第2話 蝶々の向かう先は(二)
大通りを抜けて道が細くなる。その先で大きな池のある公園に出た。利用者は少なく静かで開放感があって、落ち着く場所だ。天気も良く、雲ひとつない快晴で外出日和。今日はここで時間を潰していこう。
どこか座れる場所はないか。僕は公園内に入り、辺りを見回した。池の片側を囲むように横長のベンチが一つ、二つ、三つ。そのうち二つはすでに先客で埋まっていた。
一番手前の真っ赤なベンチにはサングラスにアロハシャツ姿のファンキーなおじいさん。アロハシャツって長袖タイプもあるんだ。おじいさんは新聞を読みながらうとうとしていて、チラシが地面に落ちてしまっていた。僕は起こさないようにチラシを拾って上に積もったこげ茶色の砂を落とし、おじいさんの座る横、杖の置いてあるそばに置いておいた。置いた瞬間、おじいさんがびくりと跳ねたのでとても驚いた。その拍子におじいさんが読んでいたトップ記事部分が見えた。仰々しい見出しだったが、僕はその下にある小さなコラム部分の方に目がいった。
「家出したバティを探しています」
ペット探しの依頼文だった。新聞紙面の割に色鮮やかで目を惹かれたのだ。新聞は長く開いていないが、最近のはこんな風になっているのかと、なんだか新鮮に思った。
二つ目の青色のベンチにはニット帽にパーカー姿の男の人。帽子の下から覗く髪は茶色で、若い青年という感じだ。この時間に公園にいるくらいだから、大学生ぐらいだろうか。スケッチブックを持って前方をチラチラみながら絵を描いているようだった。池には周りから中心の方に向かう道が一本あって、池の中心部には桜の木が一本立っていた。ここの桜はまだかろうじて桃色が残っていた。
うん、やっぱり桜は木を彩ってこそだ。
前を通り過ぎるのは申し訳ないので、後ろの方からそっと通り抜けようと脚をむける。ふと見ると、青色のベンチの後ろに白い絵の具のついた筆が転がっていた。お兄さんはヘッドホンをつけていて声をかけるのも憚られた。僕はベンチに転がっていたピンクや空色の絵の具チューブの隣に筆をそっと差し込み、そそくさとその場を離れた。後ろから少し見えたが、お兄さんは空をバックに池の真ん中の桜の木を描いていた。その絵の中では池に続く道が描かれておらず、池に木が浮いているような構成でなんだか幻想的だった。
僕はその奥の黄色のベンチに腰を下ろした。澄んだ空気を吸い込み、大きく吐き出す。なんだか頭がクリアになった気がする。鞄を下ろし、中から文庫本を取り出した。ここで読み切ってしまおう。僕はお気に入りの桃色の栞を抜き取り文庫本を開いた。
一時間半ぐらい経っただろうか。学校帰りと思しき小さい子どもたちがちらほら見える。気づけばおじいさんもお兄さんもいなくなっていた。良い時間だし、良いリフレッシュができた。読みかけのものもちゃんと読み切れたことだし。僕は文庫本を閉じ、首をぐりぐり回した後、腰を上げた。
ベンチを後にして来た道を戻るように帰路に着く。一度通った道でも逆に歩くだけで景色が違って見えるから不思議だ。この一見無駄に見える往復が僕は結構好きだったりする。次の交差点を右に曲がれば家に着く。あ、その前にスーパーで卵を買っておこう。確か今朝で切らしていたはずだ。
家に帰って夕食を済ませ、一息つく。
僕は目の前に並ぶ品々を見渡した。さて、これはどうしたものか。
僕を悩ます物品は二つ。一つ目は、おじいさんに渡したチラシの束。二つ目は、お兄さんに渡した絵筆だ。……まさか二つとも持ち帰ることになるとは。
なぜ彼らに渡したはずのものを僕が持ち帰ったのか。答えは簡単、これが彼らのものではなく両方とも別の人の物であったからだ。ちょっと気になることがあったので公園から帰る際に念の為二つのベンチを確認しておいたら案の定、二人とも置いて帰っていたというわけだ。
おじいさんはトップ記事部分を読みながら寝ていた。つまり、まだ新聞を開いておらず、中に挟まっているはずのチラシが落ちる可能性は低い。さらに、チラシには払わなければ落ちないほどの砂粒が積もっていた。ある程度の時間が立っていないとあの量の砂はたまらないはずだ。ましてまだトップ記事面からページが進んでいなかったのだから。
お兄さんは空をバックに池、桜の樹を描いていた。今日は雲ひとつない青空であり、彼はピンク色、空色の絵の具を持っていた。赤に白、青に白という混色は必要ないだろう(単に僕が美術に疎いだけで実際はそうではないかもしれない)し、見た感じだと、白を単色で使うタイミングはなかったはずだ。落ちていた絵筆には白い絵の具のみがついていた。さらに、あの公園の地面は焦茶色の砂だった。使ったばかりの乾いていない絵の具が地面に落ちたならばあの砂がくっついているはずだ。落とされた時点で、絵筆は使われてから結構な時間が経っておりもうすでに筆先の絵の具は乾いていたということだろう。
もちろん、必ずそうだとは言い切れない。けれど、チラシの隣に置いてあった杖も、絵筆の隣に置いてあった絵の具も無くなっていたからその可能性が高いと思った。だから持ち帰ってきたというわけだ。まあ、わざわざ僕が持ち帰らなくとも良かったのかもしれない、とは思うが。仕方ない、気になってしまったのだ。
チラシを一枚ずつめくっていく。スーパーの特売日の宣伝のチラシ、電化製品の掘り出し物のチラシ……まあ、チラシなんて落とし物でもなんでもなくただのポイ捨てであってもおかしくはない。と考えつつも僕は律儀に全て確認していった。果たして、一番中央に挟まっていたチラシは手書きだった。
『湖と海の出会い』
あと戻りするなら今のうち
悔いてもまだ間に合う折
あとすこしの辛抱で良い
そうすることでも同じこと
それでも乗ると言うのなら
私はキミとはしると決める
私のみにくいひきょうさ
キミはいっしょに背負ってくれる
私の心の深い気持ち知ってくれる
何も知らないキミはじかくなく
それでも私といてくれようなら
蝶々の停まった先で会おうと思う
なんとなくわかるようでわからないような文章だ。
チラシは黒の紙に白い字の手書きで書かれていた。そしてその黒い紙の枠を縁取るように、赤、青、黄色。
裏面には何も書いておらず黒い紙面が広がっていた。一体何のチラシなのか。何かの宣伝?いや、勧誘か?それなら、何の?
一旦チラシは置いておくことにし、白い絵筆を見る。平たい筆先の絵の具はかちかちに固まっている。持ち手部分は薄い黄色で、名前などが書いているわけでもなかった。絵筆を持ち替えて持ち手の頭部分も見てみたが色が少々はげていること以外は側面と変わりはなかった。
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