毎週水曜日深夜に牛丼を特盛を食いにくる常連客

めぐすり@『ひきブイ』第2巻発売決定

推しのアイドルに熱愛が発覚した

「……マジか」


 深夜の牛丼チェーン店。

 カウンターに常連客が一人だけ。

 店内清掃と仕込みの準備など諸々やり終えた俺は、深夜ワンオペバイト店員の義務としてスマホゲームを始めようとした。

 そしてスマホを開いた途端、ニュース速報に打ちのめされた。


『人気アイドルグループの松宮アイリに略奪愛不倫発覚』


 推しが炎上していた。

 ようやくセンターを勝ち取って先月代表曲をリリースしたばかりの推しが週刊誌にすっぱ抜かれていた。

 今日はもう仕事にならないかもしれない。

 だがこんなときに限って常連客が口うるさい日だった。


「あのさ。前から言っているけど、私はちゃんと冷やしたコールスローサラダが好きなの。いい加減客の好みくらい覚えなさいよ」


「うちそういう個別注文やってないんで」


「先週と先々週は冷やしてくれたじゃない!」


「一度やるとつけあがる客がいるんでやりたくないです」


「なんでよ!」


「うるせぇ! こっち推しの不倫発覚に落ち込んでんだよ。空気読めよ!」


 あまり気安すぎて店員と客の関係性さえ崩れている。

 だが毎週水曜日の深夜に毎回二時間近く居座れて、二人きりで過ごしていれば気安くもなるだろう。

 俺の推し炎上発言は聞いて、常連客はにやりと笑った。


「推しの不倫? まさかアンタ松宮アイリを推してたの? ぷっ……ウケる」


「ウケんな!」


「あの子は肉食系というか玉の輿狙いで有名だったでしょ。相手も医師だし。大方相手に離婚調停中とか言われて、信じちゃった系トラブル」


「え……アイリちゃん肉食系だったの? 俺もワンチャンあった?」


「ないわよ現役大学生。アンタ親が医者だったりすんの?」


「だったら深夜バイトなんかするかよ」


「だよね」


 けらけらと大笑いする常連客の前に、毎度お馴染み特盛り肉だくだく三種チーズ盛り汁とご飯少なめ牛丼をドンッと置いた。

 常連客も慣れた様子で七味唐辛子と紅生姜が振りかける。


「あんたアイドルなんか本気で好きだったわけ?」


「……悪いかよ」


「悪いわよ。アイドルに恋をするとか最悪」


「最悪って……そこまで言うか」


「……そりゃね。アイドルは偶像って意味なの。虚像なの。全部作られたガワなの。それだけ作り込んでるの。それに本気で恋されたらファンもアイドル自身も両方不幸でしょ」


 それだけ言うと常連客はいつものようにチーズと絡みあった牛肉の部分だけを口いっぱいに頬張った。

 毎回思うが本当に美味しそうに食べる。


 牛丼の上の部分だけを贅沢に食べるこの食べ方が子供の頃の憧れだったらしい。

 通常盛りでこんな食べ方をすればご飯が余る。

 だからと言って家で冷凍の牛丼の素だけ食べても味気ない。

 店頭で特盛り肉だくだく三種チーズ盛り汁とご飯少なめで食べる牛丼が理想形に近かったのだとか。

 贅沢なのか、せこいのかよくわからない。


 でも手の届く幸せを感じる食べ方だ。


 そのままバクバクと食べ進める常連客に、冷たいほうじ茶を準備する。

 今日は勢いが強いので喉を詰まらせるだろうから。

 それにテンションも高くて凄く不機嫌だ。

 なにか言いたいことがあるのかもしれない。

 案の定、喉を詰まらせてほうじ茶に手を伸ばした。


「ありがとう。もう一杯」


「はいよ」


「さんきゅ」


「それでそっちもなんかあったの?」


「わかる?」


 目深に被った帽子とサングラスの奥で目をパチパチさせる。

 少しの逡巡。

 しかしすぐにいつもの笑みを浮かべた。


「実は今週刊誌に狙われてて。来週からしばらく店で牛丼食べられそうになくてさ」


「……大丈夫なのか?」


「大丈夫なのと、大丈夫じゃないのがある。今度記事になる俳優との熱愛発覚は、事務所が用意した主演するドラマの番宣用だから事実無根だし大丈夫」


「……マジか。お前も速報流れるの?」


「たぶんねぇ〜」


 ニタリと笑い事ではないことで笑うのがこいつらしい。

 こういう報告の仕方あるかよ。

 と、思う反面今も週刊誌に狙われているのも本当だろう。

 そういえば駐車場にずっと不審な車が止まっていた。


「警察に電話かけとく」


「よろ〜」


 たぶんあっちが大丈夫じゃない方なのだろう。

 それなら店に来なければいいのに。


「一応牛丼の素と三種チーズと紅生姜はさっき冷蔵庫と冷凍庫に詰めてきた。これで毎週水曜日とは言わないけど、コールスローサラダを作れる専門の料理人がいればいつでも食べれるね」


「……誰の家の冷蔵庫と冷凍庫に詰めたのかな?」


「この合鍵の持ち主で専門の料理人の家」


「お前……今自分で記者に狙われてるとか、大丈夫じゃない方とか言ってなかったか?」


「知ってる? 不倫とか略奪愛ではなく、アイドルと一般人との純愛発覚はファンにダメージ少ないんだよ。事務所とは揉めるだろうけど」


「……事務所と揉めたらダメだろ」


「ははは。許可なく事務所に俳優さんとの熱愛発覚捏造されたら私は切れていいと思うんだ。愛する恋人に面目が立たないから」


 あっ……ブチ切れていらっしゃった。

 これ聞く耳を持たないやつだ。


「そんなわけで私の周辺慌ただしくなって、唐突にそっちの家に入り浸るかもしれないから覚悟よろしくね」


「覚悟ってなんの?」


「親に紹介とか諸々」


 そんな衝撃的な言葉を残したあと、俺がかつて最も推していたアイドルはその後一時間店に居座って、記者の車が警察に事情聴取を受けている間に帰っていった。

 同じマンションの俺の部屋に。


 たぶんアイドルを辞めてもいいと決意しているのだろう。

 あいつが自分でそう決めたならばそれでいい。

 別にアイドルだから好きなったわけじゃない。

 アイドルだから憧れたわけではない。


 深夜ぶらりと店によって、独特の注文で美味そうに牛丼をかっ喰らっていく面白い女がどうしようもなく好きなのだ。

 そう考えると俺も大概バカなのかもしれない。


「……店のコールスローサラダを本気で再現するか。あと親に事前連絡もしとかないと」

 

 



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