第5話 傷痕

 刑事達との捜査会議を終えた二十分後、ルークは再び特別対策室に足を運んでいた。

「やあルーク君。話し合いはどうだったかな?」

 楽しそうにしながら話し掛けてきたのはナターシャだった。

「面白い事件だと思わないかい?まあボクは今回、スルーさせてもらうけどね」

 どうやら、事件の概要は知っているらしい。

「そんなに愉快な話じゃないよ」

「どうしてそう思うんだい?」

 ナターシャは首を傾げた。

「人が何人も死んでいるんだよ。それも痛みを伴う殺され方をしているんだ。彼らのことを思ったら辛い気持ちになるよ」

「それはまたお優しいことで」

 彼女はルークの肩にそっと手を置いた。その手には、白い手袋をしていた。ルークは思わず肩を震わせる。

「おっと、安心してくれ。ボクの<傷痕>はこの手で直接相手に触れなければ作用しない。だから今はキミの心には触れないからそんな顔をしないでよ」

 彼女はまるで悪戯をする子どもの様な笑みでルークの様子を窺っていた。

「ところでキミは、<傷痕>についてはどこまで知っているのかな?」

「……何さ突然?」

「なあに。アビゲイルさんから話を聞いている割にはあまりにもキミが無防備だったからね。メンバーの持つ力を知っていたらボクと安易に握手なんてしないだろうからさ」

「異能の力、だということしか知らないよ」

「そうか、それならボクが教えてあげよう」

 ふふん、とナターシャは得意げに胸を張った。

「そもそもどうして異能の力を<傷痕>と呼称するのか、キミは気にしたかい?」

 彼女の問いに、ルークは頷いた。それを見たナターシャは不敵に笑う。

「そもそも、この力は後天的なものが多いんだ。たまに『天然物』もあるけれど、多くの者は苦痛をトリガーにして力に目覚めるのさ」

「苦痛?」

 物騒過ぎるその単語に、ルークはぎょっとして彼女の方に視線を向ける。すると少女のきらきらとした目が彼の顔を覗き込んでいた。

「身体的な苦痛は勿論、精神的な苦痛も該当する。まあ、多くの苦痛は精神に作用することが多いんだけどね。そうやって激しい苦痛を受けた時に、覚醒することがあるのさ」

 だから、<傷痕>。

 一度その身に宿ったらずっとその身に刻まれ続けるから。

「じゃあ、君も過去に辛いことがあったの?」

「おや、ボクのことを心配してくれるのかい?嬉しいねえ」

 ナターシャは彼の肩に腕を置いて体重を預けた。それは傍から見たらとても親しい友人の様に見えただろう。

「ボクだけじゃないさ。その子もあの子も、それにさっきキミと一緒に居たキャロルだって、心に傷を持っている。<傷痕持ち>とはそういうものさ」

「……」

「可哀想だと思ったかい?」

「いいや。ある人と重なっただけさ」

「そうかい。ではキミに一つ忠告しておこう」

 と、ナターシャは彼の前に回り込むと、人差し指を彼の顔の前に突き出した。

「<傷痕持ち>をただの人間だと思わない方が良い。力を持つことで身体能力が上がっているからだというのもあるけど、根本的に『普通じゃない』んだよ」

「それはどういう……?」

「いずれ分かる時が来るさ」

 彼女はわざと含みのある言い方をして、その場を去った。

 ルークは少女が言ったことを思い返し、ふと辺りを見回した。すると、少し離れた所でキャロルがコップでコーヒーを飲んでいるのが見えた。

「確かに普通だったらあんな態度は取れないよなあ」

 全くもって非常識だと思った。




 配属一日目ということでアビゲイルから早めに帰宅する様に言われたルークは、帰りに病院に寄っていた。

 五階建ての大きな病院。彼は三階の病室の一つに用があった。

 彼が病室のドアをノックして入ると、そこにはベッドで寝ている一人の少女が居た。

 ウェンディ・オルブライト。彼の実妹である。

 彼女はルークと同じ黒い瞳に黒い髪をしていた。違うのは、その髪が背中まで伸びる程に長く、彼のものよりも艶やかだという点だった。

 彼女は入って来たルークに気付いているはずだが、ベッドに寝たまま天井の一点を見つめていた。

「やあウェンディ。調子はどう?」

 ルークの問い掛けに、彼女が答えることは無い。

「先生が言うには、今日はずっと外を見ていたそうじゃないか」

 彼は妹のベッドの横に置いてある椅子に腰掛ける。

「そんなに気になるのなら、たまには外に出てみるのも良いんじゃないか?最近は風にも当たっていないだろう?」

「……」

 彼女は兄が来たからといって表情を明るくすることも無い。ただ無表情のまま、その暗く淀んだ目を細めていた。

「僕の方は進展があったよ。新しく仕事をすることになったんだ。勿論、学校には通い続けるけどね」

 ルークは背負っていたリュックからあるものを取り出した。

「お前のこと、何とかなると思うよ」

 それは、一枚の紙だった。

「昨日、ウチに郵送されてきたんだ。学校側の謝罪文が載ってる。こんなことをしても、いじめを黙認していた事実は変わらないというのにね。けれど、これで少なからず学校側の対応は変わるはずだ。お前の周囲の状況も、きっとね」

 彼はその紙を壁に接しているテーブルに置いた。

「お前がどれだけ過酷ないじめを受けたのか、学校側は深く知らない。知らないからこそ、今まで他人事にしてきたんだと思う。でもね」

 彼はスマホを取り出し、メッセージアプリを起動する。そして画面を妹の方に向ける。

「お前のことを少なからず心配してくれる友達も居るんだよ」

 そこにはルーク宛てに送信された、ウェンディの友人のメッセージが並んでいた。

 しかし、ウェンディはそれを見ようともしない。

「お前が心を壊した、あれからもう一年だ。この一年、お前がどんな思いで過ごしてきたのかは誰にも分からない。僕は勿論、誰もだ」

 ルークは、涙を堪えながら言葉を紡ぐ。いつも泣きそうになることだけは変わらなかった。

「この世界には、お前の様な辛い思いをした子が実は結構居るんだ。僕は訳があって、そんな子達と過ごすことになる。その子達は過去に縛られながらも今を生きているよ」

 彼は、妹の手を握る。

「だからお前もいつか立ち直って、今を生きて欲しい」

 それは、彼が今考えられる精一杯の励ましの言葉だった。

 それでも、それは彼女に届かない。

 ウェンディは窓の方に顔を向けてしまった。

「……そうだよね。そう簡単に立ち直れないよな」

 ルークは立ち上がりリュックを背負った後、妹の頭をそっと撫でる。

「また来るよ」

 彼は妹を背にして、病室を出ていった。

「あらウェンディさんのお兄さん、こんにちは」

 そう話し掛けてきたのは、看護師の女性だった。

「今日も妹さんのお見舞い?」

「はい、そんなところです」

「どうかしら、お話出来た?」

 その問いに、ルークは落胆しながら首を横に振った。

「そう、やっぱりお兄さんでもダメなのね」

「え?」

「実は私達看護師や主治医の先生も、誰にもあの子は口を開いてくれないのよ。コミュニケーションが取れないと何かと不便でしょう?だから出来ればお話して欲しいのだけれど」

「そうでしたか、すみません」

 彼が頭を下げると、看護師は申し訳なさそうに手を振った。

「良いのよ、気にしないで。あの子にもまだ心の療養が必要ということなんでしょうね」

 ルークは頭を上げたが、俯いたままだった。

「でも、あいつがああなってから一年が経ちました。それなのに一向にメンタルが回復する兆しが見られないのはおかしいと思うんです」

「……何だか、あの子よりも貴方の方が焦っている様に見えるのは気のせいかしら」

「それは……」

 ルークは言葉を詰まらせた。

「責任を感じているのは分かるわ。たった一人の兄妹ですものね。だけど、あの子にもあの子のペースがある。あの子が負った傷はとても大きくて深いものなのでしょうね。一度壊れた心を治すのは簡単なことじゃないのよ。だから、今はとにかくあの子を励ましてあげて。私達も出来る限りのことはするから」

「……ありがとう、ございます」

 彼が再びお辞儀をすると、看護師は別の病室へと入っていった。

 妹の病室の前で、彼はため息一つ吐いた。

「ダメだな、僕は」

 彼は病室のドアを一瞥した後、廊下を歩いていくのだった。

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