第2話 もしかして俺たち結婚した?

「——ねえ……おきて……」


 どこかぼんやりと断片的に聞こえてくる声と共に体が優しく揺さぶられている感覚。

 

「ほら、起きなさいってば。はーるーかー」

「んん……?」


 徐々に意識が鮮明になっていって、俺はゆっくりと瞼を開けていく。


「もー。やーっと起きた」

「ち、はや……?」


 ぼやけていた視界が定まっていった先で、エプロン姿のちはやが呆れたように俺を見下ろしていた。


(なんだ、夢か)


 目が覚めたと思ったら、俺はまだ夢の中にいるらしい。

 だって、ここは俺の家の俺の部屋。

 エプロン姿のちはやがいるなんてありえない


(おいおい、いくらなんでも浮かれ過ぎじゃないのか?)


 ちはやも含めて3人と付き合ってしまったとはいえ、初めて出来た彼女。

 

 最初は勢いで決めたとはいえ、本当にそれでいいのか悩んでいたが、実は寝付いたのは明け方近くなくらい嬉しくて浮かれてしまった。

 

 そんな気持ちがこうして夢に現れたってことか。

 にしたって、やけにリアルな夢だな。

 

 手を伸ばして頬に触れてみると、驚くほどにすべすべで、柔らかくて、温かい。

 ずっと触っていたいその感触を堪能するように、頬をそっと指先でなぞってみる。

 

「……んっ。ちょ、ちょっと……いきなりなに? くすぐったいじゃない」


 ちはやが言葉通り、くすぐったそうに身動ぐ。

 けれど、嫌がって逃げたりはせず、どこか嬉しそうに見える。

 

 ……いくらなんでもリアル過ぎじゃね?

 

 すーっと息を吸い込んだ俺は、ちはやの頬から自分の頬に手を移し、つねった。

 普通に痛い。……ってことは……、


「ちはや!? は!? 本物!?」


 驚きで一気に意識が覚醒した。


「なに? もしかして夢だと思ってたの?」

「そりゃ思うだろ!? なんで俺の家にいんだよ!?」


 間違いなく、ここは俺の部屋だ。

 そこで寝ていた俺を起こしに来るエプロン着用のちはや。

 これはつまり……、


「もしかして俺たち結婚した?」

「その勘違いは嬉しいけど、残念ながら違うわよ」


 違ったか。

 てっきり付き合うくだりがもう昔のことで、それを夢として見たのかと。

 

「おばさまに入れてもらったのよ」

「母さんに?」

「そ。あんたと付き合い始めたから、一緒に登校したい、改めて挨拶させてほしいってメッセージしたら、ぜひ来てちょうだいって」

「あー……納得」


 実はちはやのみならず、柚乃もライラもうちの母親とは顔見知りの仲だったりする。

 1年もそれなりに仲良くしてたらまあ、家に来る機会が何度かあったわけだ。


「朝ごはん、もう出来てるから」


 そう言い残して、ちはやが部屋を出ていく。

 その横顔は、今にも鼻歌を歌い出しそうなくらいご機嫌に見えた。


 うーん、可愛いなちくしょう。

 ときめきを抱きつつ、俺はのそりと立ち上がり、洗面所で顔を洗ってからリビングに向かう。


「あれ? 母さんは?」


 リビングに入るとちはやだけだった。

 専業主婦の母さんは、この時間はいつもなら朝食食べながら寛いでるはずなのに。


「あーえっと……申し訳ないからあたしは止めたんだけどね? 2人きりにしてあげたいから小1時間くらい散歩に行ってくるって」

「……なにやってんだあの人」


 運動不足で体力ないくせに小1時間の散歩て。

 そこまでして余計な気を遣ってんじゃねえよ。


 ちなみに父さんは単身赴任中で、俺にきょうだいはいないので本当に2人きりだ。


「ったく。付き合ってるの、ちはやだけじゃないって言ったらどういう反応になるのか今から怖いところだな」

「あ、それならあたしからある程度の説明はしちゃったんだけど……」

「え、マジで? どんな反応だった?」


 うちの母さん、ちはやと柚乃とライラのことは気に入ってるし、だいぶ寛容な人だけど、さすがに3股ってなったらいい顔はしなかったんじゃ……。


「喜んでたわ」

「息子の3股を!?」


 なんのお咎めもなく散歩に行ってる時点で薄々察してはいたけど、寛容にもほどがあるだろ!? ありがたいけども!

 

「将来誰が義娘になるのかしらねぇ、って楽しそうだったわ」

「そんで気が早えなおい!」


 なんでまだちょっと状況を受け止めきれてない本人よりもしっかり受け止めた上で先のステップに進んでんだよ!


「……はぁ。とりあえず、あとで俺の口からもちゃんと説明しとかねえとな。お前の親にもちゃんと挨拶させてくれ」


 さすがに女子にばかり説明を任せて男の俺がだんまりを決め込むわけにはいかねえしな。


 そう呟くと、ちはやが少しだけ口角を上げて俺を見てくる。


「なんだよ?」

「んー? あんたのそういう誠実で真面目なとこ、好きだなーって思って」

「っ! か、からかうなよ!」

「ふふっ、本心よ。照れなくてもいいじゃない」


 こいつ、告白っていうステージ超えたからってガンガン気持ち伝えてきやがって……!

 

 ダメだ、ここでやり合うのはあまりにも分が悪い。

 俺は沈黙という撤退を選び、食卓につく。


 ホットサンドにサラダ、コーンポタージュというラインナップは否応なく、食欲をそそるものだった。

 

「おばさまからなんでも好きに使っていいって言われてるんだけど、飲み物はなにがいい?」

「じゃあ、麦茶。いただきます」

「はい、召し上がれ」


 言うや否や、ホットサンドにかぶりつく。

 気持ち厚切りのベーコンに、絶妙な塩加減と半熟具合のスクランブルエッグ。


 控えめに言っても超美味い。

 こいつの料理の上手さは知ってるが、簡単なスクランブルエッグ1つとっても、それを感じられる。


「美味い」

「ありがと。そう言ってもらえると作ったかいがあるわ」


 ちはやが満足そうに笑う。

 その笑顔に思わずドキッとしてしまった。


 うーん、この美少女。一体朝からどれだけ俺をドキドキさせれば気が済むのだろう。


(それにしても)


 俺は改めてちはやを眺める。


 ぱっちりとした二重のややつり目がちな瞳。

 全体的に可愛い寄りに整った顔立ち。

 身長こそ女子の平均くらいだが、モデル体型と言えばいいのか、すらりとした体なのに出るところは出ているメリハリのある体付き。


 下にきょうだいがいるせいか、面倒見がよく、世話焼きで、家事も万能。

 クラスでも男女問わず人気者で、女子の中心的な存在。


 ……なんでこいつ俺のこと好きなんだ?


「なに? どうしたの?」

「いや、なんでお前ら、俺のことを好きなんだと思ってさ」


 S級美少女と揶揄されるこいつらとは違って、俺は際立って秀でた部分のない平凡男子。


 身長だって平均くらい、顔立ちはまあ悪くはない程度。

 そんな俺がちはやたちみたいな美少女に告白され、付き合うことになっているなんて、我ながら違和感しかない。


「あんたを好きな理由?」

「ああ。まあ、言いにくければ言わなくてもいいけど」


 聞いといてなんだが、聞いたら聞いたでこっちが気恥ずかしくなりそうだ。


「別にいいわよ、話すくらい。……そうね、明確に意識し始めたのは男子に告白された時にされた質問からかしら」

「男子からされた質問?」

「ええ。どんな男がタイプなんだって聞かれてね。そこで、思い浮かんだのが遙だったの」


 話しながら、ちはやが俺の対面の席に腰を落ち着ける。


「チビたちを助けてもらったじゃない? そのチビたちもあんたに懐いてるし、最初から印象は悪くはなかったのよ」


 チビたち、というのはちはやのきょうだいのことだ。

 ちはやは4人きょうだいの長女で、下に次女、その下に双子の兄妹がいる。

 

 今からちょうど1年前くらいに迷子になっていた子供を助けたら、それが偶然ちはやのきょうだいたちで。

 その縁もあって、同じクラスだった俺たちは自然と話すようになったんだよな。


「そんなこんなで最初は遙ならいいかなーだったんだけど、意識したら自然と遙がいいなーってなったって感じね」

「お、おう。そ、そうか」


 やっぱり聞いたら聞いたで気恥ずかしくなるだけだったわ。

 

 でも、他の2人のも気になる。

 俺は3人の中から1人を選ばないといけないわけで、好きになった理由を聞くのも大事なことだろう。


 ……それはそれとして今は小っ恥ずかしいし、話を逸らさせてもらうけども!


「話は変わるが、ここに来てることは2人には言ってるのか?」

「え? 言ってないわよ。柚乃もライラも大事な友達だけど、ライバルだもの。塩を送るのは告白現場を作ったのと全員で付き合うって提案だけで十分でしょ」

「ライバルって……言いたいことは分かるが、これでお前らの仲が悪くなるのは俺が辛いぞ」

「大丈夫よ。あんたに告白する前から3人全員の気持ちを全員が知りつつやってたんだから。このくらいで揺らいだりしないわよ」

「ならいいが……」

「というか、出し抜くつもりならそもそも告白するって教えないし、全員で付き合ってフェアに勝負、みたいな提案もしないって」


 それもそうか。

 きっと、3人の中で俺に分からない取り決めみたいなものが決められてるんだろう。


「まあ、もし教えても、あの子たちが来られるとは思えないけど」

「その心は?」

「柚乃は朝めちゃくちゃ弱いし、ライラは朝から家に行くなんて迷惑になるかもって考えるタイプだから」

「なるほど」


 その点、ちはやは行動力はあるし、普段から家族の朝食とか弁当を作ってるから、朝強いんだよな。

 

 納得して、ホットサンドをもうひとかじりしていると、ちはやが「だから」と口を開く。


「この時間帯はあたしの独壇場」


 ちはやが不敵な笑みを浮かべ、俺を見てくる。


「これからも、こうやってガンガンアプローチして、絶対にあんたの1番になってみせるから。覚悟しててよね」


 パチン、とウィンク混じりに宣言され、俺はまた不覚にもドキッとしてしまう。

 それを誤魔化すように、俺は麦茶を口に含んだのだった。

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