第3話 それぞれの孤独

 宿舎の外へ一歩踏み出すと、明るい太陽の光が目を直撃した。透真は陽光を手のひらで遮り、大きな欠伸をかみ殺す。連日深夜まで練習をしていたせいで、慢性的な寝不足に陥っていた。目蓋の痙攣が収まらない。それなのに、今日もこれからダンスの全体練習がある。午後は歌のレッスンだ。

 スタジオの扉を押し開けながら、胸の奥に重くのしかかる疲労を振り払った。Serilionの追加メンバーとして生活するのは、想像以上に大変だった。特に透真はダンスの才能がなかったので、人一倍努力しなければならなかった。レッスンの後に夜中まで練習し、ほんの少し眠ったかと思うと早朝からまた練習。満足に食事を取ることすらままならない。そこまでやっていても尚、ほかのメンバーに追いつけなかった。

「……おはようございまーす」

 挨拶すると、ストレッチをしている澪の姿が目に飛び込んできた。澪は透真を見て軽く会釈をしてから、無表情で床を見つめている。

 ――仲良くなる……にしても、あんなに話しかけづらいオーラだと、どうにもならない。

 透真は澪を見つめて、密かにため息をついた。澪はわざと他人を遠ざけているように見える。

 推しと同じアイドルになる、ということ。これが夢や妄想に過ぎなかったら、きっと『推しと同じ空間にいられる!』と自分もはしゃいでいたはずだ。恋人になるのはおこがましいとは思うが、せめて親しい友人になろうと努力しただろう。

 けれど、現実はそうそう簡単にはいかない。

 かつて、少しでも澪に近づくためダンスを習っていた。今だって近づきたかった。それなのに上手くいかない……。

「おっはよー、トーマ! ……なんでそんな難しい顔して澪のこと見てんの?」

 一足遅れてスタジオに入ってきた空翔が透真に抱き着く。澪をまだ見ていた透真の様子に、訝し気に尋ねた。

「ちょっと気になってさ。澪くんっていつもひとりでいるよな」

「んー、そうだね。律音と凌介は仲良しだけど、澪はあのふたりとも距離があるかも」

「それがおかしいんだよな……なんでだろ?」

 元の世界では、Serilionの年上組である澪、律音、凌介はお互いを信頼していたし仲が良かった。Serilionの公式チャンネル動画で見ていた澪の様子は、明るいお兄さんキャラで、ほかのメンバーとじゃれ合うほど仲が良さそうだったのに……。

「俺に聞かれてもわかんないよ~」

「だよな。ごめん、ごめん」

 困ったように泣き真似をする空翔。透真は笑いながらも、『この世界の澪に重大な何かが起こったに違いない』と確信し始めていた。

 ――そして、今日も練習が始まる。

「透真、腕の角度に気をつけろ! そこは昨日も注意したはずだ」

 律音から厳しい声が飛んでくる。指摘された瞬間、透真は慌てて腕を直した。けれど、鏡に映る自分の姿はまだぎこちなく、肘がわずかに高すぎる。

「すみません!」

 透真は汗を拭いながら、肩をすくめた。初日は少し怖気づいていた律音の叱責にも、今では慣れつつある。繰り返し練習した成果もあり、ダンスのフォーメーションを間違える回数は減ってきた。後はダンスの細かいニュアンスをみんなと合わせて熟練度を上げないといけない。

 練習が終わり休憩に入ると、タオルで顔を拭っている透真のところへ凌介が近寄ってきた。

「透真、だいぶ慣れてきたね。途中でぶつかることもなくなったし、偉いよ!」

「いや、まだまだ練習しないと駄目だよ……。振りは頭に入ってるのに、身体が追いつかなくて」

「でも、ダンス初めてまだ1年も経ってないんだよね? この短期間でここまで踊れるのはすごいことだよ!」

「……どうもです。凌介さんは相変わらず優しいんだな」

「相変わらず……?」

「あっ、なんでもない。気にしないで!」

 凌介は前世で外見も中身も柔らかい、優しい人だと評判だった。菩薩のような彼を多くのファンは呼び捨てにはせず、『凌介さん』と呼んでいたくらいだ。澪とは異なり変わらない凌介の姿に安心して、うっかり口を滑らせてしまった。

 傍を飛んでいたミミルが「ちょっと、発言には気をつけてよ~」と不満げな声を上げる。

「文句言ってないで、ご褒美ステータスのひとつでもつけろっての。馬鹿ウサギめ」

 転生ものでは定番の特別な能力もなく、平凡な自分のまま生まれ変わったのだ。外見はいくらか若返ったが、特典と言うには物足りない。透真は天使に対する愚痴をぶつぶつとつぶやいた。

 アイドルになるために必要な特別な才能――それが、今の透真に足りていないものだった。前世と同じくダンスのセンスには難があるし、澪のような周りをハッとさせるビジュアルがあるわけでもない。

 唯一救いなのは、少しばかり歌の素質があったことだった。ダンスのレッスンでは集中攻撃を受けていた透真だったが、歌のレッスンでは褒められることもしばしばあった。前世ではたまにカラオケに行く程度だったが、歌でなら能力を伸ばせるかもしれないと思うと、歌のレッスンに気合が入るようになっていた。

 午後はそんな歌のレッスンがある。壁掛け時計を見上げると、秒針は12時を指していた。レッスンまで少し空き時間がある。

 透真は昼飯がてら通り道のカフェに入ることにした。店内に足を踏み入れると、ほのかにコーヒーとバニラの甘い香りが漂ってくる。

 注文したコーヒーとホットドッグ、チョコレートクッキーを受け取ってから、適当な席に座ろうと店内を見回した。すると、テーブル席で静かに書き物をしている空翔を見つけた。彼は髪色が明るいハニーブラウンだからよく目立つ。

 空翔は普段明るく元気な男だが、こうしてひとりでいるところを観察してみると、とても内気な少年に見えた。

「空翔!」

 透真が声をかけると、空翔は取り繕ったような笑みを浮かべた。

「あれ、トーマじゃん。今日は自主練してないんだね」

「これからボーカルレッスンなんだよ……それ、なんかの歌詞?」

 テーブルの上にあるノートには『崩れた世界、輝きを取り戻せるなら……何度でも生まれ変わろう』というフレーズが書かれていた。透真がノートを指差すと、空翔はさりげなく腕でノートを隠した。

「あ、うん。俺、自分で曲を作ってみたくてさ。歌詞を考えてるんだけど、なかなか進まなくて。難しいもんだね」

「へえ。すごいな」

「すごくないよ。俺は澪たちみたいなカリスマアイドルって柄じゃないし……」

「なーに謙遜してんだよ!」

 透真は笑い飛ばすが、空翔はぎこちない笑顔を浮かべている。曲作りにかなり苦しんでいるようだ。悩んでいる同志を放っておくわけにもいかず、透真は空翔の向かいに腰を下ろした。

 重苦しいため息をついてから、空翔はぽつぽつと語り始める。

「……実は俺、子供の頃は身体が弱くて学校にあんまり通えなかったんだよね。友達もふたりしかいない。だから人と話すのがあんまり得意じゃないっていうか。それってアイドルとしては致命的じゃん? たくさんの人と接する仕事だもん」

「そうか? 十分みんなと仲良くやれてんじゃん」

「それはトーマが話しやすいからだって。俺が緊張しないで話せるの、トーマくらいだよ」

「お、おおー……? ありがとな」

 突然褒められて、柄にもなく照れてしまう。そんな透真を見て、空翔がおかしそうに笑った。笑顔の空翔を見ていると、とても対人関係にコンプレックスがあるとは思えない。太陽のような明るさだった。

 ――人には人の、孤独があるってわけか。

 なんとなく、デビューメンバーとして苦労しているのは自分だけだと思っていた。己の浅い考えを思い改めるのと同時に、ふと澪も前世から抱えていたものがあったのかもしれない……そんなことを思いついた。

「しんどくなる時もあるけど……Serilionのメンバーになるって夢が叶ったんだ。俺はもっと頑張らないといけない。にSerilionを壊されないためにも……」

「アイツ……? よくわからんけど、今みたいに立派な心構えを言える時点で、お前はすごいよ」

 透真はチョコレートクッキーを空翔に渡した。少しでも元気を出してくれればいいと思った。空翔は笑って「サンキュー」と礼を言い、クッキーをかじった。

 その後も、透真と空翔は飲み食いしながらいろんな話をした――Serilionのこれからのこと。メンバーたちのこと。そして、各々の掲げる理想のアイドル像について……。

「やべ、もう行かなきゃ。じゃあな、空翔!」

「うん。また明日ね~」

 レッスンの時間が迫ってきたので、透真は空翔に別れを告げカフェを出た。その後ろを、ウサギの形をした天使がふわふわとついていく。

 空翔と喋っている間、不自然なほど無言だったミミル。普段よりそわそわと視線を彷徨わせているのが、いかにも怪しかった。何を考えているんだか――透真は天使を不審そうに睨みつける。

「ミミルお前、空翔のこと何か知らないわけ? 前の世界にはいなかった奴なんて、いかにも変な事情がありそうで怪しいんだけど」

「……そろそろレッスンの時間じゃないかなあ。トーマ、早く行きなよ」

「あからさまに話を逸らしたな……」

 天使が話したがらないということは、朝霧空翔は何か大きな秘密を抱えているのだろうか。会話の中で出てきた『アイツ』という単語も謎めいていたし――答えの出ない問いに考えを巡らせながら、透真は歩き出した。


 ***


 ボーカルスタジオの空気は、加湿器があるにも関わらず乾燥していた。吸音材が貼られた壁が音を吸収し、外の世界と切り離されたような静寂を作り出している。

 レッスンが始まると、静けさを切り裂くように、部屋の隅に置かれた電子ピアノから和音が鳴った。

「はい、リップトリルからやるよ。息をしっかり流して」

 トレーナーの指示に従い、透真は唇を震わせながら音階を上げていく。しかし、喉に力が入りすぎたのか、途中で音が途切れてしまった。

「力んでるね。肩の力を抜いて、息をもっと下から出すイメージで」

 言われて、透真は肩を回してみる。ピアノの音が再び鳴り、今度は腹の底から息を押し出すように意識した。震える唇の感触を確かめながら、今度は最後まで音を繋げられた。

「うん、さっきよりいいよ。その感覚を覚えておいて」

 小さく頷くと、いよいよ曲の練習に入る。トレーナーの弾くピアノに合わせて、透真は歌い出した。

『空に触れてみたい、すべて飛び越えて今……』

 ──だけど、サビで無意識に声を張り上げてしまった。

「ストップ! 力んでるね。高音を出そうとして、喉を締めてる。もっと息を流して、響かせる意識を持って」

「……すみません」

 悔しさを噛み殺しながら、透真はもう一度、マイクの前に立った。

『――夜明けの約束が呼ぶ、すべてに立ち向かおう』

 喉をリラックスさせることを意識して、声を出す。今度はさっきより突き抜けるような高音が出た。トレーナーも満足そうに頷いている。

「声質はいいし、音感もある。まだコントロールが甘いけど、訓練すればメインボーカルも目指せると思うよ」

「ありがとうございます!」

 レッスンの最後に褒められて、透真は満開の笑顔を浮かべた。自分の可能性が開花し始めていた。


 ***


 夜風が肌を撫でるたびに、微かに湿った空気が鼻をかすめる。宿舎の屋上は昼間の喧騒が嘘のように静まり返り、遠くの車の走る音と、時折聞こえる虫の鳴き声だけが響いていた。

 足元のコンクリートは昼間の熱を吸い込み、まだ少しだけ温もりを残している。その一方で、鉄製の手すりは冷たく、手を添えるとじんわりと体温を奪っていく。

 見上げると、漆黒の空に星がぽつぽつと滲むように浮かんでいた。都会の明かりが空を薄く染め、完全な闇にはならない。それでも、地上よりもずっと暗く静かで、まるで世界から切り離された場所のように感じられた。

 ふと吹いた風がシャツの裾を揺らし、髪をくすぐる。冷たい夜気に包まれながら、透真は深く息を吸い込んだ。

 ——寂しい。まるで世界に俺しかいないみたいだ。

 前世の記憶の中に、似た感覚があった。家族がみんな事故死した日の夜のことだ、と透真はすぐに思い出す。この世界でも、家族は既に亡くなっているとミミルは言っていた。「元の世界よりも時間軸が過去なんだから、生き返らせることだってできるだろ」と透真は天使に抗議したが、「それは規定違反だからできないよ」と言われたので、どうすることもできない。

 落ち込む時期はとうに過ぎた。けれど、透真の中にある喪失の名残は消えない。だから、せめてSerilionと千景澪は失くしたくないと思う。

 心の奥にほんのりと切ない余韻を残したまま、静かな夜が広がっていく。

 沈みそうな気持を振り払うように、透真は『Dawn's Promise』の音源を再生した。考える時間はない。レッスンで注意された部分を意識しながら、踊り始めた。

「……はあ、はあ……っ」

 透真はしゃがみ込み、額の汗を拭い、夜空を仰いだ。ネオンの光が遠くで滲んでいる。今日はいつも以上に体が重い。動きが鈍いのは、疲れのせいか、それともまだこの世界に馴染めていないせいか。

 もう一度踊ろうと起き上がると、屋上の隅に誰かが座っているのが見えた。

 ――澪くん?

 低くなった街灯の明かりの下、ひとり膝を抱えて座るシルエット。その横顔には淡い月光が落ち、黒髪がひらりと揺れる。見間違いかと思って目を擦ったが、確かにそれは千景澪だった。

「こんな時間に何してんの?」

 声をかけると、澪は驚いたように目を見開く。そして、透真の視線を避けるようにそろりと目を逸らした。

「……眠れなくて」

 ぽつりとつぶやかれた言葉は、どこか寂しげで苦しそうだった。

 透真は思わず息を呑む。澪が何を抱えているのかは分からない。でも、前世での彼の輝くような笑顔を知っているからこそ、今の沈んだ表情が胸を締めつけた。

「俺も眠れないっていうか、なんか落ち着かなくてさ! 暇潰しに練習してる」

 元気を装ってそう言ってみたが、澪は何も言い返してこない。

 沈黙の中、少しでも気を紛らわせようと透真は再び曲の始めから踊り出した。だが、その瞬間——

「痛っ」

 足首に鋭い痛みが走る。つい小さな呻き声が漏れた。

 すると、澪がすぐに透真のところへ駆け寄ってきた。

「どうした」

「ちょっと足が痛んだだけ……大丈夫」

 誤魔化すように笑ってみせるが、次の瞬間、澪の手が透真の足首に伸びた。

「見せて」

 低い声が耳元に落ちる。思わぬ接近に動揺しながら、透真はそっと足を差し出した。澪の指先が慎重に触れる。ゆっくりと、痛む箇所を確かめるように。その指の冷たさに透真は少し震えた。

「練習のし過ぎだ」

 澪は小さくため息をつくと、「ちょっと待ってろ」と言い、屋上を出ていく。そして、戻ってくるなり何も言わず透真の足に湿布を貼り、その上を包帯でぐるぐる巻きにした。

 言葉は少なくても伝わる気遣いが嬉しくて、心臓が妙に跳ねるのを感じた。

 ――笑顔がなくても、澪くんの内面は変わってない……。

 変わってしまった澪の『変わらない一面』を覗いた気がして、無性に泣きたくなった。 

 透真は澪の横顔を盗み見る。彼の瞳は遠く、どこか切なげに揺れていた。笑わなくなった理由は、胸の奥底にあるのだろう。

「……追いつきたくて必死なんだろうけど、身体を壊すような無茶はするな」

「え? ああ、うん。気をつけるよ……ありがとう」

 礼を言うと、澪の口元が僅かに緩んだが、すぐに戻った。澪は軽く頷き、屋上を出ていく。

 透真は扉が完全に閉まったのを確認してから、頭上に浮かんでいる天使を見上げた。

「なあミミル。澪くんに何があったのかお前は知ってるんだろ?」

「そりゃあもちろん。僕は神の使いだからね」

「でも俺には教えられないんだよな?」

「そうだよ。トーマもよーくわかってきたじゃん!」

「……はあ。偉そうに……」

 答えを頑なに教えようとしない天使に、透真は悪態をついた。

「澪が笑わない理由を知りたいのなら、まずは信頼されることが重要だね。信頼あってこそ恋心も育めるし……」

「恋心って。まーだそんな与太話してんのかよ」

「与太話なんかじゃない。それがSerilionを解散させないための現時点での最善策だよ!」

「はいはい。勝手に夢見てろ」

 ダンスもまともに踊れない自分の現状では、澪と恋愛をするなんて、まったく考えられなかった。恋愛は抜きにしても、まずは澪に信頼されるようにならなくてはいけない。

 透真はぎゅっと拳を握る。前世では、ただ遠くから憧れるだけだった。でも今度は違う。澪が何かに苦しんでいるのなら、自分が彼を救う番なんだ。

 ――絶対に、澪くんの笑顔を取り戻してみせる!

 澪が巻いてくれた包帯を見つめて、透真は自分自身に言い聞かせるように念じた。


 ***


 翌日の全体練習は、痛めた足のせいで最悪な出来栄えとなった――

 鏡張りのスタジオには、スピーカーから流れるビートの強い音楽が響き渡っていた。床に響く靴音がリズムを刻み、メンバーたちの息遣いが混じる。照明の下、流れる汗が光を反射している。

 透真は振り付けに合わせて体を動かすが、右足を踏み込むたびに鋭い痛みが走った。違和感をごまかそうとするものの、一瞬遅れた動きがズレを生み、隣の空翔とタイミングが合わなくなる。

 「透真、遅れてる!」

 律音の鋭い声が響き、スタジオの空気が引き締まった。透真は慌てて体勢を整えようとするが、次のターンでバランスを崩し、足がもつれてしまう。

 「ストップ!」

 音楽が止まり、張り詰めた沈黙が落ちる。律音が腕を組み、冷たい視線を向けてきた。

 「透真……お前には覚悟が足りてない」

 静寂の中に落とされた言葉が、重く響いた。透真は悔しさをかみしめながら、視線を落とす。足の痛みよりも、胸の奥がじわりと熱くなった。

「同じ新入りの空翔と年下の龍だってできてるのに、どうしてお前はできないんだ? できないなら、睡眠時間を削ってでも練習するべきだろ」

「……こいつは夜中もひとりで練習してる。むしろやりすぎなくらいだ」

 澪が口を挟むと、律音は驚いたように澪を見つめた。

「右の足首。まだ痛むんだろ?」

 澪の言葉に、無言で頷く。すると律音はばつが悪そうに眉を下げ、透真の元へ駆け寄ってきた。

「怪我の具合は? 病院には行ったのか」

「いや、行ってない……けど、昨日澪くんに湿布貰ったから。しばらくしたら治るよ」

「素人判断はよくないだろ。酷くなる前に医者に見てもらえ」

 律音はそう言うと、電話をかけ始めた。事務所のスタッフと話しているようだ。

 怪我のことを黙っていたせいで、余計おおごとになってしまった。みんなの練習も中断させてしまっているのが申し訳なくて、透真は項垂れる。その様子を見ていた凌介が宥めるように透真の肩を叩く。

「律音に叱られたからって、そんなにしょげないで。律音は事務所からグループのリーダーを任されたから、俺たちをまとめようって必死なんだと思う。だから……少しキツイ物言いになっちゃうんだ。理解してあげて」

「うん、わかってるよ」

 前の世界でも、律音と凌介は仲の良いコンビとして有名だった。二人のケミストリーは Serilionオタクの中でも随一の人気を博していたほどだ……そのことを知る透真は、凌介へ意味ありげに微笑む。

「凌介さんは本当に律音と仲良しだね」

「……どうかな。俺ひとりが律音に夢中になってるだけかも」

 少し切なそうな顔をする凌介に、透真は意外だなと思う。自分が知る限り、凌介と律音はデビュー前からの親友で、話さなくても意思疎通のできるツーカーのような関係だった。その友情が一方通行だなんて、ファンたちが聞いたとして誰ひとり信じないだろう。

 凌介は少し離れた場所で通話中の律音を見つめている。その視線は、まるで届かない相手に焦がれるかつての自分みたいで――透真は「まさか……?」と息を呑む。

 透真がこれまで知らなかった凌介の一面に困惑していると、通話を終えた律音が戻ってきた。

「事務所には怪我のこと伝えておいた。透真は練習休んで病院行ってもいいって」

「松葉杖でもあればいいのにねー。どうやって病院まで行くの? タクシー呼んじゃう?」

 龍之介がみんなを見回しながら尋ねる。すると、澪が一歩前に進み出た。

「……俺が病院まで連れていく。龍はタクシー呼んでおいてくれ」

「りょうかーい」

「俺ひとりでも大丈夫だって。澪くんに練習休ませるのは悪いし……」

「この中で俺が一番身長高いだろ。お前ひとり担ぐくらい平気だ」

「でも……」

「乗れ」

 透真がためらっていると、澪はしゃがみ込み背を向けていた。

 ――推しの背中に乗れって!? 無理無理、絶対に無理だ!

 透真は拒否したかったが、立ち上がることすらままならない今、逆らう余裕はなかった。おずおずと澪の背中に腕を回すと、次の瞬間、ぐっと体が持ち上げられる。思ったよりもしっかりとした腕の力に、鼓動が少しだけ早くなる。

 「重いよな……ごめん……」

 「別に」

 短く返される言葉はいつもそっけない。それでも、透真の体がずれないように、澪はさりげなく腕の位置を調整していた。

 タクシーに乗り病院に向かうと、夜の病院は昼間とは違い静寂に包まれていた。受付のカウンターには小さなデスクライトが灯り、待合室の壁掛け時計が規則的な音を刻んでいた。

 長椅子には数人の患者が退屈そうに座っている。会社帰りのサラリーマンや、両親に連れてこられた小さい子供もいた。皆、スマホを弄ったりして早く自分の順番が来ないだろうかと待っている。

「これ、お前の番号札」

「ありがとう」

 待合室の椅子に座っていた透真に、澪が番号札を渡す。相変わらず澪は無表情のままだったが、自分の代わりに受付を済ませてくれる優しさを見せてくれた。

 ――今も変わらずファンサービスの神!

 もちろん自分が澪のファンだなんて彼は知らないだろうけれど、透真は今日一日を通して澪に優しくされ、少し浮かれていた。

「澪くん、今日は本当にいろいろとありがとう」

 高揚した気分のまま澪に笑いかける。澪はそんな透真を見て、ほんのわずかに口角を上げた。

「礼を言うほどのことじゃないだろ。ただ、俺は……怪我やいろんな事情で夢を諦めてきた連中を、何人も見てきた。もう悲しい顔は見飽きたんだ」

 澪はほかのメンバーよりも練習生期間が長い。これまで、辛い思いをする仲間を見送ってきてばかりいたんだろう。

 ――あなたを笑顔にしてみせる。

 前世で澪に言われた言葉を思い出した。そこには、悲しい顔を見たくないという思いも込められていたのかもしれない。

「俺は澪くんに悲しい顔を見せないよ。これからは、ずっと笑顔だけを見せるって誓う!」

 それは、これまで澪に貰った幸せの恩返しをしたい……そんな気持ちを込めた言葉だった。いやに重みのある透真の発言に、澪はびっくりしたようにまばたきを繰り返した。

「透真は、本当に俺と前に会ったことがないのか……?」

「ないよ。どうして?」

「ときどき、お前は俺のことをよく知っているような……変な感覚になる。うまく説明できない……」

 混乱した表情で、見つめてくる澪に、真実を伝えてしまいたかった――「俺は澪くんの大ファンで、前世から澪くんに恋してたんだ」と。

 でも、言えなかった。頭上で今も浮遊している天使は監視でもするかのようにこちらを睨んでいたし、話したところで脳の異常を疑われるだけだ。

「……気のせいだよ。俺は澪くんをもっと知りたいけど」

 声にほんの少し下心が見え隠れしてしまった気がする。

 自分は綺麗に笑えていただろうか。透真は内心の不安を笑顔で包み隠した。

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