第2話 また食べたい味
「そう言えばご両親は? さぞかし怒ると思うけど」
「一人暮らし」
「そうなの! 大変だね。凄い」
「別に。私がそうしたかったから」
家事能力が皆無なのに一人暮らしを許した両親の顔が見てみたいと思いながら、白愛は服の整頓をしていた。
手際がとても良く、スムーズに綺麗な家が戻って行く。
マンションの一室。高校生の一人暮らしにしては中々に広い部屋。
その部屋中に広がった服やらゴミやらを掃除するのは時間が必要だと気づいた。
手際良くやっても帰るのは夜遅くなる。
「とりあえず半分やって明日も来るね。色々と買って来ないといけないし」
「必要無い。余計なお世話」
冷たくあしらう天音だったが、白愛にも譲れないモノがある。
「猫ちゃんにこんな部屋で住まわせるつもり?」
「こんなっ⋯⋯分かった」
猫のためなら折れるしかない、天音なのであった。
「うん」
大きな笑みを浮かべた白愛は帰るべく玄関に向かう。
「またね猫ちゃん」
返事は帰って来なかったが、つぶらな瞳を向けられたので良しとした。
その瞳に込められた想いに気づいて貰えず、猫は体をプルプル震わせた。
まるで監獄に囚われ脱獄の叶わぬ子猫のようだ。
「あの」
「うん?」
ドアノブに手を置いたところで後ろから声がかけられる。
振り返ると、うるっとした眼で天音が真っ直ぐと白愛を見ていた。
同性であっても見惚れる程の美貌。その口が僅かに動く。
「⋯⋯ありがとう」
白愛の脳内に走る雷。
衝撃的な言葉だった。だから飲み込むのみ整理するのに時間がかかった。
潤んだ瞳は横に泳ぎ、耳まで真っ赤に染め、照れているのが容易に分かる。
「⋯⋯うん。どういたしまして」
大急ぎで家に帰る白愛。
家族に連絡を入れてから、走って駅へと向かった。
翌朝、白愛はいつものように朝早くに起きる。
洗濯機を回し、朝食と弁当を作り始める。
「お母さんとお父さんは⋯⋯もう仕事か。昨日帰って来たのかな?」
白愛の両親は多忙を極めている。
家に帰って来る時間は短く、顔を合わせる機会はかなり少ない。
「ふむ。我ながら上出来」
上出来な朝食と三つの弁当を眺め、満足そうに頷く。
このタイミングで二階から降りて来る足音が二つ。
「おはようお姉ちゃん」
「おはよう〜ねーちゃん」
「おはよう二人とも」
高一の妹、
眠そうな二人は定位置の椅子に座り、用意された朝食を食べ始める。
エッグトースト、ミネストローネ、コーンサラダである。
「私朝練の手伝いに行くから、いつも通り早めに出るね」
「うん。無理しないでね」
「頑張って!」
「ありがと」
朝食を速やかに終わらせた後は洗濯物を干す。
外に干した時雨が降ったら誰も入れられないので、基本的に室内で干している。
そのための道具や設備がしっかりと用意されている。
「アタシも手伝うよ」
「僕も」
「大丈夫だよ。るーちゃんもさっちゃんも学校の準備してて。私一人で出来るからさ」
そう言われては言う通りにするしかない。
悔しそうな、悲しいような、そんな暗めの表情を浮かべ二人は自室に戻る。
洗濯物を干し終わったらいつもよりも多めの荷物を持って学校へ向かう白愛。
ジャラジャラと鳴って少しうるさかった。
「行ってきまーす」
白愛が全てを一人で行うのはある言葉が頭の中深くに刻み込まれているからだ。
『白愛はお姉ちゃんだからね。二人の面倒、しっかり見れるよね』
『白愛はしっかり者だから。お父さん安心して働けるんだ。頼んだよ』
両親の言葉。白愛はお姉ちゃんだから、二人のために尽くしている。
朝練の手伝いをした後に教室に向かう。
その時に今日の予定も確認しておく。
白愛は運動神経が良く色々な部活の手伝いとして頼られる事が多い。
それだけではなく、勉強も平均以上に出来るし雑務もこなせるために生徒会などの仕事も頼られる事がある。
どの分野でもトップクラスの成績を出せている訳では無いが、並と言う程でも無い。
だから色々と頼られるのだ。
先生からの頼まれ事も引き受けたりすると、教室に着いた時には朝のホームルームが始まる。
隣の席にも関わらず、話すタイミングが分からず昼休みに入った白愛と天音。
白愛は昼のチャイムと共にカバンを高速で開け、弁当箱を二つ取り出す。
その内一つを持って立ち上がり、隣の席の机に軽い力で置いた。
イヤホンを装備するタイミングだった天音は不意を突かれビクッと身を震わせる。
「これ、神崎さんの弁当。作って来たから食べて」
「え怖い」
「いつも菓子パンばかりでしょ? 体に悪いからさ」
「怖いな」
どうして普段食べているのを把握しているのか、その点の恐怖がある。
「それと今日の放課後⋯⋯遅くなっちゃって申し訳ないけど、ちゃんと家に行くからね」
「うん怖い」
昨日の一回で家の場所を完全に把握されている。
「あ、食材とか買って向かうから。適当な物食べちゃったダメだよ? 後、惣菜買うの禁止。駅近のスーパーでしょ? 行っちゃダメだよ」
「怖い怖い」
惣菜のゴミを見て購入場所を特定された事実に本当に恐怖を感じる。
「怖いbotになっちゃった」
「そんなに怖い怖い連呼してないよ怖いな」
「⋯⋯」
白愛は友達に呼ばれたのでそちらに向かう。
「白愛いつの間に
「何それ?」
「氷のように冷たいから一部でそう呼ばれてるらしいよ。氷の姫って」
「勝手に異名と言うか二つ名と言うか、付けるのは良くないと思うけどな⋯⋯でも姫か。――妃とか女帝の方が似合いそう」
「あー確かに」
姫は少し可愛らしいが、妃や女帝は高貴なイメージがある。
納得した友達に軽めの笑顔を向けながら、本音をぶつける。
「あんまり仲良くないと思うな」
「え! あんなに喋った上に弁当を手渡してたのに!」
目をガン開きにして驚かれる。
あまりの驚きように気圧される。
「あれは⋯⋯体に悪そうな物を食べ続けているなと思って」
「つまりいつものお節介って訳だ」
「うん。そんなところ」
「気をつけなよ。お節介は時に嫌われる行為だから」
「その点私はこれ以上嫌われる要素は無いと思うからきっと多分大丈夫だね」
「おお。すげー心配」
あの猫に甘々な姿を見た時から亀裂は生まれている。
そう思う白愛だった。
(ま、私は友達になりたいけどね)
まさに氷のような冷たい人だと思っていたが、内面を知った今は前までの印象と180度も違う。
温かみのある、面白い人など感じている。
だから、友達になりたいのだ。
だがもう一つ、あの環境に猫を居させる訳にはいかないと言う使命感もあった。
猫の魅力に魅了されたのは天音だけではなく、白愛もその一人なのかもしれない。
「はぁ。私の家でも猫を飼える余裕があればな」
バッと、鋭い射抜くような眼差しが向けられる。
白愛の背筋に悪寒が走り、その正体を探ろうと振り返れば天音が窓の方を向いた。
「白愛猫飼いたいん? 犬じゃなくて良い? ワンコはええよ〜」
「犬はもっと無理かな。散歩出来る時間が無いから⋯⋯経済的には問題ないんだけどね。部屋干しが基本だから衣服とかが破られちゃいそうで」
「あー確かに。うちの子も色んなところ引っ掻くからな〜」
「そうなんだね。どんな子飼ってるの?」
「それが甘えん坊なにゃんこでな〜」
「犬じゃないんだ」
犬を推していたにも関わらず言葉にされたのは猫だった。
白愛は友達の新たな一面を知りつつ、昼食を楽しんだ。
時間は流れ、日本を照らす太陽は眠りについている。
「うへぇ。足痛い。今日のサッカー部の練習はキツかったなぁ」
人数不足で助っ人として天音が入り、部員同士の練習試合を行った。
ガチで頑張っている人と比べれば技能で劣る白愛は必死に食らいついていた。その結果が足の痛みだ。
そんな白愛でも部員の中でも上手いと言われる地位にはいる。白愛は帰宅部だが。
「本当に来た」
「神崎さん!」
自分の家の前でドアに背を預け立っていた天音。
他人が見れば親に追い出された子供である。
「ごめんね遅くなって」
両手を合わせて頭を軽く下げる。
嫌な雰囲気を一切出さず、天音はドアを開ける。
「別に。それと病院に行ったけど問題無いって」
「ほんと! 良かったぁ」
家の中に入り、掃除を終える。
「あとコレ」
「なにこれ」
白愛が天音に渡したのはメモ用紙だ。
「お風呂の沸かし方」
「余計なお世話っ!」
「出来るの?」
「私をなんだと思ってるの? 栓して蓋閉めてボタン押すだけじゃん!」
「つまり掃除が出来ないだけか」
「ナチュラルに人を傷つける天才だね」
「ごめんなさい!」
キッチンを借りる。見事に調理器具の無い棚を確認して乾いた笑いを浮かべる。
ピクピクと引きつっている。
「ま、調理器具持ってるんだけどね」
「学校に包丁持って来てたの? 普通に怖いな。あと危ない」
「ちゃんとカバーはしてるよ? サクッと作れる物しか用意出来なくてごめんね」
「別に。作らなくても良いし」
晩御飯を作りながら白愛は疑問を解消して行く。
無言は気まづいのだ。
「下着とかどうしてるの? ちゃんと洗濯してる?」
「良いよねここは。お惣菜が豊富に売ってるスーパ。ーに安めの銭湯、しかも洗濯も乾燥も可能なコインランドリーが全部徒歩圏内。最高だよね」
「なるほど。文字通りお金で解決している訳ね。せっかく洗濯機あるから私がやろうか?」
「どこに干すのさ。ベランダに干して雨が降ったらどうするの?」
「そうだね。猫ちゃんもいるし⋯⋯」
そう言えばまだ猫の名前を決めていなかったな、とぼんやり考える。
天音が付けたら教えてくれるだろうと思い、この思考は捨てる。
「今まで通りコインランドリーの常連になる。一週間分を一気に洗うタイプだからね」
「一人暮らしだもんね」
白愛の家では人数が多いため、洗濯機は毎日動かしている。
これに関しては個人差があるだろう。
「日曜日なら部活とかも無いし、天気が良ければベランダに干せるんじゃない?」
「私がすると思う? ハンガーも無いのに?」
「⋯⋯そうだね」
何を自慢する事があるのか、天音は満足そうなドヤ顔を浮かべていた。
白愛はありえないものを見る虚無の目を向けた。
晩御飯を机の上に並べて、天音に与える。
「明日の朝食も用意しておいたから冷蔵庫に入れておくね。レンジで温めて食べて」
惣菜を温める機能は備わっている天音なので、レンジを使う力はある。
なんせ同じボタンを使えば自動で温めてくれるからだ。
他にも色んな機能がある見た目をしているが、天音には使い道のない機能である。
「⋯⋯ゴクリ」
喉を揺らす天音。
一人暮らしをしてからは見る事の無かった、皿に盛られた湯気の立ち上る料理。
視覚と聴覚だけで満足出来る程のクオリティが目の前には広がっていた。
「ちょ、朝食まで作るなんてほんとお節介」
長い銀髪をクルクルと回しながら、ツンとした態度をキープした天音。
だが、すぐに机のある違和感について気づいた。
「アナタの分は?」
「私は家に帰ってから妹達と食べるから大丈夫だよ」
「そう」
「少し休んでも良いかな?」
「好きにしたら? この家はアナタが綺麗にしたんだから」
「ありがとう」
猫も何かしらの方法で綺麗にしてくれたのだろう、昨日のような小汚い様子は無かった。
ご飯も昨日よりもモリモリと食べている。体力の回復が終われば元気な様子を見せてくれるだろう。
その様子にほっこりとした気持ちになる。
「私の作った料理はどうかな? お口に合った?」
「別に。フツー」
「あら残念。料理は自信あったんだけどなぁ」
ちょっとしょぼんとする白愛。
「ただ、明日もお願いしたい。ちゃんとお金も払うし、料理道具も用意しておくから」
白愛に顔が見られないようにご飯に集中しながら、ボソリと呟いた。
その言葉を聞いて、裂けそうな程嬉しそうに大きな笑みを浮かべる白愛だった。
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