日常と非日常のあいだ。

数多 玲

本編

 最初は「メガネを取ったら割と似てるかもなあ」だった。

 数学のなぎさ先生は、かなり厳しいが説明はよくわかるいい先生だ。

 加えてメガネの下の素顔はかなりの美人であり、スポーツもできる。この間はどういうシチュエーションだったのかサッカー部の練習に参加していて、30mほどのフリーキックを壁越しの鋭いドライブシュートでゴール右隅に突き刺していた。

 多くの生徒のあこがれの存在といえる。


 ……しかし、私はある仮説を持っている。

 というか、もはや確信に近い事実を握ってしまった。


 そもそもその仮説を持つきっかけはあった。

 渚先生は授業の時にレーザーポインタを使うのだが、そのポインタさばきが某アイドルのマイクさばきに似ているのだ。

 持ち替えの瞬間を前から見られないよう、手元でくるっと回して後ろ手に持ち替える特徴的な動き。

 これを知っているのはそのアイドルファンの中でも古参と言われるひと握りの人間だと思う。ここ最近はそのことについて触れられていないし、なにより今はイヤモニに装着型のマイクが主流になってしまったので、それを見る機会が圧倒的に少ない。

 さらに特徴的なのは、授業の時の説明に最近作詞した楽曲のフレーズがいくつも含まれていること。気に入ったフレーズだからか、単に最近作ったときに深堀りしたフレーズだからかはわからない。

 これだけだと偶然の可能性も捨て入れないが、加えてたまたま目に入ったスケジュール帳に「ライブ」「収録」といった文字を発見したことが決め手のひとつだった。

 収録は知らないが、ライブの日程はそのアイドルのそれに一致した。ちなみにライブも収録も渚先生が受け持つ授業が入っていない曜日に集中しているのはたまたまか、それとも必然か。


 私も例にもれず渚先生は尊敬する人物であり、あこがれの存在ともいえる。非の打ち所のない聡明さに加えてスポーツ万能(自称だがおそらく事実)、スタイルは隠れる服をいつも着ているが、ドルオタである私の見立てではアレは脱いだらものすごいと思う。

 ……脱ぐアイドルではないと信じているが。


 そして、渚先生は「明日はちょっと遠出する予定があるから」と言っていつもより慌てて帰っていった。

 明日は私もそのアイドルのライブで遠征の予定だが、それをチェックしている生徒はおそらくこの学校にはいまい。

 まだまだ知名度は発展途上で、渚先生もたぶんこの学校にファンがいるとは思っていないだろう。油断しすぎだ。


 ……そこでひとつの疑問が浮かぶ。

 確かに渚先生は教師として、人間としてあこがれの存在だ。

 加えてそれが私の(もはや崇拝しているレベルの)アイドルであった場合、どう思えばいいのか。

 そもそも「アイドル」という言葉自体が崇拝する偶像を表すなんていう話もあるらしいのだが、そのアイドルが実は日常の最たる学校で教師だった場合、どういうモチベーションを保てばいいのか。

 他の人はどうか知らないが、私はアイドルに非日常を求めている。煩わしい現実世界から解き放たれて、思いっきりたのしむ。そこに日常の欠片すら持ち込みたくない。

 それがもし学校の先生だったら、私は喜ぶべきかがっかりするべきか。


 よくアイドルを恋愛対象にできるか否か、という話を目にするが、私は恋愛対象にはできないタイプだ。今回のケースが同性であることは関係ない。

 アイドルとは徹底的に非日常であるべきであり、そこに日常の影が混じっていたら心の底から楽しめない、と思っている。

 だから現場でリアルな知り合いを作る気もない。その知り合いを通じて現場に日常が入ってしまうのが嫌だからだ。

 仮にその知り合いとの関係が思わしくないものになってしまった場合、現場で顔を合わせるのが嫌でライブを心の底から楽しめなくなってしまう可能性もある。

 ゆえに私はぼっちでいい。というか、ぼっちがいい。そしてアイドルを恋愛対象と捉えてそのことで一喜一憂もしたくない。誰と付き合おうが、誰と結婚しようが私はそのアイドルを推す。

 ……何の話だ。渚先生だ。


 渚先生が匂わせなければこんなに悩まなかったのに。

 だが、渚先生が仮にそのアイドルだったならば、その価値観がいい方向に変わる気もしないではない。

 しかし事実を確かめる勇気は私にはない。



 ……というわけで、ライブは割り切って心の底からたのしむことにした。

 でもやっぱりどこかで渚先生と重ねてしまう自分がいて嫌になる。




 ――その時、不意に後ろから声がした。




「……佐伯さえきさん?」


 えっ、と思って振り向くと、そこには渚先生がいた。

 何で渚先生がここに? という思いと、渚先生がステージにいないことに対するある種の喜びと、ステージ上のアイドルが定番のアオリをするタイミングだったのでそれに対応しなければならないのが入り混じって最上級にテンパってしまった。


「あ、ごめんねコールで忙しいタイミングに」

「いえ、でもなんで渚先生がここに?」

「……内緒にしててほしいんだけど、あそこにいるのわたしの妹」


 ……ぱくぱく。

 そうか、そういうのもあるのか。


「あ、でも、収録って……」

「あ、わたしはコーラスもやってて、妹の楽曲に声を入れたりもしてるの」


 ……ぱくぱく。

 これはどういう着地点なのか。

 非日常で良かったとするべきか、日常が入ったとするべきか。


 とにかく、渚先生との距離が縮まったことは確かで、友達ほど近くない心地よい距離感の私にとってベストの関係の相手ができたのはとてもよかった。



 私が卒業してから渚先生ともう一歩踏み込んだ関係になるのはまた別の話であり、このころの私はそれを知らない。

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日常と非日常のあいだ。 数多 玲 @amataro

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