第19話

「今日は部活休もうかな……」

眉間の痛みに顔をしかめながら、わたしは教室を出た。

結局、午後の授業はただそこにいるだけ、といった感じで。

先輩と話せば少しは気分がまぎれるかもしれないけれど、階段を上るのが何となく嫌だ。


「唯」

背後から、先ほど倒れた時に感じた衝撃よりはるかに軽い感触と声が届いた。

「……先輩」

先輩だ。わたしの気持ちとは真逆の満面の笑みを浮かべている。

そんな楽しいことでもあったのだろうか。

「元気ないね、どしたの?」

「午後からずっとこんな感じです、残念ながら」

今、先輩と会いたくはなかった。

こんな顔を見られたくはなかった。

そしてそれ以上に、先輩の負担になりたくなかった。


これは、自分の問題だ。

先輩にも教えてないことだ。

先輩の力になることができないのなら、せめて。

せめて足手まといにはなりたくはなかった。

先輩にも先輩の事情があるのだから。


「だから、今日はお休みさせてもらいま……」

「じゃあ、取材行こう」

「話聞いてた?」

先輩は耳が悪いのか?

「こういうのはリラックスすれば治るんだよ」

そんなものだろうか。

先輩が言うのなら、そうなのだろう。

「じゃあ、リラックスしたいんで帰りますね」

「帰っちゃうの!?」

「わたしが人付き合い苦手なの知ってるでしょう!!」

今のような気分の時は家族と話すことすら億劫なのだ、余計に緊張する。


「私と唯の二人っきりだから!他の人は誰もいないから!」

「余計だよ!」

なんでそれが通ると思ったのか。

突然キスを要求してきたかと思えば唐突に解散指示を出したりする人のどこを信用しろと?

まぁ、信用していると言ってしまったのは、他でもない自分自身なのだが。


「ねーねー!行こうよー!」

母親にお菓子をねだる小学生かアンタは。

「面倒臭いなぁ!嫌いになりますよ!」

威嚇代わりに右手を振り上げてみたが、その時。

先輩の目は、笑っていなかった。

わたしの鈍い共感力でも、言わんとすることは伝わる。


『私のこと、嫌いにならないで』


まずい、地雷を踏んだ。

行き場を失った右手をヘナヘナと下ろしながら、謝罪の言葉を口にした。

「あ、えっと…すいません、冗談です……」

先輩はにこりと笑って答える。

「ううん、大丈夫だよ、唯」

「取材も行きます……」

完全に意識をコントロールされてる気がする。


「やった、カメラ取ってくるね」

「唯は校門で待ってて、すぐ戻るから」

わたしは手を振ることしかできない。

「逃げないでね~!」

「逃げませんよ!」

先輩に振り回されるのは、最早慣れたことだけれど。

危なっかしい先輩だけれども、その存在が自分にとって重要なものだとも思う。


先輩がいなければ、自分の登校日数はもっと少ないものになっていただろう。

もしかしたら、先輩でなければいけない理由はないのかもしれない。

しかし先輩には、わたしでなければいけない理由はある。

やらなきゃいけない理由があるのなら、もしくはやらない理由がないのなら。

「取材、やるかぁ……」



「ゆーいっ」

「先輩、遅いですよ、何かあったんですか?」

首からデジタルカメラを下げた先輩は、うっすらと汗ばんでいる。

「ほかの部員の子に今日は自由活動だって言ってきた、今日は二人っきりだよ」

先輩のこういうところは、素直にいいところだと思う。

「それで、今日はどこ行くんです?」

「えっとね、伊賀八幡宮かな、知ってる?」

「知らない」

「唯は相変わらずはっきり言うねぇ」


正確には、名前だけは聞いたことはある。

最近届いた、母さんからのメッセージに書いてあった気がする。

この時期の伊賀八幡宮はきれいだという。

何がきれいなのかは教えてくれなかったけど。


「蓮の花がきれいでね、六月の記事にしたいの」

「間に合うんですか、16時までって書いてありますけど」

スマホの地図で調べる限りでは、学校との距離は控えめに見積もっても2キロはある。

時計は3時半。

間に合うのか?

「間に合うよ、あくまで社務所の閉まる時間だしそれに……」

「それに?」

「秘密兵器もあるしね」

そういって先輩は校門の陰に隠したそれを取り出した。

それは、自転車。

「これなら、すぐ行けるよ、ねっ」

いや、確かに徒歩より早いかもしれないけれど。

しかし。


「それ、一台しかないですよ」

「あっ」

もしかして、先輩ってバ……

ここまでで止めて、口に出さなかったわたしを褒めてほしい。

「完全に忘れてた、どうしよ」

先輩のこういうところは正直だめだと思う。


「……二人乗りするしかないでしょう、わたしが前に乗りますよ」

「いいの?」

「わたしが無理やり先輩を後ろに乗せたことにすれば、先輩の面子は立つでしょう?」

「ふふっ」

何笑ってんだこいつ。

わたしだってできれば二人乗りなんかしたくないやい。

生徒指導の先生に見つかったらなんて言われるか……ただでさえ目を付けられてるのに。


「唯は優しいなぁ」

「普通ですよ」

そう、普通だ。

先輩の立場よりわたしの立場の方が価値が低い。

そう判断しただけ。

きっと、わたしじゃなくても、同じ結論になるはずだ。たぶん。

合理的で、理性的な判断だ。きっと。

言い聞かせるように、呟く。


「普通、ですよ」

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