影斗の過去、そして今

「父さんっ!」

 

 父さんのユメカイ契約のあの言葉が発せられた。すぐに突風が吹き荒れ、父さんの白い羽織が、ぶわっと風にあおられ広がった。父さんの髪色も白から黒色へ戻っていった。そんな父さんは相変わらず顔中から冷や汗を流し、今にも倒れそうだった。

 

「う……」

 

 苦しそうな声を噛み殺す父さんの勾玉へ、あのユメの光がゆっくりと吸い寄せられるように吸収されていった。父さんは自分のユメを犠牲にして、呪われた兄を救う契約を自分自身でしてしまった。俺は何も出来ないまま、ただその現実を泣きながら見つめることしか出来なかった。


『いずれ影斗にユメカイの役目を引き渡すからな』


 以前、父さんは俺にそう言った。父さんはユメカイの力の使い方やしきたりをたくさん教えてくれた。初めて父さんと一緒に依頼者の元へ行った日には、正装だと言って、真っ白な袴と羽織を着せてくれた。そんな父さんは、依頼者にもやさしく笑顔で話していた。だが、このときの父さんはすごく悲しい表情をしていた。そのとき、空からぽつぽつと雨が降り始めた。

 

「そんなユメカイの力なんて無能だ! 二千年前のユメカイ使いも鬼道使いも自分たちのユメを買い、その力を使ったが、ヤマタノオロチさまを倒せずに終わったんだよ!」

「スサノオさまとアマテラスさまが、ユメカイ契約を自らした……!?」


 父さんの上ずった声が境内に響いた。それは、これまでの卑弥家には伝わっていない話だった。

 

「ああ、そうだ! 今のおれならわかる。二千年前のヤマタノオロチさまの記憶がな……! ユメカイ使いだったスサノオは、ヤマタノオロチさまを倒すという願いのために、そして鬼道使いだったアマテラスはそんなユメカイ使いの命を救うという願いのために、自分たちのユメを買い、契約した。だが結局、ヤマタノオロチさまを封印しただけで、二人ともその戦いで死んだんだよ!」

「だが、ヤマタノオロチはそのユメカイ契約によって、力を失くしたはずだ……!」

「はっ、ばかばかしい。事実、ヤマタノオロチさまはこの二千年間、ずっと生きている! 力を失くしたとしてもな! だが、おまえらさえいなくなれば……!」

「そんな……」

「買われた二人のユメはなんだったと思う? 明るい未来を見ること、だとよ! だが、ヤマタノオロチさまを倒せなかった時点で、もうそんな未来は来ないんだよ! これが無能の証だ……!」


 兄はつるぎをまた強く握り、俺たちへ向けて勢いよく駆けてきた。父さんは絶望したかのようにその場で固まっていた。だけどすぐに険しい表情へ戻った。そのとき、あかりたち親子が二人一緒に手をパンっと合わせて、目を閉じた。

 

「暗介兄さん、影斗くん、はやく逃げるんだ!」

 

 同時に、また無数のカラスと、猫が一匹だけ兄へ挑んでいった。だけど、またつるぎで弾き飛ばされた。九才の力とは到底思えなかった。雨はどんどんと激しさを増し、ザーザーと夜の神社を濡らしていった。その中で二人は必死に何度も兄を止めようとしていた。けれどやはり、兄のつるぎによってすべてが弾かれ、敵わなかった。すると、突然父さんが俺の目の前に座り込み、同じ高さで目線を合わせてきた。その顔は青白く、今にも倒れてしまいそうだった。だけど、とてもやさしく微笑むいつもの父さんだった。そして首飾りを外して、そっと俺の首へかけた。

 

「明斗を頼む」

「え? どういうこと……?」

 

 それだけ言うと、父さんはまた再び立ち上がり、向かってくる兄へ顔を向けた。俺の首元には、これまで二千年間、買い続けていたみんなのユメ、そして父さんのユメが入った、やさかにの勾玉があった。まだほのかに光っていて、父さんの体温を感じた気がした。父さんが自らユメカイ契約をしたんだから、兄は必ず助かるはずだ、そう思った。父さんが新月の夜に、命を削ってまでユメカイ契約をしたのだから。


「なのに、なんでそんなこと頼むの……?」

 

 空からはゴロゴロと雷のなる音が何度も聞こえ、稲妻が何度も光って見えた。雨も更に強くなっていた。そんな夜空の下で、鬼道使いの技をすべて越えてきた兄が、俺と父さんの目の前まで迫ってきた。そして、燃えるように赤く光るつるぎを大きく振り上げた。

 

「二千年続く卑弥家も、ここで終わりだ……!!」

 

 そのときだった。夜空からピカッと白い光がフラッシュのように瞬いた。辺りを眩く照らしたかと思うと、今まで聞いたことがないほどの大きな音がとどろいた。

 

――ドオオオオン

 

 ご神木に雷が直撃していた。凄まじい音と同時に、頭上にあった大くすがぶわっと燃え上がり、メキメキっと不気味な音を立てながら、折れた。それは俺と父さん、そして兄の元へ目がけて落ちて来た。俺はそのとき、ユメカイ使いだからなのか感じてしまった。これが父さんにとっての『大きな選択』だと。だが、あのときの俺には何がどうなるのかなんて、まったくわからなかった。すると突然父さんは、俺の身体を抱き上げた。

 

「父さん……!!」

 

 気が付くと俺は、ありったけの力で遠くへ放り投げられていた。俺は遠のいていく父さんへ必死に手を伸ばしながら叫んだ。自分の身体が空から地面へ投げ出された瞬間、兄と父さんの上に、燃え上がった大きな木が、とてつもない音をたてて、地面へぶつかった。火はごうごうと激しく燃え広がり、俺の顔も火傷するのかと思えるほどに熱くなった。そのとき背後からがっしりとした腕に抱きかかえられた。あかりの父親、光介叔父さんだった。その目には今にも溢れ出しそうなほど、涙をたくさん貯めていた。俺は小刻みに震える叔父さんの腕に、ぎゅっと抱きしめられた。俺はそのまま、父さんたちがいた火の元を凝視した。

 

「くっそおおお、ユメカイ使いめ!」

 

 明斗は、あの燃え上がる大木の下じきになりながら、うごめき、それでもつるぎを手放さなかった。その隣には、倒れ、身動き一つしない父さんがいた。

 

「父さん! 明斗兄ちゃん……!!」

 

 俺はまた必死に叫んだ。何度も何度も二人を呼んだ。兄はこちらへ顔を上げた。だけど、父さんのやさしい眼差しがこちらへ向くことはもう二度となかった。

 

「これが父さんの答えだ……。おれを助けず、影斗を選んだ……。結局はな、鬼道使いのおれなんかより、ユメカイ使いの影斗のほうが父さんは大切だったんだ!!」

 

 燃え盛る大木の中からそう聞こえた。だけどその姿はどんどんとひどい炎に包まれて、もうはっきりとは確認できなかった。そんな炎の中で、なぜ兄だけが生きていられるのか、異様であり、信じられなかった。

 

「草薙のつるぎだ、あのつるぎに封印されているヤマタノオロチの力のおかげで、火の中でも持ちこたえてるんだ……。明斗くんはあの力で助かっている」

 

 光介叔父さんがぼそりと告げた。

 

「じゃあ、父さんの願いは、叶えられたってこと、なの……?」

 

 光介叔父さんは顔を歪めたまま下を向き、何も答えなかった。

 

「そんなっ! 明斗兄ちゃんはまだ呪われたままじゃないか! これが助けることだなんて、そんなことおかしいよ! だって、父さんは、父さんはっ……!!」

 

 俺は泣き叫び、もう二度と戻らない過去をなげいた。

 

「もしあのとき、明斗くんを助ける選択をしていれば影斗くんはあの木の下じきになり、酷い結果となっていただろう……。君の父さんは、自分のユメと命を引き換えに明斗くんが例え呪いを受けたままでも、二人とも救う選択をした……。それが君の父さんの最善の選択だったんだ」

 

 俺が絶望の中で泣きわめいているとき、恐ろしい声がとどろいた。

 

「残りは一人。影斗、おまえだけだ。今度こそ、ユメカイ使いを完全に消し去ってやる……!」

 

 兄は炎が燃えさかる中で、つるぎを持ったまま、ふらふらと立ち上がった。その影は炎と合わさり、まるで化け物のように見えた。そのままゆっくりと後ろへ振り向くと、神社の裏にある山へのらりと向かい、この場からいなくなった。そこにはただ、残酷に燃え盛る赤い炎だけがむなしく残されていた。



 

「影斗、影斗っ……!」

 

 聞きなれた声が聞こえ、目を開けると、そこには心配そうに俺の顔をのぞき込む、あかりの顔があった。

 

「あかりか……」

「泣いてたよ……、また」

 

 その言葉で気がついた。自分の頬に付いている涙を。

 

「夢を見てただけだ」

「そっか……」

 

 これで何度目かわからない。俺は満月の日に限って、時々この夢を見てしまう。その度にいつも部屋まで起こしに来るあかりに見つけられ、心配される。最初は何の夢を見たのかしつこく尋ねてきていたが、今ではもう何も聞いてこない。きっとわかっている。俺が何の夢を見ているのかを。

 

「あのさ、影斗、無理はしないでね」

「無理とかしてないから」

「してるよ! だって影斗、あの日から全然笑ってないもん!」

 

 あかりはその場に座り込んだまま下を向き、足の上に広がる白い袴をぎゅっとつかんだ。俺はそんな姿を見て、いたたまれない気持ちになった。俺はあれから笑っていない、のか。

 

「……ごめん。今月も天気がいいよ。いい満月の日だね。まだ梅雨なのにラッキー!」

 

 あかりは俺の様子が気になったのか、いつもの笑顔を見せた。そして、月明かりが入ってきている窓を見上げた。無理にでも明るく振舞ういつものあかりが白い月明かりに照らされていた。俺もそんな風に少しでも笑えることが出来たら。

 

「雨だったらよかったのにな。誰も願いに来ないし」

「またそんなこと言って! さぼろうとしたってダメなんだからね!」

 

 眉を吊り上げたあかりは、まるで母親みたいだなと思う。もし母さんが今でも生きていたら、こんなこと言われてたのかな。

 

「わかったって。準備して行くから本殿で待ってろよ」

「もうすぐなんだから、早くしてねっ!」

 

 そう言いながら、赤の羽織を着たあかりは、部屋を出て行った。俺は首元にある勾玉にそっと触れた。この石の中に父さんのユメもある。父さんは急にこの世からいなくなってしまった。俺たちを助けるために。あんなにやめて、と言ったのに。だけど、そんな父さんのおかげで、今の俺がいる。父さんがいない今、なぜあの夜、兄が封印を解くことになったのか、もうそれはわからなかった。


「あれから五年か……」


 俺は十一歳になる。そして、明斗は十四歳になる。今夜も始まる。俺の役目が。

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