第2話 くっっっっそ小さな部屋
「じゃーねー!お兄さんとお姉さーん!」
遠くで元気よく手を振るガキンチョに対し、こちらは膝に左手を付きながら右手を振り返す。
「子どもの体力舐めてた……」
顔を逸らすガキンチョを横目に、苦笑を浮かべるのは膝に手をついた朱使葉。
同じように膝を抑えていた手を腰に戻した俺は、勝ち誇ったように言う。
「まじで余裕だったわ」
「うそばっか……!結局捕まえられなかったじゃん……!!というか汗ダラッダラだし!」
キッと眉根を立てる朱使葉から視線を逸らして慌てて首筋を拭く。
そうして先んじて歩き始めた。
まぁ正直な所、全く持って余裕ではなかった。
『悪魔なんだからへばるなよ!』だとか、『人間ごときに負けるなよ!』だとか、色々言われることは重々承知している。
……けど言わせてくれ。
どこかの『魔王』と『大天使』に能力を奪われたんだよ……。
『人間界にそんな身体能力は必要ない!』ってさ……。
故に俺達に残ってるのは、50メートルが6秒後半で走れる脚力と、40後半の握力。あとはシャトルランが60回程度の体力のみ。
それだけあれば充分だと思われそうだが、俺達は公園を熟知してる子どもではない。
というか、逃げる側のほうが体力を使わないのは周知の事実。
心のなかでそんな言い訳を並べていれば、ジトッと湿った視線が同じ高さへとやってくる。
「……男のくせに情けない」
「おいごら黙れ。お前も天使だろ。一回り下の子どもに負けるってどうなってんだ」
「それはあんたもでしょ!」
「俺は手加減してやったんだよ!」
「うわずっる!その手札ずっる!!」
疲れなんてあっという間に吹き飛ばし、啀み合いをする俺達は腕を上げ――
「……帰るか」
「……そうだね」
周りの目に打たれ、あっという間に肩を落とした。
人間界に来て分かったことが多々ある。
そのうちのひとつが、人の目が思った以上に怖いということ。
ネットとか見てるとよく分かる。
いつどこで晒されるかもわからないし、いつどこに人の目があるかわからない。
一応俺も魔王の子どもとしての威厳を保たなければならない。
そしてそれは朱使葉も一緒なわけで、喧嘩をする時と場所はそれぞれ弁えてる。
……それ故に、この人間界に来て早1ヶ月。
俺達は家以外で喧嘩したことがない。というか家でも大家さんに怒られてから物を投げたり、壁をしたりしない口喧嘩ばかり。
「はぁ……」
途端に憂鬱なため息が隣から吐き出される。
「……んだよ。言いたいことあるなら言えよ」
憂鬱さが乗り移ったかのように睨みを浮かべる俺は、ドシッと肩をどつく。
「べつに?ただため息を吐いただけですけど?どつかないでもらえます?」
明らかに俺がしたものよりも強いドツキが返され、
「は?絶対なんかあるだろ」
さらに強めてドツキを返す。
「「……」」
――ドンッ
どちらからともなく肩をぶつけ合い、ジンジンと筋肉が痛むのを我慢する。
歩きながらも負けじと肩を押し付け合う俺達は、とある”アパート”が視界に入るや否や、これまたどちらからともなく肩を離した。
「「はぁ……」」
肩の代わりに、先ほどの朱使葉に似た憂鬱なため息がぶつかり合う。
俺達は人間界に落とされた。
それはお互いの種族を滅ぼすために。
今は平和だが、基本的に天使と悪魔は対立関係。
ここ数千年戦争すら起こしてないが、悪魔と天使は対立関係にある……はず!
いや!俺達が『宿敵』なんだからそうだ!
絶対に対立してるはず!!
おじいちゃんに幾度となく聞かされた歴史話を頭に思い起こしながら、コンクリートで固められた階段を登る。
「……俺達って『宿敵』だよな……?」
この上なく落とされた肩で呟いてやれば、
「……『宿敵』ですけどなにか……?」
尖らせた唇で言葉が返される。
何度も言うが、俺達は宿敵だ。
生まれたときから啀み合い、物心付いた頃には喧嘩三昧。
それは父上も大天使も知っているはず……だというのに……!
「「ただいま……」」
憂鬱な言葉が重なる。
俺が鍵を開け、朱使葉がドアノブを捻るという、なんともまぁ息のあった俺達の行動は、1ヶ月もの間一緒に住んでいたからだろう。
……俺達は『宿敵』だ。
顔を合わせれば喧嘩。わざわざ天界に行っては喧嘩。わざわざ冥界に来ては喧嘩。
そんなやつらだというのに、俺達は”一緒に住んでいる”のだ……!!
そんれもくっっそ狭い部屋で!!!
そそくさと靴を脱ぎ捨てた俺は、玄関横にあるユニットバスへと入る。
鏡に映るのは黒い髪と、反対色の真っ白な制服。
半袖からはみ出る肉体は太くもなければ細くもない。
冥界に居た時はこの数十倍の筋力があったのだけど……残念ながら今はもう存在しない。
「風呂とトイレと洗面所が一緒とか地獄かよ……」
丁寧に石鹸で手を洗いながらボソッと呟く。
狭いアパートアルアルなのだろうか?それとも人間界ではこれが普通なのだろうか?
お風呂場とトイレを区切るのは真っ白のカーテン1枚だけ。
シャワーを止めれば放尿の音が聞こえるだろうし、あいつが歯を磨いていればのぼせても出られない。
「不満なら私もいいたいですけどね……!」
続くように鏡に現れたのは、これまた眉間にシワを寄せる朱使葉。
「シワ寄せ過ぎは肌に良くないって聞くぞ」
「余計なお世話!」
俺の言葉なんかに聞く耳を持つ気はないのだろう。
相変わらずシワを寄せる朱使葉はピシッと扉を指差し、
「靴を並べて!というか棚にしまって!!じゃないと扉が開かないの!!」
「別に俺の一足だけなら開くだろ」
「私のもあるんです!」
「じゃあ朱使葉が片付ければいいだろ」
「はい!?昨日私が片付けたんですけど!”掟”と違う!!」
「あーうっせうっせ。片付ければいいんだろ片付ければ」
「なんで魔穂斗が不貞腐れるのよ……!」
背中で怒りの籠もった言葉を受け止めながらも、濡れた手でユニットバスを出ていく。
俺達が一緒に暮らし始めて2週間が経った頃。
天使の朱使葉が爆発した。
『私ばっか家事して耐えられない!』って。
べつに元より天使とは思っていなかったが、本人はそれまで天使のつもりで居たらしい。
どんなことにも怒る――家事以外は怒ってた――ことはなく、俺が散らかした物――喧嘩で投げ捨てた物のみ――素直に片付けていてくれた。
けどまぁ、うん。今回ばかりは朱使葉ばかりを責め立てることはできない。
……だって、自分でも分かってしまうほどに俺は自堕落なんだもん。
冥界では執事によって部屋の片付けはされていたし、当たり前のように料理が出てきていた。
故に家事の仕方なんて微塵もわからないわけで、朱使葉に頼りっぱなしになっていた。
それ故に、朱使葉がこの家に住むうえでのルールを決めたのだ。
その1つ目が、『1日交代で靴を棚に片付ける』というもの。
「……これもそれも全て、こんの狭い部屋のせいだ……」
バタンッと棚の扉を閉めた俺は、踵を返して廊下を見渡す。
うちの家は、この人間界で言うところの廊下のあるワンルーム。
……廊下があると言っても、俺と朱使葉が同時に歩けるほどの幅はない。
そんな狭い廊下にあるのは、取って付けたような狭い台所……というか流し台とコンロ。
水切りラックなんて無いし、まな板を置くようなスペースも当たり前のように無い。
誰がこんな環境で料理ができるんだ!と父上に問い質そうとも思ったんだが……ここにできてる天使がいるのだからなにも言えずにいる。
「靴片付けたならさっさとキッチン来て料理手伝って」
ポニーテールに髪を結わえた朱使葉がユニットバスから顔を出したかと思えば、このザマ。
「……命令すんな」
口ではそう言いながらも、『家の掟』を前に逆らえることもできずにキッチンへと向かう。
玄関前では視界に収めることはできなかったが、キッチンまで行けば……気持ちばかり広くなった洋室が目に入る。
贅沢なことに角にはテレビがあり、その対極には大きなタンスが壁にピッタリとくっついている。
……もちろんタンスもそのひとつのみで、俺と朱使葉の服やら下着やらを上下に分けている。
「ボーっとしてないで鍋でも取って?今日作るもの昨日教えたよね?」
小さな冷蔵庫から人参やらじゃがいもを手にした朱使葉が睨み顔で言ってくる。
「……うっせ。こちとら料理始めて数日なんだよ」
「言い訳?男のくせに情けない」
「人間は成長していく生き物なんだよ。始めから才能を求めるな」
「あんた悪魔じゃん。バカなこと言わないで」
「今は人間となんら変わらない体なんだよ……!!」
怒り交じりにコンロに鍋を置いた俺は、颯爽にまな板を取り出す。
俺だって今すぐにでも料理の才能が目覚めるのなら存分に料理をしてみたい。
隠し味とかの調整とかカッコいいことしてみたい!けど!現実はそう甘くないんだよ!!
「気が利くね?珍しい」
「一言余計じゃアホ!」
流し台の上に設置したまな板に野菜を置いた朱使葉は、流し台の下にある棚から……包丁を取り出した。
「鬼に金棒とはまさにこのことだな……」
「え、なに?喧嘩売ってる?買うけど?」
「……いや、流石に包丁相手に喧嘩売るほど俺もバカじゃない」
「聡明で安心。まぁ別に今すぐに殺してやってもいいんだけどね?」
「俺だって殺せるなら今すぐにでも殺してるわ」
「殺せるなら、ね」
苦笑を吐き捨てた朱使葉は、まな板に視線を落として野菜を切り始めた。
俺達は”殺し合えない”でいる。
もちろん天界でも、冥界でも、殺し合えない状況にある。
……というか、”この体が死なせてくれない”。
どうやら父上もとい、大天使は不死身らしい。その血を受け継いだ俺達も有り難いことに不死身になったわけ。
だからまぁ、冥界では溶岩に突き落としたり首を跳ねたり。天界では太陽に体を投げ飛ばしたり首を跳ねたり。
自分の体のことなんて考えずに殺し合ってた。無謀なことにも、相手が死ぬと信じて。
もちろん人間界に降りても殺し合ったぞ?
それこそ包丁でぶっ刺したのだが……あろうことか、大家さんにそれが見つかって警察沙汰に発展した。
それ以来俺達は血しぶきが舞うような真似はしなくなった。
なんてことを考えながら、食材やらカレーのもとやらが入った鍋を回していれば、手を洗った朱使葉が言ってくる。
「魔穂斗は机出してて。後は私がやる」
「別にこれぐらいは俺が――」
「この前、任せてカレー焦がしたよね?」
「……はい」
どんなに悪魔でも、弱みを握られてしまえば抗うことができず、肩を縮こませて壁に立てかけられた机に手を伸ばす。
自分でもなんでカレーが焦げたのか分からん。
俺は火を強くした方が完成が早くなると思っただけだ。なのに焦げる弱いカレーが悪い。
不貞腐れ言葉を頭の中でつらつらと並べながらも机の足を組み立てた俺は、地面に落ちてる座布団を下に引く。
「そこ邪魔。カレーできたからそこ退いて」
「そんな言い方はないだろ。もう二度と『家の掟』守らんぞ」
「だったらこの家に住む資格ないけど」
「はい?だったらもうすでにお前はないけどな?」
「……なんで?」
両手にお皿を持つ朱使葉が首を傾げるが、こっちだって首を傾げたい。
「掟を作る時に言われただろ?『ありがとう』『ごめんなさい』をちゃんと言えって。もしかして忘れてたとか言わないだろうな……」
「……べつに忘れてないし。”お母様が作った掟”を忘れるわけないじゃん……」
「ダウト。忘れてた……というより、言うのが嫌なだけだろ」
実際に掟を作ったのは俺でもなければ朱使葉でもなく、大天使様。
俺達が作ればただの口約束で終わってしまうため、大天使に頼んで『もし、掟を破ったらこの家に入れなくなる呪い』をかけてもらった。
この家を追い出されれば、行く宛のない俺達は晴れてホームレス生活。
故に、律儀にこの『掟』を守ってるわけなんだが、こいつはさっそく心底言いたくなさ気に言葉を渋っている。
「ほーん?そんなに家を出ていきたいんだな?」
「……私がいなかったらまともに生活できないくせに」
「あいにくこの体は不死身だからな。まともな生活ができなくても死ぬことはないんだよ」
「…………ほんと嫌い」
「はぁ……」とデカデカとしたため息を零した朱使葉は勢いよく机にお皿を置き、
「ありがとうございました!机を出してくれてありがとうございます!!」
「よかろう」
宿敵に感謝を述べられるのはなんともまぁ気分がいいものだ。
無意識のうちに頬が吊り上がっていたのだろう。
ギロッと向けられる睨みは、やがて俺の顔を指差した。
「私は言いました!なら次は魔穂斗の番!!」
「……俺?べつに感謝を述べることなんてないが……」
「はい!?もうめちゃくちゃありますけどね!!」
「はて……」
恥ずかしさからか、真っ赤になる顔で叫ぶ朱使葉に素で首を傾げる。
何度も今日一日の動きを反芻しているが、こいつに感謝するようなことをされた覚えがない。
「ふーん!そうなんですね!魔穂斗は私が料理をするのが当たり前になってるんですね!!」
「あぁ……そういうこと……」
ポンッと手を叩いたときにはもう遅かった。
ふいっと顔を逸らした朱使葉は机からカレーライスを取り上げた。
「もういいです!今日のご飯はお預けです!」
「は!?こっちは腹ペコなんだよ!」
「感謝しなかった魔穂斗が悪い!!」
「いや仕方ないだろ!というか俺も手伝ったんだから感謝される方だろ!」
「あっそ!ふーん!!感謝を述べるどころか私を責め立てるんだ!!ふーん!!!」
人間界で言うところのフグのように大きく頬を膨らませ、ズシズシと台所へと向かい――
「おいバカ!捨てんな!!」
慌てて手を伸ばして朱使葉の腕を掴んで、台所に傾けられそうになるお皿を阻止する。
頭に浮かぶのは父上に言われた『食べ物を粗末にしたら人間界で過ごす時間を増やす』という言葉。
一応それは朱使葉にも伝えたはず……だというのに!アホなのかこいつは!?
キッと睨みを向けていれば、やり返すように睨みが返ってくる。
「じゃあなんて言うのかな?」
「……クソッ」
多分これはこいつの作戦のうちだったのだろう。
睨みの奥に微かに宿るニマつきは俺を煽るそれ。
顔を逸らしたときにはもう遅く、カレーライスとともに視界に顔を覗かせてくる。
「それで?なんて言うのかな?教えてほしいな〜?」
「……お前のこと嫌いだわ……」
「うんうんそうなんだね〜?」
俺の言葉なんかにもろともしない朱使葉に、最後のあがきと言わんばかりに睨みを向けた俺は……ため息を吐いて体に籠もった熱を放出した。
「……料理を作ってくれてありがとうございます……。これからもよろしくお願いします……」
深々と頭を下げてやる俺なんて他所に、カレーライスとともに机へと歩み進む。
「うんうんそうだよね。毎回その言葉がないんだよ」
「……言うのはこれっきりだ」
「へー?この家に居れなくなってもいいんだ?」
「……クソッ!お前のことなんて大っ嫌いだ!」
「私もで〜す」
そうしてカレーライスを置いた朱使葉は腰を下ろし、ひとりでに手を合わせた。
「お先に失礼する――あっ」
声を上げたのは他でもなく朱使葉。
釣られるように机に目を落とした俺は……
「ほーん?」
ニマつきを浮かべる。
そして、台所にある引き出しに手をかけ、スプーンを取り出した。
「さて、スプーンを朱使葉のところに持っていこっかな〜」
わざとらしく言葉を零した俺は、睨みを向ける目なんてもろともせずに座布団に腰を落とした。
「はいっ、これスプーンね?カレーを食べるにはスプーンが必要だもんな?」
「…………ほんっと嫌い」
「俺も大っ嫌いだぞ〜」
勢いよくスプーンを奪い取った朱使葉は、これまた渋々に頭を下げてつむじを見せつけてくる。
「……スプーンを取ってくれて……ありがとうございます……」
「よきにはからえ〜」
最近覚えた言葉で反応を返し、満面の笑みでカレーライスを掬った。
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