第14話 告白未遂の夜

 透真たち6人がテレビ出演や練習に明け暮れているうちに、夏は一瞬で過ぎた――彼らの忙しさに、季節が追いつけなかったほどに。心まで焼き付くような日差しは日に日に柔らかさを増し、夏の終わりは静かに近づいてきていた。 

 Serilionは今や、押しも押されもせぬアイドルとして知名度を確実に上げている。特にセカンドシングル『Colorless Love』は楽曲のクオリティが評価されて、ミリオンセラーとなった。これは無名事務所からデビューしたアイドルとしては異例を超えて奇跡だ、とも言われていた。

 そして、今――Serilionはファーストアルバムの準備の真っ最中だった。ついこの間セカンドシングルを発売したばかりだが、事務所としては売り時を逃せないのだ。メンバーたちは束の間の休暇を取った後は、また無休で働き続ける生活に戻っていた。

「あー……疲れた」

 透真はアルバムのタイトルソングのレコーディングをいち早く終えると、珍しく愚痴を零した。

 スタジオを出ると、夜の空気はすっかり冷え込んでいた。ビルの間に細く切り取られた空には、星がわずかに瞬いている。昼間は賑やかだった通りも、今はほとんど人影がなく、遠くでタクシーが流しているのが見えるだけだ。

 透真は深く息を吐いた。何時間も歌っていたせいで、喉がまだじんと熱を持っている。隣を歩く澪も、無言のまま肩を落としていた。レコーディングは充実していたが、長時間の歌唱と集中で、ふたりとも疲労は隠せない。それでも、透真と澪はまだマシなほうだった。まだスタジオに残っている他の4人は、いつ帰れるのか見当もつかない。もしかしたら、朝までかかるかもしれなかった。

「……そういえば、空翔はどうして残ってたんだ? あいつ、今回はパート少なかったのに」

 澪が思い出したように透真へ尋ねる。

「ああ、空翔はほら、曲作りをしたがってるから。レコーディングついでにプロデューサーからアドバイスもらいたいんだって」

「へえ。疲れてるだろうに、熱心だな」

「空翔はSerilionオタクだから」

 透真はそう言って笑いながら、ふとかつての親友のことを懐かしく思った。フライも空翔みたいにSerilionが大好きだった。今も彼はSerilionを応援している気がした。

 この世界にもフライがいるのなら、会いたい。会ってくだらない話をして笑い合いたい――透真がノスタルジックな気分に浸っていると、不意に「ぐう」と腹の音が鳴った。

 ちょうど交差点の先にコンビニの明かりが見えた。無機質な蛍光灯の光が、薄暗い街路を青白く照らしている。自動ドアが開くたびに、冷たい店内の空気が外へ漏れ、ほんのりと食品の香りが混じる。

「あー……どうしよう。腹減った。めちゃくちゃ甘いものが食べたい。コンビニでなんか買おうかな」

「さっきカップ麺食べてなかったか? こんな時間に食べると顔が浮腫むぞ」

「わかってるけどさあ! どうしても食べたい時ってあるじゃん? それが今」

「食べたら食べたで、絶対後悔するくせに」

 澪がからかうように片口角を上げて笑うと、透真は軽く澪を睨みつけた。

「澪くんだって甘いもの好きなくせに、強がるなよ。好物はチョコレートクッキーだって、俺は知ってんだからな」

「……コンビニのクッキーも、そこそこ美味いんだよな」

「だろ~? 一緒に夜食買いに行こう! 近くのコンビニならすぐだし!」

 澪とふたりで食べることを免罪符にするかのように、透真はご機嫌な調子で澪の腕を引き歩き出した。

 夜の街は静まり返り、時折遠くで車が走る音がするだけ。コンビニの自動ドアが開くと、冷たい人工の光がふたりを照らし、ガラスに映る自分たちの姿がぼんやり揺れる。

 店内に足を踏み入れると、レジの電子音が響く。棚にはカラフルなパッケージが並び、冷たい空調が肌を撫でた。

「……あーっ、澪くん、澪くん! こっち来て! これ、この期間限定のやつ、すげえ美味しいから食べてみなよ! 澪くん絶対好きだから!!」

 それは、前世で澪が「ライブ本番前によく食べるお菓子」として紹介していたクッキーだった。

 ――千景澪が紹介した後、全国のコンビニで品切れしまくったやつだ。懐かしい。

 あの時、夜中に何軒もコンビニを巡った。たかがクッキーを手に入れるためだけに。今、目の前にいる澪はそんなことを知る由もなく、何気なくそのクッキーを見つめている。それがたまらなく不思議で、胸がざわついた。

 透真が当時の懐かしさに大興奮して澪を呼びつけると、澪は慌てて透真の口を手で押さえる。

「大声で名前を連呼するなって! また店内で大騒ぎになったら迷惑だろ」

「大丈夫だって。夜のコンビニってなんかワクワクするよなー」

「お前、本当に能天気だな」

 澪は手のかかる弟を見るように透真を優しく見下ろした。透真はその視線に気づく様子もなく、陳列されたお菓子を眺めては、どれを買うべきか悩んでいる。

 透真が迷っていると、澪が「これが美味しいぞ」と自分のおすすめを渡してくる。

「澪くん、こういうの詳しいんだ」

「たまに龍が買ってきたやつを食べてるだけだ」

 自動ドアの開閉に合わせて、夜の湿った空気とコンビニの冷気が混ざり合う。澪が無言で棚を見ている間、透真はきょろきょろと店内を見回しながら後ろをついていく。冷蔵ケースの前でふとふたりの目が合い、どちらともなく視線を逸らす。

 ついこの前、観覧車の中でほんの一瞬、澪と唇が触れそうになった。たったそれだけのことなのに、忘れたくても忘れられない。あれは何だったんだろう。

 ――邪念に支配されるなんて、俺はSeraphs失格だ……。

 透真は己に罰を与えるために、唇を噛みしめた。悟りを開いた仏僧かのように神妙な表情を作り、スイーツコーナーからシュークリームを選び手に取る。そして、澪のほうを見ないように本能と抗いながら、粛々とレジに並んだ。

 レジにはアルバイトの店員がひとりいるだけで、棚の間には静寂が広がっていた。会計を終えると、冷蔵ケースから持ってきたカフェラテのカップとお菓子の入ったレジ袋を片手に、透真と澪はイートインスペースの隅に腰を下ろした。

 澪が今しがた買ったクッキーの袋を開けると、透真が袋の中を覗き込む。

「ひとつ食べるか?」

「……あ、いいの? ありがとう」

 かつて幻とまで言われたクッキーを受け取り齧ると、透真は自然と笑顔になった。記憶していた味と変わらぬ美味しさだった。

「うん、美味しいなこれ」

「でしょー。澪くんなら気に入ると思ってたよ」

「透真はなんでそんなに俺のことを知ってるんだよ……」

 夜更けのコンビニには、ほかに客の姿はなかった。外の街灯が窓ガラスに反射し、薄ぼんやりとした光がイートインのテーブルに落ちている。透真はシュークリームをかじりながら、がらんとした店内を見渡してつぶやく。

「こうしてコンビニにいると、なんだかまだ一般人みたいな気分になるなあ」

 生まれ変わってから、もうだいぶ時が経った。歌やダンスも始めた頃に比べると見違えるように上達した。けれど、いつまでもただの一般人だった感覚は消えないものだった。

「澪くんって、なんでアイドルになろうと思ったの?」

 そういえば、どのインタビュー記事でもこの質問はされていなかった。透真が前から気になっていたことを尋ねてみると、澪は少し考え込んだ後、静かに答える。

「子供の頃、母親にたくさん習い事をやらされてたんだ。ダンスもその中のひとつに過ぎなかったんだけど……踊ってる時だけは『俺は自由だ』って思えた。観客の視線が俺を認めてくれてる気分だった。ステージの上でなら、俺はいくらでも輝ける。だから、ずっと表舞台で踊っていたかったんだ」

 澪はそこまで話すと、カフェラテを少し飲んだ。

「……凛冴に怪我させちまってからは、ぐらついてたけどな。それでも、俺を待ってるファンがいるって信じたかった」

 食べ終わったクッキーの包み紙をじっと見下ろして、澪はつぶやいた。そんな澪を見て、透真の中に熱い気持ちが込み上げてくる。

 透真は澪を元気づけるように、彼の肩にそっと触れた。

「澪くんはたくさんの人を救ってるよ。それは紛れもない事実だ」

「……ありがとう。なんか透真にそう言われると、本当な気がするよ」

「だから本当なんだってば」

 ステージ上での堂々とした姿とは裏腹に、どこか自信なさげな澪がもどかしかった。文字通り人生を救われたファンがここにいるんだ――透真は叫びたくなったが、なんとか堪えた。

「透真は? どうしてアイドルになろうと思ったんだ」

「俺? 俺はねー……」

 久しぶりに家族の顔を思い浮かべる。優しかった母親、父親。仲の良かった兄……。もう二度と会えない家族たち。埋められない穴となった傷が、今も思い出すたびにじくりと痛む。けれど、それ以上に自分はもう止まらない。もう大丈夫。そんな心強い信念が透真を支えていた。

「……少し前に、家族が事故でみんないっぺんに死んじゃってさ。もう生きてる意味もわからなくなって、何もできなくなった時期があったんだ。そんな時、もう一度生きることを頑張ろうと思えたのは、あるアイドルの踊りを見たからなんだ」

「そうだったのか。悪い、つらいことを聞いた」

「別に大丈夫だって。俺は、澪くんの隣でアイドルをやれてる今が幸せだよ」

 透真は過去を振り切るように笑った。澪は透真の頭を軽く撫で、「それならよかった」と微笑む。

 幼い頃の夢、憧れた存在、思いがけず訪れた転機。互いの言葉が重なるうちに、少しずつ視線が絡み合う。コンビニの中は空調が効いていて寒いほどだったが、ふたりは不思議と温かいとさえ感じていた。

「あ、透真。クリームついてる」

「え?」

 透真の口元には生クリームがついている。澪が指差すと、透真はシュークリームを握ったまま止まり、舌を伸ばしてクリームを舐めとった。澪はわずかに息を呑んだ。店内のBGMが緩やかに流れる中、静寂がふたりを包み込む。

 次の瞬間、澪が身を乗り出す。気がつけばふたりの唇が触れていた。柔らかく、温かく、けれどどこか確かめ合うような、迷いの混じるキス。僅かに触れた舌先からは、カフェラテの甘い香りが混ざる。透真がふっと目を開けると、すぐ目の前で澪の長いまつ毛が震えていた。いつも冷徹な光をたたえている彼の瞳も、今は熱を帯びている。

「れ、澪くん……今のって……」

「……ごめん。我慢できなくて、つい」

「えっと、謝ってほしいわけでもなくて……その、こういうことされると期待しちゃうんだけど」

「それは、嫌じゃなかったってこと?」

「うん」

 真意を探るように見つめてくる澪に、透真は頷いた。キスしたばかりの気恥ずかしさがふたりを包み込み、そわそわと視線を彷徨わせている。

 ――俺、目を開けたまま寝てんのかな? いや、夢でもいい。このまま覚めないでくれ!

 透真は心の中でそう絶叫していたが、表面上はまだ冷静さを保っていた。顔を上げると、自分の様子を伺っている澪と視線がかち合う。これまで見たこともないくらい澪の視線が熱くて、焼け焦げてしまいそうだ。

 ――告白するなら、今しかないんじゃないか?

 透真の中に、そんな決意が浮かぶ。

「俺、ずっとずっと前から……」

 ゆっくりと、慎重に言葉を探しながら透真が口を開いた。その声に導かれるように、澪が静かに視線を向ける。

 その刹那、夜の静寂に染まるガラスの向こうで、小さな閃光が揺れた。澪が何かを感じたように、微かに眉を寄せる。だが、透真は気づかない。

「澪くんのことが――」

 そのまま続きを話そうとしたとき、不意に透真の動きが止まった。

 澪の視線が絡みつくようにまっすぐに向けられ、透真は息を呑む。互いの顔の距離が思った以上に近いことに、ようやく気がついた。まばたきの間も惜しむように見つめ合う。空調の冷たい風が肌を撫でるはずなのに、透真の体温はわずかに上がっている気がした。

 けれど、そのわずかな静寂の瞬間、カメラのレンズがもう一度、わずかに光を反射した。それは、外の暗闇に潜む気配。窓の外のわずかな影が、カメラのシャッターを静かに切った――。

「透真!」

 澪が透真を呼んだと同時に、透真は眩しさを感じて窓の外へと視線を向ける。またカメラのレンズがきらりと光り、澪は慌てて透真の首根っこを捕まえて窓から顔を遠ざけさせた。

「なんだろ、今の光……」

「……わからない。けど、嫌な予感がする。すぐに宿舎へ帰ろう」

 困惑する透真を連れて、澪は急ぎ足でコンビニを出ていく。

 人気のない歩道に白い街灯がぼんやりと光る。アスファルトに落ちる影はくっきりとしていて、足音だけが静かに響く。澪は何度か後ろを用心深く振り返ったが、幸い後をつけてくる人間はいないようだった。

 念のために遠回りをして宿舎に戻った後、澪は真剣な顔で「しばらくは外出しないほうがいい」と言うと、自分の部屋に戻ってしまった。温かかった澪との時間は、突如混沌の渦中に巻き込まれた。

 ――もしかしたら、澪くんといるところをファンに見られたのか? いや、でもせめて「好きだ」って言いたかった……。

 透真は何が起きたのか理解しようと努めながらも、告白が中途半端に終わったことを悔やんでいた。

 そんな透真の背後では、悲しそうな顔をしたミミルが透真を見つめていた――。

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