第2話

「にゃあ……」


 鳥かごに詰められた黒猫は、大変嫌そうな顔であたりを見回して、不満げに鳴いた。

 王宮の謁見の間で、左右にはずらりと政府高官ならびに軍部上層部の貴族が居並び、正面には仰々しい玉座があって、つんとしたすまし顔の妙齢の女王が腰掛けている。


 その御前に、見習い修道女風の古ぼけた黒のワンピース姿の聖女アルダと、鳥かご入りの黒猫が呼び立てられているのであった。

 さらにその背後には、勇者、戦士、魔法使いと、いずれも聖女とともに死線をくぐり抜けて魔王城に乗り込んだ選抜メンバーの青年たちが並んでいる。王宮に戻ってそのまま呼び出しを受けたために、誰も彼もが薄汚れた身なりをしていた。

 彼らは、一様に聖女と黒猫に心配気な視線を送っていた。


「ご苦労でした。見事あなたの唯一の魔法『猫化』で、魔王を討ち滅ぼしたと。ほほほほ、魔王もその姿になっては手も足も出ないことでしょうね。ほほほほ」


 女王は高笑いをしながら、みすぼらしいアルダには目もくれず、ちらっと鳥かごに勝ち誇ったような顔を向ける。


「にゃあ」


 鳥かごに顔を押し付け、黒猫が鳴いた。子猫である。もう少しで隙間をすり抜けられそうだったが、ぎりぎり顔が通らずに引っかかってしまい、悔しそうに「ぶみゃあ」と声を上げた。

 ほほほほほほ、と女王が実に機嫌が良さそうに笑った。


「こうなっては、魔王もただの可愛い子猫ちゃんでしかないわね!」


 誰も何も言わなかった。実際、可愛い子猫ちゃんがそこにいただけだからである。

 女王は猫撫で声で、アルダへ命じた。


「もう少しこちらに来なさい。私のすぐそばまで」


 女王の脇に控えた武官が「陛下、危険では」と声をかけるものの女王は耳を貸す素振りもない。

 かごを抱えたアルダは、のそっと立ち上がり、一歩進む。「もっと前へ! 近くまで!」と、女王はやや強い声で命じた。

 ためらうような足取りで、アルダは前に進む。ついに、女王の足元まで来たところで「そこまで」と声をかけられ、おずおずと膝をついた。真っ黒の頭巾から、埃っぽい金色の髪が滑り落ちる。

 女王は、うずくまったアルダを見下ろすと、その頭巾の上に手を置いた。

 ぐいっと頭を押さえつけるように力を込めて、立ち上がる。


「……っ!?」


 何が起きたかわからないように、アルダは顔を上げた。

 ちらりと見下ろした女王は、青い目を丸くして見上げているアルダに向けて、嫣然と微笑んだ。


「あなたの頭、立ち上がるのにちょうど良い支えになったわ。ありがとう、もう用は無いわよ。一応、魔王を退けてくれたってことで小銭程度の褒美は用意しているから、受け取ってから帰ってね。二度と王宮に足を踏み入れようとは思わないで。そうそう、市井で暮らしても誰もあなたが聖女だなんて信じないと思うから、吹聴しないのが賢明よ。猫化の聖女だなんて、ばっかみたい」


 言い捨てて、女王は扇子を開いて「ほほほ」と笑い、長いドレスの裾を引きずりながら歩き出す。

 それまで、凍りついたように動きを止めていたアルダは、そこですくっと背を伸ばして立ち上がり、女王の背を睨みつけた。


「ばっかみたい、って言ったっけ? 私の魔法を?」


 田舎訛りの、奇妙なアクセントのある言葉である。

 足を止めた女王は、肩越しに振り返り、嘲笑を浮かべて「ええ」と認めた。


「史上最弱の聖女、勇者たちの足手まといにしかならなかったくせに。猫化ですって? 実際に一度も人の前で使ったことはないわよね?」

「それは、発動条件が難しいから……、ふつうの状態では出ないっけよ」 

「言い訳は結構。それは魔王ではなく、どこかで見つけてきただけの可愛い子猫ちゃんでしょう? 冗談もたいがいになさい」

「この猫ちゃんは魔王です! 若い魔王だったっけね!」

「嘘はおやめ!」


 黙って聞いていた黒髪の勇者マルク、赤毛の戦士パオロが、耐えきれなかったように「陛下、それは違います」と異口同音に発言をした。

 女王は、ぴしゃっとこれみよがしに扇子を畳んで青年たちを睥睨し「おだまりなさい」と冷え切った声で言い放つ。

 そこで、緑のローブ姿の魔法使いロマーノが、裾を翻して女王の正面に立った。

 動きに沿ってかぶっていたフードが外れて、長い銀髪と研ぎ澄まされた白皙の美貌があらわになる。

 ロマーノは、青い目を細めて女王に鋭い視線を向けた。


「黙りませんよ、陛下。此度の魔王討伐で、一番の戦果をあげたのは、誰あろう我らが聖女アルダです。聖女への侮辱は許すことができません。即刻、謝罪を」


「馬鹿なことを。聖女として、あれほど無能な娘もいないでしょう。母はあなたの身を心から案じていましたよ、ロマーノ。戻ってきたからには、王太子としてのつとめを果たしなさい」


「その最初のつとめが、陛下への謝罪の要求です。よくもアルダに無礼を働いてくれましたね。それ相応の報いを受けるお覚悟はあるのでしょう?」


 澄んだ硬質な声が、静まり返った謁見の間に響く。

 面白そうに目を細めて、女王は哄笑した。


「おかしなことを……! あの娘がいったい、なんの役に立ったと言うのです! 世間では猫化は超強力な浄化魔法などと言われているようですが、事実はまったく違いますね」


 ロマーノは首を振り、「母上はわかっていません」ときっぱりと言いきった。


「アルダはみだりに魔法を使うことはありませんが、大変な鍛錬の末に猫化の魔法を、最高レベルまで高めて究めたんです。その結果、強大な力を持つ魔王を猫の姿に封じ込めることに成功しました。我々はただ、アルダを魔王の前へ連れて行くために血路を開く要員でしかなく、真の功労者はアルダなのです」


「もういいわよ、ロマーノ。あの薄汚い娘をかばうのもいい加減になさい。世界が平和になったいま、あなたはこの国の王太子として、美しい姫を娶り跡継ぎをもうけなさいよ。母を失望させないで」


 言うだけ言って、女王が退出すべく足を踏み出した、そのとき。

 アルダが、「あのっ」と素っ頓狂な声で女王に呼びかけた。


「土下座したら、許してあげるだよ」

「はい?」


 ひくっと眉をひくつかせて、女王はアルダを振り返った。

 アルダは足元に鳥かごを置き、女王をまっすぐに見つめて、やはり田舎訛りのきつい言葉で続けた。


「土下座なんて本当は興味ないけど、いま私がやらされたこと、土下座みたいなものですよね? んだから、女王さまにも同じこと要求します。そこさひざついて頭下げて、ごめんなさいって言えば、いまならゆるします」

「こんの田舎娘が。何を調子に乗って」

「女王さまがしないと、猫化の魔法が火を噴きますだ。いや、火は出ないんですけど、私が敵だと思った相手には呪いが勝手に襲いかかるわけで」

「寝言を! お前なんて追放よ! 二度と私にその顔を見せないで!」


 くだらない、とばかりに女王が叫んだところで、マルクとパオロが、そっと横を向いた。

 ロマーノが「あぁもう」と呻きながら、指で空に素早く魔法陣を描く。

 アルダは、「もう、止められねぇだ」と悲しげに呟いた。


 その次の瞬間。

 謁見の間を、猫化の魔法が吹き荒れた。


 * * *


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