのにそう時間はかからなかった。



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