最難関ダンジョンで生まれ育った深緑の騎士は、外に出て自分が最強であると知り、絶望する。
赤城京間
第1話 深緑の騎士、地上へと出る。
「はぁ……はぁ……はぁ………走って! きっともう少しだから!」
僧侶はそう言った。その場の誰もがダンジョンに入った時間から考えるにそんな事はあり得ないと分かっていたが、僧侶はそう言う他なかった。
キシャァァァァァァァァァァァァ!!!
「俺が引き留める! 皆はその隙に逃げろ!」
「駄目よ! 皆で逃げるの! 勇者も一緒に………」
僧侶は絶句した。振り返るとそこには巨大蜘蛛に下半身を貪られ、消化液が全身に掛かり、皮膚は爛れ、虚ろな目を地面に向ける事しかできない勇者の姿があったからだ。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「立ち止まっては駄目です! マリアさん! 走って!」
そう言った魔法使いは後ろを見なかった。分かっていたからだ、後ろを見たらもう助からないと。
「いやぁぁぁぁぁぁぁ!!! 助けてぇぇぇ!!!」
恐らく僧侶は捕まったのだろう。逃げる魔法使いと女騎士はそう確信したが、立ち止まる事はできなかった。
「くそっ………勇者………マリア………」
「………………ゾーイ、良く聞いてくれ。」
「え?」
「君にはディアマンディス家の血が流れている。こんな所で死なせる訳にはいかない。」
「な、何を言ってるんだ! そんな事関係ないだろ! 二人で逃げるんだ! ガブリエルは家族だっているじゃないか!」
「…………別れは告げたよ。」
「だからって………」
シャァァァァァァァァァァ!!!
「行けゾーイ! ロストン王国に栄光あれ!」
「ガブリエル!」
ガブリエルは振り返ると同時に全力を込めた火球を巨大蜘蛛目掛けて打ちこんだが、煙の中から怯む様子なく迫り来る蜘蛛に次弾を打ち込む気力を無くし、何も言わないまま蜘蛛の牙に頭を打ち砕かれた。
ゴギッ
「ガブリエル………マリア………勇者…………みんな…………夢で、夢であってくれ!」
ゾーイは走った、地上を目指して。
「はぁ……はぁ………(早かった、私達には早かった……)」
シャァァァァァァァ!!!
「はぁ……はぁ………もう………」
ガタッ
「うっ………」
その時ゾーイは転んだ。
「いやだ…………まだ死にたく…………ない……………」
仰向けになりながら必死に足で蜘蛛に抵抗の意志を見せたが、仰向けのゾーイを蜘蛛は足で抑え、牙でゾーイの頭を挟み込んだ。
「やだ…………だ、誰か……助け………助けてぇぇ!」
その時だった。
ガンッ!
ギジャァァァ!
金属が地面に叩きつけられる音と同時に、ゾーイの真上で叫び声を上げながら蜘蛛は真っ二つになり、本が開かれる様に地面へと倒れた。
「危なかったな。生き残ったのはお前さんだけの様だが………ここまで来るとは中々の手練れだったんだろう。お前さんも、仲間も。」
「あ、貴方は………」
ゾーイの足先に立つ黒い鎧を身に着けた男。2メートルはあるだろうか、鎧の形から察せれる程に鍛え抜かれ、強大であろう肉体。兜の隙間から発せられたその声は低く、懐疑心と好奇心が入り混じっている様にゾーイは感じた。
「俺はアクセル。運が良かったな、ここには俺は滅多に来ない。」
「こ、殺したのか? 蜘蛛を? 一撃で?」
「此処より下はこいつらが群れを成してる。大人しく地上に戻るんだな………………ん? どうした?」
ゾーイは固まった。後ろに何か居るのかとアクセルは振り向いたが何もいない。もう一度ゾーイの方を見てアクセルは理解した。
「残念だったな………」
割けた蜘蛛の中から勇者たちらしき物が僅かに見えた。アクセルからすれば日常の光景であるが、ゾーイの青ざめた茫然自失ともとれる姿を見て、アクセルもそれが彼女に与えた影響の大きさを悟った。
「此処は危険だ、俺も地上に行く予定だし丁度いい。一緒に来るか?」
「どうして………………」
「ん?」
「夢だ………きっと夢だ。勇者が死ぬ訳ない。何かの間違いなんだ。」
「勇者? そんなに強かったのか?」
「ロストン王国最強の男なんだ……何度も助けてくれた………こんな所で………死ぬなんて………あり得ない。」
「最強? …………それは本当なのか?」
「あり得ない………あり得ない…………悪い夢だ……………悪夢だ………きっと…………もう直ぐ覚める。」
「悪夢にうなされているところ悪いが、俺は夢の中だろうが現実だろうが地上に向かう。まあ、白昼夢にしてはリアリティがあると俺は思うがな。」
「おし…………教えてくれ……………」
「何をだ?」
「これは…………現実なのか?」
「俺にも分からないな。気にした事も無い。だが、夢であってくれと思う時は何時だって現実の中に居るのさ。」
そう言ってアクセルは地上に向かって歩き出した。
「待って………………」
「何だ?」
「私も………連れて行ってくれ…………お願いだ。」
「そう言っただろ、遅れるなよ。」
ふらふらと立ち上がるゾーイを後目にアクセルは歩き出した。ああは言ったがゾーイを気遣い、ゆっくりと、できるだけ安全なルートを選んで進んでいった。
「此処には何をしに来たんだ? 最下層まで来たって何も無いぜ?」
「………………」
「(話す気力も無さそうだな。)もう少しで比較的マシな所に
出るはずだ。俺も行った事はないから良く分からないけどな。」
「………………」
「怪我は無いのか?」
「………………あり得ない………………夢だ………………きっと。」
「(暫くは話しかけない方がいいか、人と話すのなんて数年振りだから何をどうすればいいのか全く分からん。)…………ん? 何か来るな。後ろでじっとしていろ。」
「え?」
「………………さっきの奴の親だ。」
アクセル達の行く道を塞ぐようにさっきの蜘蛛の倍はあろうかという蜘蛛が現れた。ダンジョン内の通路を完全に塞ぎ、獲物………いや、獲物として見ていない。仇としてただ息の根を止める為に、ただ殺す為にアクセルの元に現れた。
「はは…………やっぱり夢だ……こんなの……いる訳………」
「復讐か、くだらん。食うか食われるか、それ以外の闘争に意味なんてないのさ。」
ギジャァァァァァァァ!!!
「くだ…らんっ!」
アクセルは3メートルはあろうかという剣を大きく振りかぶり、蜘蛛の頭胸部に振りかざした。
ジャァァァァァァァ!!!
「ふんっ!」
そのままアクセルは剣の柄に肩を押し当て、蜘蛛の腹部を割くように前進し、蜘蛛を先ほどの蜘蛛同様、真っ二つにしてみせた。
ギジャァァァァァァァ!!!
「ふん………………くだらん。」
「………………化け物だ。」
「ん?」
「化け物だ………お前は………人間の強さじゃない…………」
「命の恩人にそれはないんじゃないか? 別に家でご馳走揃えて正装で出迎えてくれないんて言ってないぜ? ちょっとの感謝だよ、頭を下げて礼を言うだけでいいんだ。」
「こんな化け物が居る訳が無い………良かった………夢なんだ………」
「…………もういいよ、無事に出られたら最高の礼をして貰うからな。自分にできる最高の礼を考えておいてくれ。」
「…………何故覚めない…………寒い……………もう起きてもいいはずなんだ………」
「悪いが毛布の類は持っていない、そろそろ休憩するか。」
アクセルは木々に覆われたダンジョンの中から手ごろな枝を探し、数十本集めた後、それをブンブン振り回して徹底的に水分を飛ばした。
「何か火を付けられる様な物持ってないか?」
「………………」
「何も持ってないか…………摩擦で付けるかな。」
「………………付けれる。」
「え?」
「今、付ける。それをそこに置いてくれ。」
アクセルは言われた通り枝を地面に置き、背中の剣を地面に丁寧に置いた後、直ぐそこに足を組みながら座り込んだ。
「付けるって?」
「………余り得意では無いが、火をつける事位できる。」
そう言うとゾーイは枝に手のひらを翳し、少し間を置いた後、乱雑に積み重なった枝の中心から炎が発生した。
「魔法か…………初めて見たかもしれない。」
「そんな訳………ないだろう。誰でもできるんだぞ?」
「俺は使えないんだけどな。」
「え? 何を言っているんだお前は?」
「まあ座りなよ。ここは安全だ、多分。」
ゾーイはその言葉に従ってその場で正座した。
「別に足は崩してもよくないか?」
「癖なんだ、不快なら今すぐ止めるが…………」
「いや、大丈夫だ。随分身分の高そうな人だと思ってな。」
アクセルがそう思ったのはゾーイの気品ある立ち振る舞いだけでなく、白銀の甲冑に施された無意味だが派手な装飾、何より彼女の顔つきがアクセルにそう思わせた。人と滅多に合わないアクセルでさえゾーイが奇跡とも言える程の美人であると感じたし、黒く、艶のある長い髪は余りにも整っていて、その目はまるでアメジストの様に輝き、怯えと好奇心の入り混じった目でアクセルを見つめていた。
「先ほどはすまない………わ、訳が分からなくて………み、みんな……く、蜘蛛にこ、殺されて………そそ、それで………………」
ゾーイは息を荒くしながら何とか言葉を捻り出そうとするが、それ以上は言えなかった。何とか平静を保とうとゾーイは息を整えて改めて声を出そうとしたが、瞳から込み上げる涙に妨害されてただ俯き、すすり泣く事しか出来なかった。
「さっきも言ったが俺はアクセル、呼び捨てでいい。落ち着いてからでいいんだが、名前を教えてくれないか?」
「………………私は…………ゾーイ・ディアマンディス。」
「ゾーイね、よろしく。」
「………………はは………現実の様だな………此処は。」
諦めたかの様な様子のゾーイにアクセルは何と声を掛ければいいか分からなかったが、とにかく励ますべきだと対人経験がないなりに考え、腰に掛けたバッグから果物を取り出した。
「食べるか?」
「………………要らない。」
「あっそ………本当に? 美味しいよ?」
「………………き、貴殿は…………何者なんだ? どうやってあのく、蜘蛛を殺したんだ?」
「どうって………剣で切っただけだが。」
「私の剣じゃ傷一つ付かなかった、それに………貴方の剣…………貴方よりも長い……そんな物を振り回すなんて…………」
「何時も背中に斜めにしてしょってるが、流石にでかいと思った事はあるよ。ただ、ここに居る魔物にはこれじゃないと倒すのに時間が掛かるからな。」
「ここに居る魔物って………何度もあんな奴を相手にしているのか?」
「ここに住んでいるからな。」
「………え? き、聞き間違ってしまった、すまないがもう一度言ってくれるか?」
「ここに住んでいる。」
「……何を言っているんだ……ここはロストン王国最大警戒区域、最難関ダンジョン、蠅の巣だぞ? 住むなんて………………」
「ここで生まれ育った。生まれた時から今の今までずっとこの中に居る。だから外の事は良く知らないんだ。」
「生まれ………まさか………魔物?」
「俺が人間以外に見えるか? 俺が魔物に見えているならマジで夢の中に居るのかもしれないな。」
「………その鎧も見た事が………黒じゃない? ………緑色?」
ゾーイは炎に照らされたアクセルの甲冑を見て、初めてそれが黒色では無く、深緑である事に気付いた。
「ん? 深緑だな。師匠がくれたんだ。」
「………まさか………いや、そんなはずは………でも、予言は………」
「予言?」
さっきまでとはまた違った動揺を見せるゾーイにアクセルは疑問を感じながらも、火を見つめてゾーイが落ち着くのを待った。
「………………深緑の騎士、白金の彗星を打ち落とす者…………魔の王にして、神に抗う者…………この世界の…………糸を断ち切る者。」
「どういう事だ?」
「聖書の第13章、遥かなる世界線にその予言が記されている。流石に貴殿の事では無いと思うが…………」
「聖書? 予言? 訳が分からん。深緑の甲冑を着た奴なんてそう居ないと思うけどな。」
「リネア教を知らないのか?」
「知らない。」
「リネア教を知らないなんて………本当に魔法が使えないのか………」
「リネア教を知らないと魔法が使えないのか?」
「魔法の源は信仰にあるだろう? 神様が私達に力を授けてくれるんだ。シンパシーだってそうだし、運命だって全て決まっている。本当に誰からも教えられなかったのか?」
「師匠はリネア教について何も言ってなかったな。それと、シンパシーってのは何なんだ?」
「神との共鳴………理を逸脱した能力をそう呼ぶ。絶え間ない信仰と才能によって神との共鳴を成功させると、能力が発芽するんだ。」
「へぇー。」
「………随分適当だな、もう説明しないぞ?」
「神からの憐れみかもしれんぜ?」
「どちらにしよ、我らに与えて下さっている事に変わりは無い。この信仰を絶やすつもりはないな。」
「そうかい…………少しは落ち着いたか?」
「あっ………ああ、落ち着いた。その……本当にありがとう、命を助けてくれて………大したお礼はできないが、是非私の家に来て欲しい。できる限りの事はしたいんだ。」
「無理はしなくていいが………まあそこまで言うなら行ってやらん事も無いかな。」
「ああ………………」
バタンッ
「…っ! お、おい!」
ゾーイは少し微笑んだ後、全身の力が抜けた様に地面に倒れ込んだ。
「ど、どうした? 大丈夫か!? (怪我は無い、毒か? いや、そんな様子は無かった。)」
「聞こえてるか分からないが、今すぐ上に向かうからな。それまで持ちこたえろよな!」
アクセルはゾーイを肩に担いで全速力で地上へと向かった。アクセルからしたら慣れない道から全く未知の道に進んで行った訳だが、鋭い勘と、嗅覚、聴覚、第六感、それら全てを駆使し、人類の身体能力の限界を遥かに超えた脚力で走り、あっという間に地上に出る出口までたどり着いた。
「これが地上か…………まっぶし!」
初めて浴びる陽光と、頬を掠めるそよ風はアクセルにとって余りにも刺激が強すぎた。まだ出たばかりで、辺りには木々が少し生えているだけの殺風景な草原だったが、アクセルにとってそこは世界の極々一部だと理解するには余りにも、余りにも、美しく、心地よく、広大過ぎた。
「そこに居るのは誰だ! 担いでる………まさかゾーイか!?」
「ん?」
声がした方を見ると遠くからやってくる馬車。
「歓迎………じゃあないよな。」
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