003:正義はポケットの中に

 結論から言えば、スリックには断られた。


 当然と言えば当然。残等といえば残等。それでも、得られたものがない訳じゃ無い。


 スリックは許可証の発行こそ渋ったが、密輸プラン自体を否定したわけではなかった。噂に聞いた通り、彼の本国に対する敵意は本物であり彼は連中に一杯食わせる事に何の良心の呵責も覚えてはいない。


 彼が言いたいことは実に端的だ。『完成形を持って来い』。つまりはそう言う事だ。

 

 スリックの尖塔からホテルへと帰り着き、ジェーンは夕食を食べた。

 コーンブレッドとブロシュート入りレンズ豆のスープ。後は馬鹿でかい牛肉のステーキ。そしてたっぷりのバーボンがあれば言う事なし。歯を磨いて、新大陸での最初の一日を終えた。

 

 疲労は波となり、ジェーンを夢の中へと攫った。


 それは幼い頃の夢だった。


 今更、どうしてそんなモノを見たのか分からない。郷愁に駆られたからかもしれないし、そうでも無いかもしれない。


 兎に角、純然たる事実としてジェーン・ドレイクはドレイク伯爵家の一人娘として生まれた。


 比較的新参の家柄で、二百年ばかり前の戦争で軍功を得た曾々祖父が更なる領地と爵位を得て勃興したのだ。それから聖教徒革命だの多くの政変の数々を切り抜け、成り上がり、今日まで生き残ってきたわけだが、それも私の代で終わりかもしれない。父のドレイク伯は存命だが、子を残せる程に若いわけではない。


 愚かな娘が、けがらわしい高利貸しなど営んだから。と、世間は揶揄するだろう。


 然し、何も自ら好き好んで金貸しに手を出したと言うわけじゃない。ジェーンの様な存在が必要とされていて、その役に収まったのが偶々、伯爵家の長女だったというだけ。


 それだけの話だ。


 考えても見て欲しい。貴族の連中はノブレスオブリージュだのと世迷言をほざいて不労所得を貪るだけで、贅沢や賭博に金を費やす。当然、身を持ち崩す者がいる。彼らは信頼できる貸し手を望み、更にはプライドを保つ言い訳も欲する。


 則ち、伯爵家令嬢の様な高貴な身分の淑女が、気前よく敬意を持って彼らへ融資してくれた。と、云う具合に。


 元手については、生来の貯蓄癖によって溜め込んだ金を使った。貴族というのは、不労所得を前提にしているからこそ、ノブレスオブリージュなどということを宣えるのだ。ただ溜め込むだけでも、十八になる頃にはそれは二〇〇〇ポンドに昇り、それを元手へと変えたのである。

 顧客に至っては、あらゆる所にいる。競馬場、夜会で興じるビリヤード台の側、或いは高級娼館。何処でもだ。そして、何度も踏み倒されたが、それで折れなかったから今に至る。


 幾つもの失敗から学んだのだ。


 貴族は外聞を重んじる。故に彼らの醜聞には価値がある。脱税、ブランドの詐称、性的倒錯、不倫、或いは鬘の下に隠れた禿頭にすら、法外な値段をつける。死に物狂いで生きる貧民より余程、彼らは相手にしやすかった。

 

 まあ、結局は連中に結託され、本土から蹴り出されてしまったわけだが、ジェーンが死んだわけじゃない。絶対にツケは払ってもらう。


 次に浮かぶのは狩りの記憶。


 貴族と言うのはどういうわけか狐狩りを好む。多分、獲物として手頃だからだろう。まあ、ジェーンとしては銃の的になるならツグミでも像でも虎でも何でもよかった。憚る事なく、銃を握れさえすればそれで良かった。


 ジェーンにとって、銃こそが平等の象徴だからだ。


 指先にかける力は万人にとって平等で、銃口から発射されるブドウ弾も同じ力で飛んで行き、あらゆる生命を等しく奪い去る。教会のミサで十字を切るぐらいなら、マスケット銃の照準器に十字を刻みたいぐらいには銃を敬愛していた。


 そして、それと同じくらいに銃の撃ち方と狩りの仕方を教えてくれる父親に感謝していた。


 ジェーンの父、ドレイク家第三代頭首たるサラセノ・ドレイクは賢明でこそあるものの変人との呼ばれも高い男である。確かに、賛美するべき点は数多く挙げられる。荘園の経営手腕も素晴らしく、植民地軍での従軍経験もある。現実主義者にして実直。狩猟とワインとシードルを深く愛していた。


 然し、父は少しばかり冒険主義的に過ぎた。


 父は海賊を公然と賛美し、その甲板で行われる原始的民主主義の効能についてだらだらと長い講釈を垂れた。貴族院では植民地議会の権限の拡大を主張し、植民地経営の実権を握る勅許会社を糾弾した。

 瑛国議会は貴族院と下院に二分されているが、仮に父が下院に所属していれば無問題だったろう。


 然し、彼には蒼い血が流れているという事になっている。


 お陰で貴族や一部貿易商の間での彼の評判は娘に負けず劣らず酷いもので、夜会で撃たれたとして納得しうる程だった。それが直接的な原因かは分からないが、父の伴侶にしてジェーンの母であるハンナ・ドレイクはノイローゼを発症し、早々に死別した。


 実にジェーンが二歳の時だ。


 それ以来、ジェーンは父の手で育て上げられ、彼のいかれた思想に毒された。何せ、枕元で読まれたのはアーサー王伝説ではなく私掠船政策の概要とその成果、とある海賊の記した博物学の著書、最新の科学技術の論文だったのだ。


 そういう訳で、ジェーンが国外追放を喰らうような女に成長するのは、さもありなんというものである。

 

 時に、運命という言葉は普段の陳腐さを捨ててしまうのだ。



++++++++++++++++


【ウィリアム・ダンピア】

 ウィリアム・ダンピア(William Dampier, 一六五一年 〜 一七一五年)は、イングランドの私掠船長にして、作家にして、博物学観察者である。オーストラリアやニューギニアを探検した最初のイングランド人であり、世界周航を三回成し遂げた最初の人物である。

 進化論で著名なダーウィンがその著作の中で幾度も言及する程に博物学的知見に長けた海賊だった。が、倫理観は至って普通の一八世紀の海賊らしいものだったので、殺人や略奪は行っていた様である。


【シードル】

 林檎酒。サイダーの語源。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る