照る坊主の涙

夜桜くらは

照る坊主の涙

「あら、雨」


 長屋ながやの戸口で空を見上げた梅子うめこは、思わず声をあげた。

 ついさきほどまで、あれほどよく晴れていたというのに、空一面に雲がたれこめている。その雲から、ぽつりぽつりと雨粒が落ちてきた。


「わあ、雨だ雨だ」「にいちゃん、ぬれちゃうよ」


 遊びに出ていた子供たちが、軒先のきさきに雨宿りしようと駆けこんでくる。


「みんな、家の中にお帰り。雨が入ってこないように、ちゃんと窓を閉めるんだよ」


 子供たちを先に入れながら、梅子は声をかけた。雨は、たちまち本降りとなった。強い雨足に、道行く人の姿がみるみる減っていく。

 梅子は、そんな外の様子を見ながら、幼い頃によく遊んだ男の子のことを思い出していた。


しょうちゃん……」


 梅子は、ぽつりとつぶやいた。こんな風に、にわか雨が降り出すと、決まってあの日のことを思い出す。


『ごめんなさい……ごめんなさい……』


 照吉しょうきちの、涙に濡れた声が耳によみがえってくる。


『ごめんなさい……。次は、もっと、もっとうまくやるから……』



 梅子が、照吉と初めて会ったのは、七歳のころだった。

 いつものように、お寺の境内けいだいで遊んでいた梅子たちの輪の中に、いつの間にか照吉がいたのだ。

 照吉は、梅子と同じ年ごろの男の子だった。色の白い、ほっそりとした子で、首には白いさらしを巻いていた。そのさらしの巻き方が独特で、子供心にも変わった巻き方だと思ったことを、梅子は覚えている。

 照吉は、他の男の子たちとはどこか違う雰囲気をもった子だった。でも、梅子は、そんな照吉にすぐになじむことができた。


『梅ちゃん、今日は何して遊ぶ?』


 照吉がそう声をかけてくるのを、心待ちにしていた。梅子は、毎日のように照吉と一緒に遊んだ。

 照吉と遊ぶのは、とても楽しかった。梅子が草笛を吹くと、照吉は上手に真似をした。梅子が竹馬を作れば、すぐにそれに乗って歩いた。梅子と二人して、里の道をどこまでも駆け回ったものだ。

 照吉は、よく笑う子だった。楽しいことがあると、すぐに顔をくしゃくしゃにして笑った。梅子も照吉が笑うと、嬉しくなった。


『照ちゃん、また遊ぼうね』


 梅子は、いつもそう言って別れた。そして、次の日には、また照吉と遊ぶのだ。その繰り返しだった。

 でも、雨の日は、照吉は梅子の前に姿を見せなかった。梅子は不思議に思ったが、雨の日は照吉は家でおとなしくしているのだと勝手に納得していた。ただ、雨の日でも出来る遊びはたくさんあるのだから、一緒に遊べたらいいのに、と梅子は少し不満に思うこともあった。

 それでも、照吉は、梅子と会うといつもにこにこ・・・・と笑った。そんな照吉を見ていると、梅子も嬉しくなって、会えなかった雨の日のことなど、すぐに忘れてしまうのだった。


 梅子は、ずっと照吉と仲良く遊べるものだと思っていた。

 ……だが、その日は突然にやってきた。


 その日も、梅子はいつものように照吉と遊んでいたのだが、急に空が暗くなり始めたかと思うと、ぽつりぽつりと雨が降り出した。そして、あっという間に強い雨となった。


『照ちゃん、早く帰ろう』


 梅子はそう声をかけたが、照吉は動こうとしなかった。それどころか、首のあたりをしきりに気にし始めたのだ。


『照ちゃん?』

『…………やっ』


 照吉は、小さく叫ぶと、首を隠すようにうずくまった。その体が、かすかに震えている。


『照ちゃん、どうしたの?』

『やだっ、やっ』


 照吉は、梅子の呼びかけに答えず、ただ首のあたりを手で隠そうとするだけだった。その指のすき間から見えたものを見て、梅子は思わず声をあげた。


『照ちゃん! 血!』


 照吉の首に巻かれたさらしに、血がにじんでいたのだ。


『照ちゃん、怪我したの? どうしたの?』


 梅子は、突然のことに戸惑いながら、照吉に問いかけた。だが、照吉は、梅子の問いに答えず、ただ首のさらしを隠すようにうずくまったままだった。


『……ごめんなさい』


 そんなとき、照吉の口から小さな声が洩れた。


『照ちゃん?』

『ごめんなさい……ごめんなさい……』


 照吉は、何かに怯えるように、何度もごめんなさい、と繰り返した。そして、梅子は初めて気がついた。照吉が震えているのは、雨に濡れているからではなかった。

 照吉は泣いていたのだ。

 梅子は、照吉が泣くのを初めて見た。いつも笑っている照吉が泣くのを見て、梅子はひどく動揺した。


『し、照ちゃん、泣かないで……』

『ごめんなさい……。次は、もっと、もっとうまくやるから……』


 照吉は、最後にそう言って立ち上がると、雨の降りしきる中を走っていってしまった。梅子は慌てて追いかけようとしたが、強い雨が行く手をさえぎり、照吉の姿はすぐに見えなくなってしまった。


『照ちゃん、待って!』


 梅子はそう叫んだが、照吉が戻ってくることはなかった。



 次の日、梅子はお寺の境内で照吉が来るのを待った。その日はよく晴れて、青い空が広がっていた。


『照ちゃん、来ないなあ……』


 梅子がそうつぶやくと、一緒に遊んでいた子供たちはみんな首をかしげ、『照ちゃんって誰?』と言った。梅子は驚いた。


『照吉ちゃんよ。私と同じぐらいの年の子で、いつもみんなと遊んでるじゃない』


 そう答えると、子供たちは一様いちように顔を見合わせた。


『梅ちゃん、照ちゃんなんて子、私たち見たことないわ』

『でも……』


 梅子は、戸惑った。確かに照吉はいたはずなのに。でも、みんなはそんな子知らないという。梅子がいくらうったえても、誰も信じてくれなかった。


『きっと、梅ちゃんの勘違いよ。照ちゃんなんて子、いるはずないもの』


 子供たちは口を揃えてそう言った。梅子は悲しくなって、その日はすぐに家に帰った。



 帰ってくるなり、部屋に閉じこもってしまった梅子を、母はとても心配してくれた。


『梅子、どうしたんだい? 何か悲しいことでもあったのかい?』


 母はそう言って、優しく背中をさすってくれた。そのおかげで、梅子の気持ちも少し落ち着いた。母に促されて、梅子はぽつりぽつりと話し始めた。


 照吉という男の子がいたこと。いつも一緒に遊んでいて、とても仲が良かったということ。昨日、急に雨が降り始めたときに、照吉が首を隠すようにしてうずくまったこと。そして、照吉が泣きながら『ごめんなさい』と謝って走り去ったことを。


 梅子の話を、母は黙って聞いてくれた。しばらく考えてから、母は口を開いた。


『その照吉って子は、“坊主ぼうず”の付喪神つくもがみだったのかもねえ』

『つくもがみ?』


 聞きなれない言葉に、梅子は母に問い返した。母は微笑みながらうなずいた。


『そうさ。人に長く大事にされた道具には魂が宿るんだよ。それが付喪神さ。梅子は、付喪神と友達になったんだろうねえ』

『そうなの? でも、私が遊んでいたのは普通の男の子だったわ。照る坊主みたいに、布で出来てなんかいなかった』


 梅子が首をかしげると、母はまた微笑んだ。


『きっと、その照吉って子は、人の子にあこがれた付喪神だったんだろうさ。だから子どもの姿に化けていたんだろうねえ。梅子とも、一緒に遊びたかったんだろう』

『でも、それならどうして急にいなくなってしまったの? 私と一緒に遊びたいなら、ずっと一緒に遊んでたらいいじゃない』

『そうだねえ……』


 母はしばらく考えていたが、やがてゆっくりと口を開いた。


『……それはきっと、怖かったんだよ。照る坊主は、お天気に出来なかったら、首を切られて捨てられてしまうだろう? だから、梅子にも、出来そこないの姿を見せたくなかったんだよ』

『照ちゃんは出来損ないなんかじゃないわ! それに、天気に出来なかったら首を切っちゃうなんて、ひどいじゃない!』


 梅子は憤慨ふんがいして言ったが、母は微笑んで梅子の頭をなでた。


『そうだね。ひどい話さ。でもねえ、“照る照る坊主”のうたにも、あるだろう?』


 母は唄を口ずさんでみせた。


 〽照る照る坊主 照る坊主

  あした天気に しておくれ

  それでもくもって 泣いたなら

  そなたの首を チョンと切るぞ


 そこまで歌ってから、母は梅子がうつむいていることに気がついた。梅子は、目に涙をいっぱいためていた。


『ひどい……照ちゃんの首を切るなんて……』


 梅子は涙声でつぶやいた。母はそっと梅子の肩を抱いた。


『梅子は優しい子だね。照吉も、梅子の優しいところが大好きだったんだろうねえ』

『……そうなの?』


 梅子は涙をぬぐって母を見上げた。母は笑ってうなずいていた。


『そうともさ。付喪神はね、大切にされた道具に宿る魂だから、人のそばにいたがるものなんだよ。特に、優しい人のそばにいるとね。だから、梅子にだけ、姿を見せてくれたんだろうさ』


 母はそう言うと、梅子の頭をなでて言った。


『さあさ、いつまでも泣いていたら、照吉も悲しむよ。照吉もきっと、梅子が悲しんでいることは望んでいないよ』

『……ほんとう?』

『本当さ。だからもう泣くのはおやめ。照吉だって、梅子の笑った顔が一番好きだろうからね』


 そう言って、母は優しく笑った。それから、母はこうも言ったのだ。


『そうだねえ、照吉は晴れに出来なかったことを謝っていたんだろう? なら今度は、梅子がてるてる坊主を作ってみたらどうだい? そうすれば、いつかまた照吉が遊びに来てくれるかもしれないよ』



「照ちゃん……」


 雨の降りしきる中、梅子はそっとつぶやいた。そして、軒先にるした照る坊主を見上げる。

 あの日から七年たった今も、照る坊主は長屋の軒先に吊るされている。もうずいぶん古ぼけてきた。それでも、梅子はこの照る坊主を大切にし続けて、何度も作り直してきた。


「照ちゃん、また遊びに来てね。私、ずっと待ってるから」


 梅子はそうつぶやくと、そっと微笑んだ。

 照吉は、もう梅子の前に姿を見せることはないのかもしれない。それでも、どこかで照吉が笑っていてくれることを、梅子は願っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

照る坊主の涙 夜桜くらは @corone2121

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ