第7話 同じ憧れ

 俺は右打ちが好きだ。一番好きな元プロ野球選手が右打ちの名手だったからだ。それに、進塁打になりやすいから。

 さっき、右打席の大志はスライダーを無理に引っ張り、詰まったフライになってしまった。

 だったら俺は焦らず右に打っていけばいいんじゃないか。


 沢さんがモーションに入る。顔の横にグラブを構えるセットポジション。

 綺麗なスリークォーターからボールが投げられた。

 俺はバットを振ろうとして、直前でびたりと止めた。


「ボール!」


 主審を務めるコーチの声にほっとした。落ちるボールを下から叩こうと思ったが、思った以上に落ちてストライクゾーンを出ていったのだ。危なかった。もし打っていれば完全に打ち取られていた。


 沢さんはにこにこしていたが、キャッチャーの松本拓夢たくむさんからの返球を受け取ると険しい顔に変わった。びくっとしてしまうほどに怖い。これから本気を出すのだろう。二年生は怖い。

 だけど不思議だ。たった一球を見ただけなのに、どうしてこんなに楽しいのだろう。

 それに沢さんが怖い顔をしたのはきっと、俺を認めてくれたってことだ。


 二球目の内角ストレートは、さっきのスライダーとの緩急差のせいで、振り遅れた。沢さんは緩急で戦う人なんだ。


 三球目のやや内角高めにストレートを、三塁線上ぎりぎりにファールにした。沢さんは緩急で戦う人だけど、球威があるわけではない。落ち着いて、惑わされないようにしたほうがいい。


 四球目は外角低めの外にカーブ。見事な釣り球だ。

 一球外しって、動画で見ると、「おっ外したな」くらいに思うけど、自分がやられるとすっごくドキドキするものだ。次に何かしかけてくるって予告しているようなものなのだから。ツーボール、ツーストライク。ドキドキするけど、しっかり対応できるように、バットをより短く持ち、構え直す。


 沢さんが投げた。やや遅い、これはストレートではない、ゾーン内に来るか、この位置なら入ってくる。

 そして狙いを定めた。

 かんっ! とバットを鳴らして打球は二遊間へ。破れるか分からないが、走る。


 ショート草薙さんが悠々と捕球して、アウト。

 あんなに簡単そうに捕れる打球だったか?

 もう少しいい打球だと思ったんだけどな!


 ベンチからショートの草薙さんを見る。沢さんと話している。草薙さんは淡々とした様子だけど、沢さんは楽しそうでにこにこしている。まるで二人でしてやった、というような笑みだ。


「沢さんもリトルの人?」


「おお、そうだよ。ますます強くなってやがるなあ」


 一打で打ち取られたことがまだこたえているようで、大志のテンションは少し低い。


「沢さんはカウントが増えてもびびらないから、早めに打ちたかったんだよなぁ。それなのにカッコ悪い感じになっちまったなあ」


 確かに一番打者が初球でアウトになるのは残念な感じがあるけど、そこまで気にしても仕方ないと思うけどなあ。


 マウンドの土をならす沢さんを見る。

 初球でアウトはカッコ悪くはないけど、勝負がすぐに終わるのは確かにつまらないかもしれない。


 三番は茜一郎と同じく『中央チーム』の三輪隼。


「出ろよ!」


 ネクストバッターサークルから声を張る茜一郎せんいちろうに大きく頷き、隼が打席に入った。


 スライダーに大きく空振りする。でも隼は粘った。二回のファールの後、四球で出塁した。


「やったぞ!」


 一年生皆がガッツポーズをして、ベンチが盛りあがる。四球だって立派な出塁だ!

 初回で一点を取れたらかなりいいぞ!


 四番の茜一郎が打席へ。


 草薙さんがマウンドでまたしても沢さんと会話している。沢さんは草薙さんに攻撃的な笑顔で頷いた。なんか、やっぱり怖い。


 茜一郎が一球目を見たかに見えたが、


「ストライク!」


 コーチのコールに一年生ベンチがざわついた。


 今まで一度も投げたことのないフォークだった。二球目は低い位置にストレート。ストライク。


 三球目、フォークを茜一郎のバットのヘッドだけがかすり、頼りない金属音を立てた。マウンド前に力なく転がる。すぐさま沢さんが拾って余裕たっぷりの送球を一塁へ。


 茜一郎にはフォークを投げて俺たちには投げなかった。それって、打者としては茜一郎が俺たちより上だって、二年生が思ったってことだ。確かにその通りだ。だけど、プレーで差をつけられると、ただ事実を言われるのよりも、ずっと悔しい。


 一回表終了。


 沢さんと内野四人が楽しそうで、外野三人も加わりますます楽しそうだ。


「まだ始まったばかりだぞ!」


 茜一郎が声を張ると、少しはベンチに活力が戻る。


「友樹は深いところにいるか?」


 隼が聞いてくる。


「いる。硬式は打球が速い」


「大丈夫か?」


 からかい混じりに大志が言う。


「打球が速く来てくれればすぐ送球できるから、そらさなければ、アウトは取りやすい」


 そらすつもりはない。打者として茜一郎より下だって思われていたし、実際にその通りだけど、守備ではそんなことないって、はっきりさせたい。


「行くぞ!」


 茜一郎に続き、俺たちは勢いよく円陣を組んだ。


 一回裏。


 一番の草薙さんが右打席に入った。足が速いから左打席なのかなと思っていたから、右打席なのが意外だ。草薙さんが感情の見えない澄ました顔でバットを構えた。銀のバットのかっこよさが草薙さんに似合っている。


 俺はショートの位置から、一番手であるひかるの背を見る。つい、沢さんと比べてしまう。マウンドに立っているのに光が大きく見えない。


 光が投球を開始する。胸を張るワインドアップ。俺から見ても荒削りだって思ってしまうようなオーバースローだ。


 草薙さんが光の初球を見た。二球目も見た。ツーボール。


 返球を受けた光がロジンを握り締める。その背は頼りなく見えた。キャッチャーあきらがマウンドへ走った。暁が光に声をかけ、背を叩きホームに戻った。

 暁と光は小学生の頃は違うチームだったけど、バッテリーの意識がしっかりとあるみたいだ。チームを形作ろうとする意識の高さ。俺も見習わないと。


 暁が来たからだろう。光の制球が良くなって、緩いカーブがストライクゾーンにうまく入った。光の意地が力になったのか、草薙さんは空振りだ。キャッチャーに声をかけられただけで制球が改善するんだから、ピッチャーは不思議だ。

 俺も小学生の頃メンバー不足のせいでピッチャーをやらされたけど、本物のピッチャーたちみたいにはならなかった。同じ野球をしていても、人によって向いているポジションが違うってことだ。


 これでツーボールワンストライク。


 次のストレートを草薙さんが綺麗に引っ張ってスイングした。

 草薙さんは颯爽と走りだす。

 サードのライン際に打球が行く。

 サード茜一郎がステップして一塁へ投げ、ショートバウンドでファースト隼が卒なくキャッチしたが、草薙さんはセーフだ。


 やっぱり草薙さんはうまくて強い。

 草薙さんは冷静な顔でオーバーランから戻ったが、コーチャーにバッティンググローブを渡すとき、僅かに笑顔を見せた。うまくて強いのに、男らしいわけではないのが面白いところだと思う。


 二番は檜さん。ポジションはライトだが、今まで見てきた限り、多くのポジションを守れる人みたいだ。


 草薙さんのリードが大きい。

 いつ牽制されても帰塁できそうな隙のない足さばきを見ていると、動画の中のショートを思いだした。映像の中なら美しさに夢中になっていればいいけど、敵にやられると厄介だ。


 盗塁を警戒し、暁からの送球をいつでも受け取ってタッチできるように、俺は二塁より少し前に出た。

 こういう、相手の行動を変えたり制限したりするのが厄介だと思う。

 まあそれが野球の楽しさだけど。深い位置に待ち構えていられないこの状況が、次のプレーにどう影響を与えるのかな。


 光が一塁に牽制したけど、草薙さんがあんなに大きなリードから即座に戻って来て、セーフだ。

 草薙さんの動きは、瞬きしている暇がないほどに速かった。


 一瞬のうちに強さを見せつけられた。気がつけば右手の手汗が酷かったので太ももで拭った。

 追いつけないぞと大志が言った意味が分かってきた。

 俺たち一年生たちは草薙さんの強気さが怖い。二年生たちは草薙さんを面白そうに応援している。


「香梨ー!」


「草薙っちー!」


「やったれやったれー!」


 二年生の皆が身を乗り出し、手を叩き、草薙さんに注目する。草薙さんはきっと、『場の空気』を作れる選手なんだ。一年生に警戒の空気を作らせて、二年生の仲間たちには押せ押せの空気を作る。


 空気以外にも、気づいたことがある。

 このリードの強気さは動画の中のショートによく似ている。草薙さんもあの人を手本にしたのだろうか。きっとそうなのだろう。

 俺と草薙さんは同じ人に憧れた。それって、縁を感じる。草薙さんは怖い。何をしかけてくるか分からない。でもアウトにしたい。

 だって俺と草薙さんの間には同じ憧れがあるから。それって、俺と草薙さんが仲間ってことだろう?

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