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出勤したらすぐに会いに来いとのお達しだったので、俺は王国治癒術師団総帥の執務室へ直行した。
すると、白緑色のローブをまとった麗しの美人総帥様は、
「異動だ」
そう言って、一枚の辞令書を机の上に置いた。
配転先は『王国警察師団』……って、警察? マジ?
辞令書の下に書かれている総帥の署名欄には、『サラ・セレーネ・メディウス』と書かれている。まったく知らない人物だが、姓名から、名門メディウス公爵家の縁者であることは推察できた。
「また時期はずれというか……。急な異動ですね」
「陛下がお決めになられたのだ、仕方がないだろう。真夏に入る前で良かったとでも思え」
この異世界の職業はほとんどが専門職で、身分を問わず、一生をその職業に捧げる者が多い。だが王宮はたまに異動がある。そのほとんどが今回のような王命だ。
そしてそれは、だいたい年明けに告げられる。五月の最中というのはあまり聞かない例だが、それでも王命に背くわけにはいかない。
この国は専制君主制だから仕方のない話だし、それを言うなら警察だって似たようなものだった。
刑事部鑑識科所属の者が、明日から生活安全部保安課へ行けと命じられれば「はい」と答えるのが当然の組織。もちろん拒否もできるが昇任査定に響くだろうし、その後の扱いがぞんざいになるのは必至だ。
だから俺は配置転換の命令に関しては、感慨に浸ることもなければ不満を覚えることもない。
でも、ただでさえ人手不足のなかで治癒術師が一人減るものだから、イザベラ様は朝から超ご機嫌ナナメ。さらに機嫌の悪さは俺にまで飛び火し、私物をまとめるために研究室へ行こうとしたら止められた。
「私が必ずおまえを呼び戻す。荷物は全部置いていけ。それよりもさっさと新しい総帥の顔を拝んで、ついでに辞めますと言ってこい」
「そんな無茶な」
「いいから行け!」
世界が違えばパワハラですよ、それ。
俺のような弱小子爵家の次男坊が、公爵家のお嬢様に対して強気に出られるわけがないでしょうに。……って、イザベラ様も公爵令嬢だった。
とはいってもゲネシス家とメディウス家では、同じ公爵位でも差があるからね。なんせメディウス家は王族の傍系に当たるし。
それもあるから、イザベラ様は余計にイライラしているのだろう。
俺はため息を返すと執務室を出て研究室へ向かう。そしてポケットに入るだけの荷物を持ってから、王国騎士団本部へと向かった。
「ヤバい。マジで迷った」
王宮の敷地はやたら広い。
敷地内に王宮だけがボンとあるわけではなく、王宮の隣には内政を取り仕切る内務院があるし、背後には王の配偶者や妾たちが暮らす後宮も存在する。
国民はそれらを一括で『王宮』と呼んでいるわけだが、実はそこを中心として、さらに国家の中枢となる機関が東西南北に分かれている。
東は俺が先程まで在籍していた王国治癒術師団本部および治療院、北に王国騎士団本部と訓練場、寄宿舎。西に王国魔法兵団と王国従魔兵団本部があり、騎士団と同様に訓練場と寄宿舎がある。南は王立学院と学生寮だ。
これらの敷地すべてが、本来の『王宮』なのである。
新たに設立されたという『王国警察師団』は騎士団本部の隣にあるそうなので、俺は東から北へ歩けばいいだけだった。
だから素直に北へ向かって歩いていただけだったのだが……それがいけなかったようだ。
各施設は人為的に作られた林で区切られており、俺は不精をしてその林を突っ切ろうとした。その際に方向が狂ったのだろう。完全に迷ってしまった。
これは俺が、騎士団本部へ一度も行ったことがないせいでもある。
魔法兵団本部なら、一年前の魔物討伐の際に治癒術師として同行したからわかるというのに……失敗した。
治癒術師の本来の仕事は治療院での診察か医療や薬に関する研究が主だから、大がかりな魔物討伐でもない限り、他の部署へ移動することがほとんどない。
さらに王宮は防衛のため、敷地の簡素な見取り図は存在するが、詳細な地図は作成されていない。
俺は周囲を見渡した。建物を見れば、なにかわかるかもしれないと思ったからだ。
「左手の濃緑色のとんがり屋根の塔が併設されている建物は……内務院か?」
内務院は王宮の隣。やはり俺は誤って西へ移動していたようだ。
仕方なく、内務院に向かって歩く。そこから北上したほうが早い。
内務院の屋根を見失わないよう、時折上を向いて確認しながら歩を進める。
そろそろ近づいたと思ったとき、俺は人と思われるなにかに正面からぶつかった。
「あっ……失礼しました」
「いや、こちらこそ、失敬」
しまった、上を見すぎていた。慌てて視線を落とすと、見知らぬ青年が木箱を持って立っていた。
輝くような金色の髪に高い透明度を持つ翠玉の瞳。スッと通った鼻筋にほどよい厚さの唇。余計な肉を感じさせない細い線を持つ顎と、そこから生まれる形の良い輪郭は彼が生来持っているであろう知性を際立たせていて、見る者を妙に惹きつけた。
驚いたな。どこの部署の者か知らないが、ここまで容姿が整った美形は久しぶりに見た。
それに彼が持つ、どこか圧倒的で優美な雰囲気。いかにも貴族然としている。
しかも、この美形がサラリと着こなしているスリーピーススーツはいま王都で流行中の最新デザインだ。おろしたてでも、未だショートフロックコートを着ている俺とは違う。
これは間違いなく高位貴族。対応を間違えないようにしなければ。領地でがんばっている兄上に迷惑をかけるわけにはいかない。
「もしかして、きみも警察師団への異動命令がきたのか?」
俺が挨拶の口上をするよりも先に、金髪美形が、なぜか一瞬だけ俺をじっと見た。
つられるようにして、俺もつい相手を見定めてしまう。身長は俺より少しだけ低い。俺が一八二センチだから、一七九……いや、八センチくらいか。
っていうか、「も」? きみもってことは、この人もそうなのか? ……いや、ちょっと待て。俺は異動のことを話したか? 辞令書は折りたたんでコートの内ポケットに入れたままだ。
そこまで考えて、俺はすぐに自らの疑問を翻した。
よくよく考えれば、今から向かう部署は新しく設立された部署なのだ。
俺のように他の部署から異動させられる者がほとんどのはず。頭のいい人間なら、王宮の北側を歩いている時点で気づくかもしれない。
とはいえ、質問を無視するわけにもいかない。俺は疑問を振り払うと、右手を胸に当て左足を軽くうしろへ引いて礼をした。
「はい、私も異動となりました。自己紹介が遅れ、申し訳ありません。私はクリフォード・セダム。オルクス子爵アイザック・ザカリーの弟でございます」
「いや、私のほうこそ自己紹介もせずに失礼した。私はダグラス・ノア。アエニグマ侯爵ゴードン・ライオネルの長男だ」
やっぱり高位貴族だったか。しかもアエニグマ家って数ある侯爵家のなかでも名門じゃないか。
伯爵位は財政事情にもよるが、侯爵位以上の家は上級使用人に下位貴族を雇っていることが多い。なのでその者が誰かはわからなくても知らないところで繋がっていることがあるため、やはり下手な真似はできない。
常に敬語で話しかける癖を身につけておいてよかった。
高位貴族のすべてがそうだとは言わないが、ちょっとしたことですぐに不敬だと叫び、罰する方がいるので身分差にはかなり気を遣う。
とはいえ、そういう方は身分があっても人徳がないため、当然だがとんでもなく嫌われている。
ゆえに下位貴族たちは自衛する。
下位貴族の集まりでそういった高位貴族の情報を共有し、大きな夜会で近づかないようにしたり、子息の付き人や女官・侍従などの求人がきても断れるように仕向けたりする。
領地がない家もあるが、下位貴族でも小さいながらに領地を持つ者もいる。我がオルクス家もそうだ。
貴族である以上、領地、そして領民を守るために家を守る。
身分による絶対的な立場が覆せない以上、こちらとしても上つ方の気まぐれで潰されるわけにはいかない。
ただ高位貴族の方々は、俺たちのような下位貴族と違う雰囲気を持っている。元上司だったイザベラ様然り、目の前のアエニグマ様然り。
単純に『貴族』という言葉で一括りにしてしまえない、例えようのないなにかだ。
俺も同じ貴族ではあるが、おそらく生まれてから今までの間で触れてきた教育、モノ、人々、その他諸々。
つまりは、育ってきた環境そのものが違いすぎるんだろう。
幼い頃はわからなかったが、この国で二十年以上過ごしているうちに、貴族間にある微妙な身分差がわかるようになってきた。前世で鑑識官として培われた観察眼が生きているのかもしれない。
内心で胸を撫で下ろしつつ、俺は内務院の塔を見上げた。
「実は私、道に迷いまして……。アエニグマ様、王国騎士団本部がどこにあるのかご存じでしたら、お教えいただけないでしょうか?」
「騎士団の本部はあちらだな」
アエニグマ様は左手のほうへ顔を向けると、左手の人差し指を真横へ伸ばした。
育ちが良く優美なお方は、どうでもいい動作でも実に美しくなるらしい。俺にそっちの趣味はないが、所作に見惚れてしまう。
「ありがとうございます。私は王宮に不慣れなので助かりました」
「気にするな。これからは同じ部署で働く仲間だ。私のことはダグラスで構わない。それに、きみは普段、一人称は「俺」だろう?」
「え? あ、はい、そうですね」
……なんでわかった?
先程のこともある。俺はすぐにわかるような失礼な言い直しをしたのかと自問自答してしまったのだが、記憶を掘り返してして「ない」と判断する。
不手際はなかったとしても、看破された理由がわからない。ただ答えが出せそうになかったので無視して素直にうなずいておいた。
しかし一人称など無視してもいいだろうに。真面目なのか?
美形で真面目。これで仕事ができたら、もう向かうところ敵なしのお貴族サマだな。
「別に言い直す必要はない。そして私もきみをクリフォードと呼ばせてもらう。それに――」
そう言い置いたあと、ダグラス様はもう一度北の方角へ振り返った。
「どうせ、嫌でも長い付き合いになるんだ」
そのとき、俺は「おや?」と思った。なんとなく最後の言葉に自棄的な音が乗っていたからだ。
気にはなったものの、ここでの追及は避けた。
彼の言うとおりなのかはじきにわかる。
そう考え直して、俺はダグラス様のあとをついて行くことにした。
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