02 異世界でステータスオープンと叫ぶ。


 ある日、洗面所で顔を洗ってタオルで拭きながら思った。この修道院には病室にも洗面所にも鏡がない。日本で入院してからこっち、私は鏡を見ていない。


 ここの水回りはポンプを使った魔道具で階下から病室のある三階まで汲み上げて、水瓶に貯める仕様で、水瓶から桶に水を汲んで、タイルの敷いてある洗い場とか流しのような所で、顔を洗ったりうがいをしたり身体を拭いたりする。トイレも同じで使用した後、水を流す。地下に浄化槽があるらしい。


 飲み水は病室に小さな魔道ポンプが置いてあって、ボタンを押せば水が出る。コップは木製カップを支給される。



 修道院の窓から周りの景色を見る。

 ここ聖ミトラス修道院は三階建ての建物で、緩い傾斜地に中庭を囲むように建っている。修道院の横に石で舗装された道路が通っている。道路に沿って家が散らばっていて、荷馬車が道を行くが、時折箱型の馬車が走る。


 道の向こうは緩い斜面の牧草地で黄色やピンクの花が咲き、白い顔で茶色に白いブチの動物、よく見ると牛だったり、半分黒くて半分白い長毛の動物、よく見ると山羊だったりが群れてのんびり草を食べている。

 斜面の向こうの山裾に森があり、いきなり白い雪を被った山が聳え立つ。


 つまりあの森の辺りで茶色ブチの牛やら白黒の山羊が騒いで、通りがかった人が私を担いで運んでくれたのか。かなりの距離があるように思える。いくら私がガリガリに痩せているとはいえ、人ひとり運ぶのは重かろう。荷馬車とか馬に乗せて運んでくれたのかもしれない。



 景色はとても美しいけれど、自動車なんか影も形もない。

 馬車とか魔道具とかどう考えても、異世界のように思える。


 どうもこれは小説で読んだ異世界転生とか転移とかいうものではなかろうか。

 死んで異世界に行くという話は多い。そして特典として言語能力とかアイテムボックスとかその他様々な便利スキルを貰えるのだ。


 言語能力は貰った。

 もしかして、例のステータスオープンもできないだろうか。


 そういう訳で早速、私はやってみた。


(ステータスオープン!)


 思いきり心の中で叫べば、ステータスは出た。しかし、


【名前 マリエ 年齢 十五歳 ……】


 これだけ? スキルがない……。

 それに、この続きのてんてんは何?


(アイテムボックス!)


 気を取り直してもう一つの必需品を叫べば、あった。知らない言葉で書いてある一覧表が出てきた。知らないけど何が書いてあるか分かるって、どうよ。


 中には、入院していた時に髪が抜けて、隠す為に被っていた毛糸の帽子と、かぎ針やら編み棒など編み物、裁縫道具一式。パジャマや衣類、高校の制服に鞄の代わりのバックパック。下着に靴下に靴。小物色々。机や椅子やカーテン、ベッドと布団もあるようだ。


 何なんだろう、これ。意味が分からない。使っていたスマホやパソコンまで入っているし、こんなものを出すのは不味いんじゃないかしら。おまけで見本のように金貨十枚、銀貨二十枚、銅貨が三十枚入っている。杜撰なのか適当なのか。


 そう言えば異世界転移した時に、前の世界で存在していたことを消されるという設定も読んだ。つまり、もう戻れないのだ。だから名前とかも忘れるらしいんだけど、私は名前は出たけれど、苗字とか家族とか顔も構成も全然覚えていない。

 遠い遠い向こうに行っちゃったみたいだ。



 しかし、これで入院費が払える……。いや待て、払ったら何処から手に入れたか分からない訳で、警察に捕まったりしないかな。よしんば捕まらなくても、このよろよろ体力の私がここを出て何処に行くというのだ。

 誰かが助けてここまで運んでくれたらしいけれど、私を置き去りにしてどこかに行ってしまったらしいし。


 大体、死んでから此処に来るまでに、白い部屋など無かったし、誰かに会ったとか声が聞こえたとかもない。


(誰か私に説明して欲しい。何でここに居るのかを!)


 私の心の叫びは無視されて、誰も答えをくれる者はいない。


 取り敢えず毛糸の帽子を引っ張り出した。そういえば鏡があったんだっけ。リップを塗る時の小さなコンパクト、机に置く四角い卓上ミラー、部屋に置く全身が映るスタンドミラーがアイテムボックスに入っている。誰もいない洗面所に行って、卓上ミラーを出した。


「ヒッ……!」

 鏡を落さなかった私を、叫び声を上げなかった私を、誰か褒めて欲しい。

 鏡に映った私は、髪が抜け落ちて、痩せこけて、まるで宇宙人とか、ムンクの叫びの絵のようだった。まるでホラーだ。どう見てもオバケだ。本当に叫びだしそうで慌てて口を押えた。


 同室の病人さんたちは重病から怪我まで様々だが、皆一様に私を見て慌てて顔を逸らしたり、無視したりするのはコレの所為だったのか。


 私は泣きそうな思いでアイテムボックスに鏡を仕舞い、手に持った毛糸の帽子を見た。やっぱり帽子は被らなきゃ。私はもう一度、今度はコンパクトを引っ張り出した。小さく鏡に映ったオバケに帽子をかぶせると、少しはマシになった。と、思いたい。じっくり顔を見る余裕なんてなかった。



 アイテムボックスに入院用の浴用石鹸と洗濯石鹸が入っている。下着があったので、それまで穿いていたドロワーズとかいう長い下着と穿き替えて洗った。

 しかし、アイテムボックスに仕舞うと時間経過が無いらしく乾かないのだ。私は湿ったドロワーズを手に心で叫んだ。


(清浄魔法とか、乾燥魔法とかないのーーっ!!)


 何と身勝手な要求だろう。だが乙女心は切実なのだ。ドロワーズとかショーツとかを外に干す訳にはいかないのだ。

 もし誰かが拾って、これは何だと詮議になったらどうする。台の上に広げられた花柄レースパンティを見て首を捻る人々。

「頭に被るものだろうか」とか言い出したらどうしてくれる。恥ずか死ぬ。


 そしたら私の心の叫びが通じたのか、爽やかな風が私の周りをぐるぐると上から下、下から上へと吹いて、手に持っていたドロワーズごと私の身体も服も、スッキリ綺麗になったのだ。

(スゴイ! 魔法って便利!)

 魔法よりも下着が綺麗になって、うれし泣きする私であった。



 もし私が元気だったら、転移した時にお金があれば困らないだろう。衣服もあった方がいいだろう。この世界の人と似たような服を着ればいいのだ。案外楽しく異世界を旅行していたかもしれない。こんな田舎にだって魔道具があるくらいだし。


 残念なことに私は健康な人間には程遠い、おまけに見た目はオバケだ。

 鏡なんか、鏡なんか……。


 私は深く溜め息を吐いて、コンパクトをアイテムボックスに仕舞った。アイテムボックスは、しばらく封印するしかない。

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