1月14日PM 武蔵嵐山
「ようこそ
ドクターは御形を伴いながら私たちをソファに座るよう促した。簡易な応接スペースのようである。
「ここは
私はソファに座りながら切り出す。
「そうだよ。
「詩的だな。ドクターは大丈夫か」
「僕は妻の姿が変わり果てても逃げることはないからね。
ドクターは隣に座った御形の手を撫でながら答える。
「そうか。で、彼は」
「この上の階にいるよ。もう会話もできる」
「彼の血統分析を見たが、
ドクターは頷く。
「彼は
御形が横からタブレット端末を差し出す。ドクターの血統は鏡にも映るし、電子機器なども問題なく使える。ドクターは端末を操作し、画像を私に見せてくれる。
「意識を取り戻した彼に僕から重要事項を説明。その後、芹に
「いや。問題ない。いつも済まない」
「後で芹を
「わかった」
ドクターは鷹揚に頷き、話を進める。
「で、意識が戻った芹に聞いたところ、これらが視えたってことで、めでたく未特壱号扱いで報告したのさ」
ドクターが切り替えた画面にはいくつかの言葉。芹の見た
「輝き燃えて回転する車輪。数えきれないほどの眼が瞬く六対の翼。天の中央の白い光。人と獣の顔を持つ球体。渦巻く光の柱と飛び交う羽の生えた者ども」
私は幻視の断片を読み上げながら確信を強めていく。
「君も知っているだろう。どれも
ドクターは私の眼を見る。深紅の瞳が私を見据える。
「彼は既存のいずれの血統特性とも一致せず、かつ、この
『未特壱号』、正しくは未解決特別対応事件壱号。最も古く、最も長い、そして唯一の未解決事件。真祖シェムハザによる
「創られた可能性は」
私はシェムハザからの
「ないね」
ドクターの即答。
「首筋じゃなくて胸に噛み跡があったよ。情熱的だね。逃げた女吸血鬼が真祖の可能性が高い。噛まれて転化したんだから真祖じゃあないだろうね」
「なぜ胸に噛み跡が」
榊が疑問を口にする。一般的に吸血は首の動脈から行われる。
「偽装だろう」
私が答える。
「僕もそう思うよ。誰か…… それこそシェムハザが入れ知恵をした可能性もあるね。現に榊さんも首は見たけどそれ以上は確かめられなかったでしょ」
「はい。お恥ずかしいですが想定していませんでした」
「服を脱がせるほどの潜入は指示していない」
「あらあら。部長はいつもお優しいですね」
御形は皮肉ではなく、本心からくつくつと笑っている。榊の表情は見えない。
「じゃあ、彼に話を聞いてみようか」
御形の先導で部屋を出る。エレベーターを使わず、階段で地下14階へ向かう。
「面倒なのは勘弁してね」
ドクターの声は薄暗い階段の奥に響いていく。
「ここは隔離施設じゃなくて、本当は
ドクターの言う
「安心して眠りにつける寝床を持つ者ばかりじゃあないからね。ホテル業でも始めようかと思ってたのに、こんな面倒事を押し付けられるとは思わなかったよ」
「詳細は私も知らない。
「いや。
ドクターの口調はのんびりとはしているが、言っている内容は厳しい。私も同意見だが、ドクターとは立場が違う。黙って話を聞くに
階段を上がりドアを開けると、真っ白い空間に出た。左右のどちらを見ても、廊下が果て無く伸びており、緩やかにカーブしている。おそらくかなり広い円形だと思われた。
「こちらへ」
御形は迷わず進む。しばらく廊下を進むと、この施設の入口にあったような重厚な扉が見えてくる。ドクターがカードキーを使いドアを開けると、鈍い音を響かせながら左右に鉄扉が開いていく。扉が開くに従い、中から重苦しい冷気がじわりとじわりと廊下に吐き出されてきた。
中は暗く広かった。天井も高い。フロア内にぽつりぽつりと照明が立っており、心細い強さで周囲を照らしている。近代的な廊下と違って、部屋の中はコンクリートや配管がむき出しになっていた。
「すごい……」
榊がぽつりと漏らした。
広大なフロアの中央に真っ黒い箱がある。サイズはプレハブの簡易住宅程度はあるだろう。その四方に朱塗りの鳥居が立っている。
箱の左右には人影があった。向かって左には浅葱色のスーツを着、きっちりとしたショートカットの女性が
「
ドクターの声がフロアに響く。右の女性が微かに頷いたように見えた。その刹那、フロア中央の箱を覆っていた黒。繁縷の黒髪が
私たちは阿蔵に向かって歩いていく。彼は私たちに気づくと、本を机に置いて立ち上がった。そして、深々と礼をする。頭を上げた阿蔵と目が合う。その眼は濁りのない深紅。怯えることなく、恐れてもいない。強がっているわけでもなく、警戒もしていない。素直な顔つきだった。
鳥居の注連縄が解けていき、紙垂がはらりと舞って落ちた。
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