第5話



「着きました」


 ハッとした。

 礼を言って代金を払い、タクシーから降りる。

 深夜二時。

【バビロニアチャンネル】のタワービルはさすがに全体的には明かりは落ちていたが、それでも人がいる気配はして、使われてる部屋には明かりが見えた。

 まだ半信半疑な感じだ。

 シザは【グレーター・アルテミス】に来た時、これからは誰も自分たちを助けてはくれない。

 兄弟二人だけで生きていくしかないんだと思って、生きる覚悟を決めた。

 生きるための手助けをしてくれたり、味方になってくれる人間がいるなどとは、彼にはまだ思えなかった。

 自分が信じて裏切られたら弟まで傷つくことになる。

 それが尚更シザを注意深く慎重にさせた。

 裏門に周り、守衛室に近づく。


「あの……シザ・ファルネジアです」


 まだ疑ったまま声を掛けると奥にいた守衛が「ああ」という顔をした。

 すぐにパスを用意してシザに手渡す。

「こちらへどうぞ。アリアさんから聞いています」

 守衛はエレベーターまで案内してくれた。

「このパスを差し込んで、五十階を押してください。エレベーターを下りて左手に大会議室があります。すぐ、分かると思います」

「分かりました。ありがとうございます」

 シザが頭を下げると守衛は笑顔を見せ、去って行った。



 ◇   ◇   ◇

 


 大会議室までは迷うことはなかった。

 というのも明かりの無いフロアに出た時、側の休憩用スペースでアリア・グラーツが煙草を吸っていたのである。

 彼女はすぐに振り返って手を上げた。

「シザ」

 シザはまだ探っている状態だったが、アリアの表情は明るかった。

「すみません。少し遅れてしまって」

「いいのよ。こっちこそこんな遅くに呼び出して悪かったわね。

 そうCEOと話した時に気付いたのよね。

 貴方って結局何歳なの?」


「十六です」


 はっきりとアリアの表情が固まった。

「……今現在?」

「はい」

「驚いた。じゃあ大学は飛び級で入ったのね」

「そうです」

「秀才なんじゃないの。CEOと話した時に結局その彼は何歳なんだって聞かれて、多分二十歳くらいって言っちゃったわ。見えないわね。背が高いからもっと大人びて見えた。

 それじゃ貴方、本当にしっかりしてるわ」

「あの……僕の年齢が問題ですか?」

 シザが言うとアリアは笑って、煙草を携帯用灰皿に捨てる。

「冗談。そんなこと問題にするほどこっちだって遊びじゃないわよ。

 この世界は才能があるかないかなの。

 やる気と責任感があるなら何歳だって構わないわ。 

 ただ、知ってたら未成年をこんな時間に呼び出さなかった。ホント悪かったわね。急いじゃって。

 CEOにも年齢の確認もしてなかったから、笑われたわ。

 私が、いつになく焦ってるって」


 アリアは言って、名刺をシザに渡した。

「CEOに全て話したわ。全てというのは、貴方が昼間に私に話してくれた限りのことと、私が貴方をどうしても起用したいということ。

 彼は非常に興味を持ってくれてた。元々番組を私に一任させてくれてる人なんだけどね。

 ドノバン・グリムハルツ。【グレーター・アルテミス】ではホテル王として知られているけど、大富豪ラヴァトン財団の当主。首都ギルガメシュにホテル以外の会社も持っていて【バビロニアチャンネル】もその一つ。だからメディア界にも詳しいわ。

 まあ簡単に言うと、豪気な人よ。

 貴方とノグラント連邦捜査局の複雑な関係性だけど、事件概要を話したら【グレーター・アルテミス】にいる限り治外法権は守られるはずだと彼も言っていたわ。

 本当は今日も貴方に会いたがったんだけど、どうしても次の仕事があってさっき出国した。でも実は出国予定はもっと早かったの。私がどうしても相談したいことがあるとねじ込んで時間を取ってもらったのよ。

 普段はねじ込んだくらいで時間をくれる人じゃないんだけど、そういえばなんでか今日は承諾してくれたわね。

 彼とはいずれ一度話してほしいわシザ。貴方の現状と、貴方自身が考える未来への展望。

 ドノバンはそれがどんなものであろうと、うちと契約してくれればバックアップはしていくつもりだと言ってくれた」

 昼間話したことは一切問題がないと言われてシザは驚いた。


「ただし! 一つだけ彼が条件を出したわ」


「……何ですか?」

「【グレーター・アルテミス】を出ないこと。ここにいる限り、ノグラント連邦捜査局の捜査は及ばない。つまり考える必要はないわけ。

 ただ貴方が【グレーター・アルテミス】外に出ると、いずれ逮捕状は出るはずだから、逮捕されると所属タレントとしても、政治的な意味合いでも厄介なことになるから、それだけはやめてほしいと。どう? 出来る?」

 何を言われるんだろうとシザは身構えていたが、言われて呆気にとられた。

「なんか『なんだそんなこと』って顔に見えるわね」

「ええ……。そんな感じです。――元々僕はそのつもりでした。全く構いません」

 アリアは満足げに頷いた。

 すぐに座って、とソファを指差す。


 大会議室に行くのももどかしいらしい。


「貴方は【アポクリファ・リーグ】のことをあまり知らないみたいだから、よく分からないと思うけど。犯人逮捕以外にも特別捜査官には【グレーター・アルテミス】全体の広告塔にもなってもらうの。

 要するにこのアポクリファしか住んでない国をアピールするわけね。

【アポクリファ・リーグ】は十二州の警察署から最大三人まで選抜される警官のエリートよ。昼間に話したアレクシス・サルナートは【白羊宮アリエス】所属している。

 元々地味目の警察署だったのに、アレクシスが所属するようになって【白羊宮警察】の知名度も人気も爆上がりしてるわ。そういうものは州の経済にも大きく影響を及ぼしてる。

 ドノバンが出国だけは禁じてくれと言ったのは、貴方がこれから【グレーター・アルテミス】や【バビロニアチャンネル】、【獅子宮警察レオ】の広告塔にもなるからよ。

 逮捕はイメージダウンや株価も暴落させるから絶対やめてね」


「分かりました。それは必ず守りますし、そのつもりでここに来たから大丈夫です」


「シザ、これは私とCEOが話し合った上の『提案』よ。

 貴方が聞いて思うことがあったら、ちゃんと意見を言っていいし、嫌なら断ってもいい。

 私は貴方と契約したいから、貴方が何かを言ってもそれを理由に契約の意志が無くなったりはしない。要するに、貴方から指摘があるならそれを改善したい気持ちがあるということ。貴方は抱えている事情が特別だからお互い腹を割って話して、いい契約を結びましょう」

「分かりました」

 シザは頷く。

「私の意志をドノバンは支持してくれたから、これは二人の考えだと思ってくれていい。

 私は貴方が【アポクリファ・リーグ】にエントリーする記者会見で、ダリオ・ゴールドの事件は【グレーター・アルテミス】の国民には隠さず発表した方がいいと思う」

 シザはっきりと驚いた表情をした。

「いずれ逮捕状が出るなら、それより前の方がいい。

 貴方に非がないこと、正当防衛だったこと、虐待のことも、話せるところまででいい。でも限界まで話して自分の正当性を明らかにしてほしいの。

 アポクリファの子供が虐待されることに【グレーター・アルテミス】国民は元々同情的だし、その事情を伏せるとなると、逮捕状が出た時に打撃になってしまう。

 でも伏せたいならそれでもいいわ。無理強いはしない。

 ただ……かといって現実の貴方や弟の存在が隠れるわけではないわ。

 逮捕状が出たらプライベートはいずれにせよメディアに嗅ぎ回られるだろうし、そういう時、うちはメディア系だから必ずしもすべては守ってあげられない。

 ――それに、何より私は、貴方は本音を隠さずデビューした方がいいと思ってる。

 貴方の素顔には何て言うか……単に美形ってだけじゃない。人を惹き付けるし、紡ぐ言葉にもパワーがある。それは隠さない方がいいわ。

 私は明確にアレクシス・サルナートの連覇を止めるための対抗馬として貴方を起用したいと思ってる。

 光の強化系能力者なら一撃のインパクトは今からだって見込めるはず。

 貴方の戦闘シーンでのインパクトの出し方はこれから詰めて行くけど。 

 契約したら、貴方にはアレクシス・サルナートの今シーズンの戦いぶりを全部見せる。

 彼が実力者であることは必ず納得するはずよ。

 忠実な実行力もありながら、魅せる戦いっぷりっていうのがどういうことか、彼の戦いを見てれば分かるはず。

 存分に見て、彼の戦い方を学んで。

 真似をするためじゃなくその中から、彼には無い、貴方だけの戦いの魅せ方を見い出してほしいのよ。

 他の特別捜査官のことは一切考えなくていい。

 アレクシス・サルナートの万能的な所は、総括的に彼というイメージを作り上げてる。

 彼に対するヒールではなく、本音の表情や言葉を見せて人間味のある感情で【グレーター・アルテミス】の人々を自分に共感させてほしいの。

 昼間貴方は私の前で、そういうパワーのある表情を何回も見せてる。

 絶対出来ると私は確信してるから」

 シザは頷いた。


「貴方が僕に望むことは理解しました。

 事件のことを話すことは、会社がそれでいいと言うのなら僕は構いません。

 僕がカメラの前で全て事情を話します」


 アリアが明るい顔をした。

「あなた、本当に強いわね」

「いえ……貴方の言った通りです。いずれノグラント連邦捜査局は僕に対して逮捕状を出して来る。例え逮捕の手がこの国にいる限り及ばなくても、現実の生活では逮捕状が出れば僕やユラの生活はどのみち追い回されます。

 一般人として何か発言しても、確かに威力はないでしょうし、殺人者だとただ罵られるかもしれない。

 でも正当防衛なんだと訴える場を作ってもらえるなら、僕はむしろありがたいです。

 あの悪魔のような男を手にかけたことは一切後悔してませんが、ただ殺人者と罵られるのは避けたい。

 僕と弟がどれだけ今まで必死に戦って、戦った末にどうしようもなくて、身を守ったことを分かってもらいたいと思っているからです。

 理解してもらいたいんじゃない。理由のない犯行だとは、絶対に思われたくないから」


 十六歳で、両親がおらず、幼い弟と二人きりの兄弟。

 それでシザはこの苛烈な魂を持っている。


 アリアは決して犯罪を称賛するわけではないが、正当防衛である以上シザの抱えるこの複雑な事情と、それに負けまいと必死に生きるような姿は必ず視聴者の興味と、共感を惹き付けるだろうと確信を持った。


 アレクシス・サルナートはまさに絵に描いたような優等生である。

 強く、正しく、温かな人柄。

 彼を包み込む、安定感のある世界。


 シザの持つ悲劇性と、憤怒でその残酷な運命を切り拓こうとする意志の強さ。

 鋭い刃のような、緊張感ある世界観。


 必ず【グレーター・アルテミス】の人々を今までにない魅力で捕らえるはずだ。


「分かったわ。発表は出来るだけ早い方がいいと思ってる。日程や内容はすぐにまた話し合いましょう。

 それで……ここからは契約金の話。

 弟を音楽院に通わせたいって言ってたわよね。

 これは基本的な契約料だと思って。

 一応、三年契約を目安にしておいたわ。といっても年ごとに契約更新の話し合いの場は設ける。人気が出たらこっからでも跳ねあがるわよ。

 それに加えて私が個人的に推して加入させるタレントっていうことも鑑みて、これだけ出す。どう?」

 自信はあったのだろう、アリアはメモを見せた。

 シザは息を飲む。

 女プロデューサーは顔色を窺った。

「……それは……どういう顔?」


「【アポクリファ・リーグ】に所属する特別捜査官ってこんなに稼いでるんですか?」


 ようやく見せた十六歳の青年らしい戸惑いに「あっはっは!」とアリアは声を出して快活に笑った。

「そうよ。どんなもんを予想してたの?」

「……桁が違いました」


「貴方には【アポクリファ・リーグ】が興行収入でどんなもんか、いずれもっと話しておかなきゃならないようね。

 いい?

 シザ。【グレーター・アルテミス】はアポクリファの街なの。

 アポクリファしか居住を許されない、彼らの楽園よ。

【アポクリファ・リーグ】に所属する特別捜査官は【グレーター・アルテミス】に集まる全てのアポクリファの頂点に存在するのよ。

 それを絶対に忘れないで。

 犯罪者も当然能力者だし、どんな能力者かは分からない。

 でもどんな能力者だろうと負けることは絶対に許されない。

【グレーター・アルテミス】の治安はアポクリファによって完全に守られていると、国際社会にも強く思わせなければならないから。

 その使命に対して、うちはこれだけ払う。

 実は貴方がごねた時用にもうちょっとだけ上乗せするプランBも考えてたけど、私の番組を知らずに舐めた罰よシザ。これでサインしなさい!」


 言い切ったアリアに、シザはさすがに笑った。

「いえ。いいんです。僕は実績のない新人です。これだけ頂ければ最初の契約に何の文句もありません。ありがとうございます。アリア。

 CEOのドノバンさんにも、僕が喜んでサインしたと伝えておいてください。

 お二人の助言とサポートにも、……感謝していると」


「世界中を飛び回ってる人だからいつになるかは分からないけど。

 いずれ貴方の前に現れると思うわ。その時には一度じっくり話してみなさい」


「はい。楽しみにしています」


 アリアは頷いてから、豪快に小切手に契約料を書いた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る