伍 落とす影
第17話
幸せな日々が過ぎてゆく。そんなある日――…。
彦佐が真っ青な顔で畑仕事から帰って来た。
予定より早い帰宅に、鈴は驚きながら彼を迎えた。
<font color="#cd5c5c">「早かったのね」</font>
腕の中に愛娘を抱いている鈴を見つめる、彦佐の表情は能面のようで、彼女は訝しげに眉をひそめた。
<font color="#cd5c5c">「どうかしたの?」</font>
<font color="#4682b4">「どうかしたかだって?」</font>
頭を掻きむしり、彦佐は呻いた。
<font color="#4682b4">「……鈴、頼む……本当のことを教えてくれ。琴は……琴は、俺の子なのか?」</font>
あまりに唐突で、突拍子もない質問に、鈴は唖然とした。
<font color="#4682b4">「どうなんだ、鈴!」</font>
肩を強く掴まれて、鈴は小さく悲鳴をあげる。
それに、ハッとしたように彦佐は彼女から手を離した。
鈴は溜め息をつき、立ち上がった。
<font color="#cd5c5c">「ちょっと、待っていて」</font>
鈴に、彦佐が非難めいた視線を向けるのに、彼女はやれやれとばかりに小さく息をつく。
<font color="#cd5c5c">「琴を寝かせてくるわ……この子には聞かせない方がいいでしょう」</font>
彼女の冷静な判断に胸を突かれながら、彦佐はぎこちなくうなずいた。
<font color="#4682b4">「悪かった……確かに、琴の前で話すことじゃない」</font>
青ざめた彦佐の顔を見つめると、鈴は琴の寝室に彼女を寝かしに行った。
寝つきのいい琴はすぐにぐっすり眠り込み、鈴は彦佐が待つ部屋に戻り、襖をしっかりと閉めた。
<font color="#4682b4">「琴は…」</font>
<font color="#cd5c5c">「眠ったわ。あの子の寝つきがいいのはよく知っているでしょう?」</font>
鈴は彦佐の前に座ると、小さく溜め息をついた。
彦佐がいつもの彦佐じゃない。
<font color="#cd5c5c">「さっきの質問だけど……琴があなたの子かどうか、本気で聞いたの?そうなら、怒るわよ。私は彦が初めての相手だったのに!」</font>
強く牽制する鈴に、彦佐は一瞬たじろいだ。
けれど、すぐに立ち直ると彼女を見据えて言い返す。
<font color="#4682b4">「本当に?おまえは……本当に、一度として、俺以外の男と関係を持ったことはなないのか?」</font>
<font color="#cd5c5c">「……あった方がよかったみたいに聞こえるのは、私の気のせいかしら…」</font>
<font color="#4682b4">「馬鹿を言うな!」</font>
彦佐が怒鳴った。鈴は驚いて、目を見開く。
こんな風に、取り乱した彼を見るのは初めてだし、彼女に怒鳴るのも初めてだった。
<font color="#cd5c5c">「……ねぇ、彦。馬鹿なことを言っているのは、本当に私なの?あなたは……琴は自分の子じゃないと、本気で思ってるの?」</font>
鈴は困惑しながらも、まっすぐに彦佐を見つめた。
琴は彦佐の娘だ。それ以外の可能性など有り得ない。
それは彦佐もわかっているはずなのに、なぜそんなことを言い出すのかまったく、鈴には理解できなかった。
<font color="#4682b4">「俺もそう思っていた。今だって、そう思いたいよ。だけど、鈴。おまえは俺に隠していただろう?」</font>
何を?と問い掛ける前に、彦佐が強く彼女を見据えた。
<font color="#4682b4">「ここにきてから、初めて実家に帰った日……栄治と納屋で何をしていたんだ?なんで、帰りが遅かった?話し込んでいた友達っていうのは、あいつのことか!?」</font>
鈴の喉から小さく掠れた声がもれた。驚きと恐れと羞恥が一気に溢れてくる。
<font color="#4682b4">「おまえは、俺に嘘をついたんだ。手首の傷も……変わった趣向でのお楽しみの痕か?」</font>
<font color="#cd5c5c">「…………っ」</font>
侮辱されて、鈴は真っ赤になった。
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