第29話

 新興の葬儀会社であるKITセレモニーは、特別プランである「タナトーシス」こそ超弩級に高額で数千万円から億かかるが、それ以外の通常プランは格安をウリにしており、競合他社の半額程度で葬儀をあげることができた。

 しかし、起業した年の冬に運悪く世界規模のパンデミックが起きてしまった。皆さんご存じの「カーズウィルス」だ。


 カーズは、感染致死率100パーセント、ステルス性の非常に高いウィルスであり、医療機関のどんな検査でも発症するまで感染を知ることができなかった。その上、一度発症すれば、体中の穴という穴から血を噴き出して死に至り、その飛沫は半径数十メートルにまで及ぶ。

 その様子を例えた「人間噴水」という言葉は流行語大賞にノミネートもされた。

 とても恐ろしいウィルスだった。

 現在の感染者はごく僅かだが、ウィルスはさらに進化を続けていた。アルファやベータから始まった進化の段階を示すギリシア文字は、この春にはとうとうオメガになり、夏には「カオス1株」と呼ばれるようになっていた。カオス1株は一度発症すれば、人体の内側と外側が裏返ってしまうという。血液や体液だけでなく内臓や筋肉、骨までも周囲に撒き散らすことになる。さらに進化することがあれば、「カオス2型」と呼ばれるようになるらしかった。


 パンデミックのため家族葬が増えるようになり、KITセレモニーは当初の予想ほどその安さが世間には浸透しなかった。

 パンデミックはこの国の様々なものを、かつて仕分け人と呼ばれた政治家よりも的確に仕分けしてみせた。

 非常事態宣言によって不要不急の外出を避けるようになった時、この社会に本当に必要な商売とそうではない商売がはっきりと浮き彫りになったのだ。

 非常事態宣言下でも営業自粛の対象にならなかった商売さえあれば、人は最低限の生活が出来てしまう。それ以外に当たる大半の商売は、生活に潤いを与える程度のものでしかないことが証明されてしまった。

 僕が学生時代にアルバイトをしていた飲食店やゲームセンターなどはその最たる例だろう。軒並み潰れてしまっていた。

 職場の飲み会や対面での打ち合わせや会議など、それまで社会の常識とされていたものが必ずしもそうではなかったことも証明された。


 葬儀もそのひとつだ。パンデミック収束後も家族葬で済ませればいいという考え方が、この国の人たちにはしっかりと根づいてしまった。

 映画もそうだった。わざわざ映画館に足を運ばなくとも、半年後には家のテレビやスマホの画面でサブスクで楽しめることがわかってしまった。映画館はいまや、スクリーンや音響にこだわりがある人だけが足を運ぶ場所になっていた。


 パンデミックのせいでKITセレモニーはこの三年間タナトーシスのほぼ一本槍で勝負していた。

 通常プランの葬儀が全くないわけではなく毎日何件かはあったが、猫の手も借りたいほど忙しくなったことは一度もなかった。暇すぎて関連企業である”O.W,S,”に人員を派遣しているくらいだった。

 会社にふたりしかいないタナトーシスである僕と破魔矢さんは、本来なら通常プランの葬儀でもスタッフとして仕事をするはずだった。最初の九ヶ月ほどは実際そうしていた。

 だけど今の僕は月のほとんどが休みになっており、忘れた頃にタナトーシスの依頼が来て駆り出されるという生活が続いている。破魔矢さんもきっとそうだろう。

 僕の予定は当分の間フリーになっていた。次にいつタナトーシスをすることになるか全くわからなかった。明日かもしれないし、明後日かもしれない。来週になるかもしれないし、来月や再来月になるかもしれなかった。


 破魔矢さんへのお礼は何がいいだろうか。

 そんなことを考えながら、僕はリビングのソファーに寝転がり、スマホで「テロリス」というアプリをやっていた。考える時間だけはありがたいことに山ほどあったから。


 僕が何年も一切課金せず惰性で続けているそのアプリは、世界中の有名なテロリストたちがテトリスのブロックのようなポーズをして下りてくるパズルゲームだった。

 直立不動で降りてくるビンラディンを、右端に落下さえさせれば、いよいよめったにできない六段消しが成功するというとき、


「あ…ありのまま、今、起こった事を話すぜ!」


 僕のそばで録画した深夜アニメを観ていた妹が、どこかで聞いたことのある台詞を口にした。やけに芝居がかった口調だった。

 スマホの画面にはビンラディンではなく、履いてますよのポーズをした日本赤軍のメンバーが降りてきた。


「おれは『頻繁にコソッとスワヒリ語でデレてくる後ろのバラカさん』を観てると思ったら、いつのまにかよくわからねー中高一貫の私立のよくわからねー生徒会長選挙を見せられていた…」


「おい、なんだそのアニメ。スワヒリ語ってどこの言葉だ?」


「ケニアとかタンザニアとかウガンダとかルワンダだ……ブラックパンサーのワカンダがみんなでフォーエバー21してるあたりでもある……」


「そうか。東アフリカか。とうとう日本のアニメもポリコレに屈したんだな」


 ブラックパンサーは最高にカッコいい映画だけど。チャドウィック・ボーズマンさんよ、あんた主演の弥助の映画、見たかったぜ。


「な…何を言ってるのか、わからねーと思うが、おれも何をされたのかわからなかった…頭がどうにかなりそうだった…」


「催眠術だとか超スピードだとかそんなチャチなもんじゃないんだな?」


「あぁ、断じてねえ…もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…」


「よしわかった。とりあえずポルナレフをやめるところから始めようか」


 僕はスマホをテーブルに置いて体を起こす。


「使い古されすぎてるからな? なんかもう、ジョジョを読んでない人まで元ネタを知らずに使い倒してるからな?」


 妹の手からリモコンを奪うとテレビを切った。ちなみに僕はジョジョは四部が好きだった。


「な なにをする きさまらー!」


「貴様らじゃねぇよ、俺一人だよ」


 お前は念願のアイスソードを手に入れて自慢でもしてたのか? 伝説の「殺してでもうばいとる」でもされたんか?


「ところでお前、今なんて名前になったんだっけ?」


 とりあえず、話を「スワデレ」? から逸らしたかった。話題はなんでもよかった。


「え? わたし? 今の名前は『さくら めこ』だが?」


「お兄ちゃんの好きなVTuberの名前に勝手にするんじゃありません!」


 妹はきっと、わざと僕の好きなVTuberと同じ名前にしたのだろう。漢字だと「佐倉芽子」と書くらしい。普通にいそうだった。「めこ」じゃなくて「めいこ」ならだけど。


 KITセレモニーは依頼人にホームレスから買った戸籍を与えるだけではなく、依頼人が望む名前や住所を与える。

 数千万から数億という高額な依頼料が設定されているのはそのためだ。

 地面師のメンバーやコンフィデンスマンの仲間にいるような腕利きのニンベン師を雇い、存在しない戸籍を捏造し、パスポートや保険証、運転免許証はもちろん、マイナンバーカードまで偽造する。それが本物になるように国や役所のデータベースさえも改竄もする。


「ちなみに職業は『エリート女子(めこ)アイドル』だが?」


 駄目だこいつ…早く何とかしないと…と、僕まで使い古された台詞を頭の中で呟くことになった。


 こんな感じで、僕たちが今平和に暮らしていられるのは、破魔矢さんのおかげだった。

 社員割引があったとはいえ、会社にはそれなりの金額を払ったし、当然彼女にもそれなりのギャラが支払われることになっている。だけど、それだけでは足りないと僕は思った。大切な家族の死を偽装してもらったのだ。

 彼女は一体どんなものが好きなんだろうか。僕はいまだに彼女のことを何も知らない。


「てか、ワカンダがみんなでフォーエバー21してるって何?」


「いや、それ、俺の台詞だよ」


「ブラックパンサーのことディスってんのか?」


「いや、それも俺の台詞だよ」


 田中俊郎という名前が僕の偽名であるように、破魔矢梨沙という彼女の名前も偽名だ。僕は彼女の本当の名前すら知らなかった。

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