第28話

 大学の卒業式の後に立ちよった部室には、鬼頭さんの隣に僕の知らない女の子がいた。


「この子も私の会社でタナトーシスとして働いてもらうの。だから○○くんの同僚。破魔矢さんていうのよ」


 僕がタナトーシスという言葉を初めて知ったのはそのときだ。死んだふりをする仕事としか聞かされてなかったからね。


「破魔矢(はまや)……梨沙(りさ)です」


 破魔矢さんは、鬼頭さんの背中に隠れるようにして、僕に向かってちょこんと頭を下げた。体を少し震わせながら、鬼頭さんの服の袖をぎゅっと握っていた。僕を怖がっているようだった。


「人見知りなの、この子。三ヶ月くらい一緒に仕事をすれば、○○くんとも話せると思うんだけど」


 鬼頭さんはまるでかわいい妹を溺愛する姉のように、破魔矢さんの頭を優しく撫でた。彼女は気恥ずかしそうにしながら、だけど嬉しそうにしていた。だから僕はよほど懐いているんだろうと思ってたんだよ。


「まぁ、ふたりは毎回違う現場になるから、三ヶ月も一緒に仕事をすることなんてないと思うけどね」


 つまり、破魔矢さんの僕に対する人見知りはずっと続くということだろう。

 少しだけ残念だった。彼女はとてもかわいらしい女の子だったから。

 彼女は鬼頭さんと同じ学部で、僕と同じように就職先が決まらないまま大学を卒業することになり、鬼頭さんにスカウトされたそうだった。

 とても幼い見た目をしており、僕と同い年にはとても見えなかった。

 高校生どころか中学生にしか見えなかったが、一浪していたらしく、なんと僕よりひとつ年上だった。合法ロリは実在していたのだ。

 そんな風にして、僕は男性役の「タナトーシス」、破魔矢さんは女性役の「タナトーシス」として、KITセレモニーで働くことになった。



「愛妻家で子煩悩な元レイプ犯のパパだっけ。素直に死んでてくれた方が世の中のためになったと思うんだけどなぁ」


 火葬場の長い煙突から出ている、偽物の煙を見上げながら僕はそう言うと、スマホを取り出し、従業員用のアプリを起動した。

 画面には、”TA002XYT2”「タナトーシス専属エージェント」「田中俊郎」という僕の社員番号や役職、偽名、それから「現在任務遂行中」とあり、僕はさながらスパイ映画の主人公のようだった。

 アプリ自体もかなり凝って作られていて、90~00年代の映画やアニメのかっこいいオープニングや演出をうまく融合したような感じだった。起動したときはもちろん、何かしようとするたびにいちいちかっこいいエフェクトが入るのだ。

 僕が「任務完了報告」をタッチすると、本来なら「ミッション・コンプリート」と出るべきところに、「ノブレス・オブリージュ」という、雰囲気だけの意味のそぐわない文章が表示される。それを見るたびに僕は思わずニヤついてしまう。

 こういう遊び心のある社風を僕は結構気に入っていた。


 任務完了報告時の僕の現在地は、会社と霊柩車のドライバーのスマホに送信される。数分後には、


「田中さん、お疲れ様でした」


 ドライバーの瀬名さんが僕を迎えにやってきてくれる。

 火葬場に向かう時と違い、僕を迎えに来てくれる時の車は、霊柩車のいかにもな装飾がすべて車の中に収納されており、端からはリムジンにしか見えないようになっている。よく見ればナンバーは「4444」のままなんだけど。

 僕はそのまま瀬名さんに送られ、自宅に直帰する。


 瀬名さんは助手席に座った僕の顔を見ると苦笑いをした。今回は少し大変な仕事だったからかもしれない。

 僕が今回依頼人に代わって死んだふりをしていたのは何日間になるだろうか。一応殺人事件の被害者だったから、今回はいつもより長めの仕事だった。

 確か通夜の前々日の夜から始まり、通夜までは滞りなく進んでいた。

 だけど、葬儀の最中に何やらひと悶着あったらしく、葬儀は一度中止になってしまい、翌日改めて葬儀が行われた。

 僕は指で数えながら四泊五日も死んだふりをしていたことに少し驚いた。

 たった一件の依頼でサラリーマンの月収くらいは稼いでしまっていたからだ。


 車が僕の家に着き、瀬名さんに礼を言って車を降りようとすると、


「た、た、田中さん、は、鼻に、め、綿が詰まったま、ままですよ」


 彼はブフーッと、我慢の限界といった顔で盛大に噴き出した。

 僕はふんっとそれを地面に飛ばし、「瀬名さん、人が悪いですよ」と苦笑して彼に言った。

 四泊五日かけて考えた渾身のボケだったから、気づいてくれなかったらとか、気づいても指摘してくれなかったらどうしようとか、内心ヒヤヒヤしていたところだったから正直ホッとした。



 僕の家は、愛知県の西端、三重県との県境がある街にあった。西端と言っても県庁所在地である名古屋がそもそも西寄りにあり、田舎だがあまり不便な街ではなかった。

 電車はJRだけでなく近鉄や名鉄も走ってるし、国道も1号線と23号線が走っている。一応イオンもある。モールじゃなくてタウンだけど。

 不便なことと言えば、市内に映画館がないことと、家の最寄りのコンビニまで徒歩で30分もかかることくらいだ。

 まわりを田んぼや金魚池で囲まれた築四十年の古い一軒家が僕の家だった。相当土地が安いらしく、百坪の土地に七十坪くらいの家が建っていて、庭も結構広い。

 都会に狭い土地を買うくらいなら、僕はこの家に一生住みたいくらいだった。コンビニがちょっと遠すぎるけど。イオンはタウンだし、映画館ないけど。


 四日か五日ぶりに帰った僕を、玄関で妹が出迎えてくれた。まだ昼過ぎだったから共働きの両親は帰ってはいなかった。

 父親はJAの職員で、母親は総合病院で経理の仕事をしている。

 妹はこの春高校を卒業し通信制の大学に通っていたが、少し前にやめてしまって今は無職のニート……じゃなくて家事手伝いをしながら花嫁修業の真っ最中だった。


 久しぶりに会った妹は、僕を出迎えるなり「おにーちゃん、おこづかいちょーだい」と甘えた声で手を差し出してきた。


「いくら欲しいの?」


 あげるつもりはなかったけど、念のため訊ねてみることにした。

 7つも年下の妹というのはやはりかわいいもので、金額次第ではあげたくなるかもしれなかったからだ。ごめん、嘘。むしろ、あげる気満々で訊いた。


「ゆーきいーえる? のスイッチと、女神転生5の完全版が買えるくらい? もしくはプレステ5と龍が如く8が買えるくらい、かな?」


「ごめん、さすがに無理。5万は無理。7万はもっと無理」


「えー、けちだなー、おにーちゃんはー。あー、けちけち。やだなー、わたし、おにーちゃんのこときらいになっちゃうかもなー」


 僕は速攻でスマホを取り出した。アマゾンのアプリを開くと、プレステ5とゲームソフト2本をカートに入れた。スイッチは最初に出たときに買ったものが家にあったし、龍が如くはプレステかパソコンでしかできないから。真・女神転生5の完全版もありがたいことにスイッチ独占ではなくプレステでも出ていた。


「ペルソナの無双みたいなやつはいるか? ソウルハッカーズ2は? あと、龍が如くは7から主人公変わってるから、7からやった方がいいみたいだぞ? 7外伝なんてのもあるけど、これは前の主人公の話か。てかもう、なんならゼロとか極とか極み2から8まで全部買うか?」


 結局妹が好きそうなものを全部買ってしまい、10万を軽々と超えてしまった。


「明日の午前中に届くから、受け取り頼むよ」


「はーい。ありがとー、おにーちゃん。だいすき」


 感謝の言葉に全く心がこもってないのがまた、なんともかわいらしかった。

 シスコンとはATMになりさがること風のごとしと見つけたり、なんだぜ。


 そう言えば破魔矢さんにはつい先日僕の妹が世話になったばかりだった。

 普通に家にいるものだから忘れてしまいがちだけど、戸籍上僕の妹はすでに死んでいた。顔は本人の希望でそのままだけど、名前と戸籍は変わってしまっていた。


 8月の終わり、巨大台風が日本列島を襲った夜のことだ。

 妹が何故そんなことをしたのか、ぼくには皆目見当もつかないのだけど、妹はひとりで海に行き波にさらわれてしまった。

 奇跡的に浜に打ち上げられて一命を取り留めた妹は、僕を通してKITセレモニーにタナトーシスを依頼し、破魔矢さんにその死を偽装してもらっていた。

 その理由も僕は詳しくは聞いていない。

 たぶん、男がらみだと思ったから聞きたくなかったのだ。

 僕は妹に彼氏がいたのかどうかすら知らない。だからただの勘だ。妹は事故などではなく、自殺を図ったのだと僕は考えていた。


 破魔矢さんには今度お礼をしなくちゃいけないと思った。

 僕と彼女は同じ会社で同じ仕事をしているというのに、僕は今でも彼女から人見知りをされている。


 あの卒業式の日の出会いから、三年半が過ぎていたというのに。

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