第33話

「田中さんって、本名は加藤さんでしたっけ?」


「そうだよ、よく覚えてたね。田中俊郎は偽名で、本名は加藤学だよ」


「わたしも破魔矢梨紗というのは偽名なんです。本当は西日野亜美って言います」


「かわいい名前」


「よく言われます(笑)」


「自分で言っちゃうんだ(笑)」


 破魔矢さんとはそれから毎日のようにアプリで連絡を交わすようになった。

 基本はメッセージのやり取りだけだったが、時々通話もすることがあった。


 僕がいつも通りリビングのソファーで寝転んでスマホをいじっていると、その隣で妹がいつも通り録画した深夜アニメを観始めた。


「なに観るの?」


「『先輩はおとこのこかもしれないがおんなのこである可能性もゼロではないので性別は不明とします』だけど?」


「どっちなの? 結局、その先輩」


「わからん。『エゾシカのこのこのここしたんたん』くらいわからん。ふぬ!」


「あー、気にしたら負けなやつね。最後までよくわかんない系の」


「ふぬ! おにいちゃんこそ、またおねえさんと?」


 妹は破魔矢さんのことを、勝手にお義姉さんと呼ぶようになっていた。


「見せないよ?」


「べつに、みたくないもん。あんしょうばんごうしってるから、あとでみるけど」


「え? なんで知ってるの?」


 妹はへへーんと自慢げに笑って、もう一度「ふぬ!」と言った。エゾシカのこの主題歌に脳がやられてしまっていた。


 破魔矢さんの実家は神社で、本名の方の苗字と同じ西日野神社というところらしい。

 調べてみたら僕の家から車で県をまたいで一時間ほどの場所にあった。

 1712年に建立され、300年以上の歴史を持つ神社のようだ。

 彼女は普段その神社でお姉さんと一緒に巫女として働いているそうだった。

 だから偽名の苗字が破魔矢なんだなと僕は妙に納得させられたけれど、神社の娘さんがどうして僕と同じ仕事を? と思った。彼女は大学時代に何十社も面接を受けていたが、ひとつも内定をもらえなかったから、今の仕事にスカウトされていたと聞いてもいた。

 その理由は、どうやら破魔矢さんやお姉さんには男兄弟がいないことや、そのせいで姉妹のどちらかが婿養子をもらい神社を継がなければいけないからのようだった。

 そのことや、中学生の頃から巫女として働かされてきたことが嫌で、大学に進学しマスコミ関連か広告代理店の仕事につきたかったそうだ。理由は「そういうところは白馬の王子様との出会いがたくさんありそうだったから」らしい。

 だけど、重度の人見知りが原因で就職先が見つからないまま卒業することになってしまい、同じ学部の先輩だった鬼頭さんからスカウトされ、僕と同じタナトーシスになったという。


 西日野神社は神道の神社のようで、神道の神社ではなかった。

 黄泉の国の神となったイザナミ、彼女とイザナギの最後の子であるカグツチ、そして月を司り夜を統べるツクヨミ、三柱の神を三位一体の最高神とする裏の神道、「黄泉路(よみじ)」の神々を祀る神社のひとつで、主祭神は織流肩巾有珠大神(おるひれうすのおおかみ)、他に夜反(よはん)、柄留巣戸(えるんすと)、枝利亜守(えりあす)、部簾羅安(べすらあ)という神を祀っているらしい。

 人の家の歴史ある家業をあまり悪くはいいたくはないけれど、なんだかすごくうさんくさかった。


 だって、織流肩巾有珠大神ってたぶん、18世紀に実在したと言われている謎の永久機関、オルフィレウスの自動輪を開発したオルフィレウスさんのことだし、建立年とされている1712年は、ドイツ南部の町で彼が自宅でその永久機関を展示した年だし。

 夜反、柄留巣戸、枝利亜守、部簾羅安も、彼の本名のヨハン・エルンスト・エリアス・ベスラーから来てるんだろうし。

 実際の建立年は、この国がまだ鎖国をしていた江戸時代じゃなくて、明治以降じゃないんだろうか。大正元年かもしれない。大正元年に当たる1912年に建立されたけれど、歴史があるように見せるためにちょうどぴったり200年早めただけなのかもしれない。

 黄泉路なんていう裏の神道の存在を僕は知らなかったし、明治か大正に生まれた所謂カルト宗教が、100年以上続いているだけのような気がした。



 破魔矢さんには、姉妹共々親御さんが勝手に決めた婚約者がいるらしいと知ったのは、九月も下旬にさしかかった頃だった。

 二一世紀の日本の話とはとても思えなかった。

 その相手は「この国の王族の血を引いてはいるが、王族ではない人」だという。破魔矢さんの家もちょっとやばいが、婚約者はもっとやばかった。

 さすがにちょっとかわいそうな気がしてきたので、僕はメッセージのやりとりを通話に切り替えることにした。隣でアニメを観ていた妹にはヘッドホンをつけさせ、婚約者のやばさだけは教えておくことにした。


「どうしたんですか? 急に通話したいなんて」


 破魔矢さんは少し困惑しているようだった。彼女の都合を僕は全く考えてなかったから迷惑だったかもしれない。そんな相手に僕はこれから余計なお世話を焼こうとしていたから、本当に申し訳なかった。


「ごめんね。メッセージだと長くなりそうだったから」


「わたしの、婚約者のこと、ですか?」


 僕は、うん、と答えると、覚悟を決めて話し始めることにした。


「あんまり知られてないけど、計算上、あくまで計算上の話なんだけどね、この国の王族の血を引いている人って結構いるらしいよ」


と。


「え? そうなんですか? どれくらいいるんですか?」


 当然の疑問だろう。だけど、僕の答えはきっと彼女の想像をはるかに超えていた。


「今の日本の人口の444万倍」


「え?」


「今の日本の人口の444万倍だよ。地球の総人口の7万8千倍。だから地球約8万個分の人口だね」


「え? え? どういうことですか?」


 うん、そうだよね。びっくりするよね。僕だって始めて知ったときびっくりしたからね。


 これは本当にあくまで計算上の話だ。

 だから、非国民とか言わないでほしいし、公安とか宮内庁の人がもし見ていたとしたら、どうか笑い話として、けっして怒らないで聞いてほしい。僕はまだ死にたくないので。


 歴代のこの国の王の内、神話上の存在ではなく、歴史上ほぼ確実に実在したと考えられているのは、6世紀前半の王からだ。

 そこから考えると、現在まで約1500年が経過している。

 生まれてから子供が出来るまでを1世代、大体30年と考えると、1500年で50世代に相当する。

 男性も女性も代々それぞれ二人の子孫を残してきたと考える。一組の夫婦の子供は二人だったとするということだ。

 30年毎に2人の子孫を残したとすると、50世代前の実在したとされる最初の王の子孫の数は2の49乗になり、562,949,953,421,312人という事になる。

 つまり、563兆人だ。

 現在の日本の人口は1億2000万人くらいだから、計算上王族の子孫は日本の人口の約444万倍になり、現在の地球の総人口を72億人とすると、その約7万8千倍になる。地球約8万個分の王族の子孫がいるということになる。

 地球の内側が空洞で、そこに人が住めるようになっていたとしても、到底入りきらないほどの人口だった。


 ただこの計算は、子孫同士のカップルを想定していないし、子どもに恵まれなかったカップルや子どもが早くに亡くなってしまった場合も想定していない。だからありえない数字になってしまっている。

 しかし、十代前や五代前に共通の祖先がいたとしても、家系図はあっても戸籍という制度がなかった時代に、結婚する当人たちが気付くことができたかは疑わしい。仮に気付いたとしても、遠縁の親戚だから結婚しないという慣習は日本にはない。

 この国は現在、四親等以上離れていれば結婚が可能だ。従兄弟となら結婚できてしまう。それに昔はわりと近親婚が多かったとも聞く。

 王の子孫同士のカップルや子どもに恵まれなかったカップルの発生確率について、合理的な推論をする方法まではわからないが、間違いなく言える事は、現在の日本人の中で、「自分は王族以外の者ですが、実は王族の血筋を引いています」なんて事の稀少性はほとんどない。


「だから、その、破魔矢さんの婚約者の人みたいに、この国の王の血を引いてはいるが王族ではない人って、日本国民全員がほぼほぼ当てはまっちゃうんだよね」


 だって破魔矢さんもそうだし、僕だってそうなんだから。

 破魔矢さんは絶句していた。

 王の血が破魔矢さんの婚約者に必要なステータスなのだとしたら、


「僕だって破魔矢さんの婚約者になれるよね?」


 思うだけのつもりだった言葉が、声に出てしまっていた。


「えっ……」


 と破魔矢さん。


「えっ……?」


 と僕。


「エエエーッ!?」


 と一番大声を上げたのは妹だった。

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