転生したベテラン検視官は不器用な天才侯爵を放っておけない

お遍路猫@

第一章 突然の配転と、侯爵令息との出会い

「これは絞殺です。雲林院うじい検視官」


 鑑識科の制服を着たショートヘアの女性が、スーツを着た女性の死体を見上げたまま告げる。それから、間を置かずに俺のほうへ振り返った。

 生徒であり、俺の部下でもある三浦警部は不安と期待が入り混じった真剣なまなざしで、俺をみつめている。


 ワンルームマンションの一室。

 俺たちの目の前には無残な死体が吊られている。

 天井すれすれに取り付けられたエアコンにロープを引っかけ、もっともたゆむ部分をクロスさせる形で小さな輪っかを二重にして作り、そこへ首を突っ込んで首をくくったようだ。

 死者の足下には倒れたカラーボックスがあり、一見すると縊死いし――自殺と判断してもおかしくはない状況。


 俺は壁に背中を預けたまま、前髪を指でクルクルと絡めて回す。くせっ毛の強い俺の髪はパーマなど当てなくても指で遊んでくれる。

 そして俺はといえば、部下ではなく死体をみつめていた。


 三浦はなにか幅広い布きれ――例えばタオルなどで絞殺したうえで、自殺に見せかけるために被害者を吊ったと考えたのだろう。

 そうすれば総頸動脈そうけいどうみゃく、および内頸静脈ないけいじょうみゃくの圧迫による閉塞で死に至るし、絞殺の痕も残りにくい。だから被害者の首にはロープの索溝しか残らない。顔面のうっ血や被害者の目からこぼれる溢血などもロープによる窒息で説明がつく。

 だが、この被害者の死因は扼殺やくさつだ。ロープやタオルなどの物を使用せずに殺害する手法だな。

 ただし極めて特殊な方法を利用している。正確には扼殺というより、指を使用した圧迫と言ったほうが正しいかもしれない。どうしても残る指の痕をごまかすためにロープを二重にしたんだろう。


「では、三浦警部。その結論に至った理由を訊こうかな」


 しかし俺には、部下の思考の筋道を知る必要がある。

 彼女が「絞殺」と結論づけた理由がわからなければ、俺は――


          ○●○


 ――キキキンキキキンキキキン


 俺の頭上から、ドラマーがおりんを使ってビートを刻んでいるのかと思えるような不快音が鳴り響く。

 ぼんやりと淀んでいる頭には、この高音はかなりきつい。

 俺は枕へ顔を突っ伏して両手で耳を塞いだ。


「仏具で遊んじゃダメって、おばあちゃんに習わなかったか~?」

「誰がおばあちゃんでございますか?」


 俺の寝ぼけた頭と耳に鋭い声が突き刺さる。

 聞き慣れた、ほんの少しだけしわがれた女性の声だ。その声がおりんの音と同じ位置から再度投げつけられた。


「早くお起きになってください、クリフォード様。遅刻してしまいますよ」

「クリフォード……って、誰~?」

「寝ぼけていると必ずそう仰いますね、クリフ坊ちゃまは」


 かぶりを振りつつ上半身を起こすと、初老の女性が背筋をピンと伸ばして枕元に立っていた。

 黒いロングワンピースを着た彼女の両手には、大きなベルと金属製の魔術師の杖が握られていた。相変わらず、起こし方がえげつない。


「……あぁ、ベリンダ。おはよう」


 長年我が家の侍女頭として務めてくれているベリンダを視認したとたん、急速に現実へ引き戻される。

 そうだった。ここは日本じゃない。異世界のオパルス連邦王国という名を持つ国。そして『クリフォード』とは俺の名前だ。

 オルクス子爵家の次男クリフォード・セダムが、現在の俺の名前だった。


「また、前世の夢か……」


 今まで現実だと感じていたのは俺の前世。まだH県県警本部刑事部鑑識科に所属していた頃の記憶だ。

 前世の俺は検視という専門分野での広域技能指導官でもあった。夢のなかでの俺は、現場で後輩への指導を行っており、実地試験の最中だったのだ。


 あの現場から帰庁途中、俺はセンターラインを割ったトラックに正面衝突され死亡した――と思っていた。

 死亡直前の記憶が正しければ、俺の死亡は疑いようもない。しかし気がつけば、俺の魂はこの世界に生まれ落ちていたというわけだ。


 だから俺には二つの記憶がある。

 日本人だった前世、雲林院うじいとおるが培った五十三年の記憶と、異世界でもらったクリフォード・セダム・オルクスとしての二十一年の記憶だ。


 しかも生まれ落ちた瞬間から前世の記憶があったわけではなく、十歳くらいまでは普通に子爵家の次男として育ったものだから、前世の記憶が蘇ったときはかなり混乱した。


 そりゃそうだろう。焦げ茶色の髪と日本人特有の濃褐色の瞳。細身の細面で、やや神経質そうに見える外見を持った前世の俺と、筋肉質で体格も良く、平凡でもそれなりに整った容姿で、赤茶色の髪と青宝玉色の瞳を持つ現在の俺とでは見た目がまるで違う。


 それに記憶が蘇った当時は肉体が幼かった。見た目と精神年齢とのギャップでも混乱したから、慣れるまでは本当に苦労した。

 クリフォードと徹に共通点があるとすれば、強いくせっ毛と一八〇センチ超えの長身と体重くらいだ。しかも身長は五センチほどこちらのほうが低いのに、体重はなぜか前世と同じ。つまり前世の俺は痩せすぎていたわけだな。


 まぁ仕事柄、仕方がないとも思う。激務だったし、毎日死体を見る仕事なんて、慣れても慣れていなくても精神的にかなりキツい。

 しかも老衰のように比較的きれいな亡くなりかたをされていればいいが、確認する死体のほとんどが変死だから、ある程度の覚悟と挟持がなければできない仕事でもあった。


「この本を読みながら寝落ちしたから、あんな夢を見たのかね」


 枕元に置かれた本に手を置くと、ベリンダが『死体解剖学』と書かれた題名を一瞥してから、忌まわしいものを見るかのような顔つきとなった。


「また遅くまで、死体の勉強を行っておられたのですか?」

「人間に薬物を与えて亡くなると、死後の肉体にどのような影響を与えるのか、その結果が重要なんだよ。この世界は薬物が特殊なうえに種類も多いしね。処刑される罪人の奉仕や薬師たちの協力もあって、ずいぶんと研究が……」

「わたくしはそんな本は読めません。恐ろしくて夜眠れなくなってしまいます」


 俺の熱弁へ冷水をぶっかけるかのように答えて、ベリンダは背を向ける。そしてクローゼットへ歩み寄り、俺の衣服を取り出してベッドの上に丁寧に置いた。


「もうすぐ朝食のご用意が整います。さぁさ、早くお顔を洗ってきてくださいませ。あと、今朝早くにゲネシス公爵家のイザベラ・マーガレット様から書簡が届いておりますので、すぐにご確認くださいね」

「え? 総帥から? ……なんで?」


 ベリンダは「存じません」とだけ答えて、掛け布団を乱暴に引っぺがした。

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