1月14日PM 武蔵嵐山

「ようこそ来名戸社くなとのやしろへ」

 ドクターは御形を伴いながら私たちをソファに座るよう促した。簡易な応接スペースのようである。

「ここは黄泉比良坂よもつひらさかだったのか」

 私はソファに座りながら切り出す。

「そうだよ。伊邪那岐命いざなぎのみことが来るなといって投げた杖からできた禁足地。黄泉に生きる者どもは此処からは出られない。あちら風に言うなら地獄の最下層コキュートスかな」

「詩的だな。ドクターは大丈夫か」

「僕は妻の姿が変わり果てても逃げることはないからね。黄泉戸喫よもつへぐいはとうに済ませた。妻たちとは最後まで一緒だよ」

 ドクターは隣に座った御形の手を撫でながら答える。

「そうか。で、彼は」

「この上の階にいるよ。もう会話もできる」

「彼の血統分析を見たが、せりに潜らせたのか」

 ドクターは頷く。

「彼は新生者ニューボーンだから、機器で、ある程度調べられるかと思ったんだけど、全然だめだね。なにも映らない。転化してひと月ふた月なのに、もう光学機器じゃ捉えられない状態になってる。夜の住人としては実に有望だね」

 御形が横からタブレット端末を差し出す。ドクターの血統は鏡にも映るし、電子機器なども問題なく使える。ドクターは端末を操作し、画像を私に見せてくれる。

「意識を取り戻した彼に僕から重要事項を説明。その後、芹に精神潜航ダイブしてもらったんだけど、潜った後に芹が一週間以上意識を失ってしまってね。報告が遅くなったことはお詫びするよ」

「いや。問題ない。いつも済まない」

「後で芹をねぎらってあげて」

「わかった」

 ドクターは鷹揚に頷き、話を進める。

「で、意識が戻った芹に聞いたところ、これらがってことで、めでたく未特壱号扱いで報告したのさ」

 ドクターが切り替えた画面にはいくつかの言葉。芹の見た幻視ヴィジョン。阿蔵の血統の根源。イドの地平。

「輝き燃えて回転する車輪。数えきれないほどの眼が瞬く六対の翼。天の中央の白い光。人と獣の顔を持つ球体。渦巻く光の柱と飛び交う羽の生えた者ども」

 私は幻視の断片を読み上げながら確信を強めていく。

「君も知っているだろう。どれも見張る者エグリゴリ達の特徴だよ」

 ドクターは私の眼を見る。深紅の瞳が私を見据える。

「彼は既存のいずれの血統特性とも一致せず、かつ、この精神潜航ダイブ結果。総合すると、彼はシェムハザの血統に連なる闇の子ゲットと考えられる」


 『未特壱号』、正しくは未解決特別対応事件壱号。最も古く、最も長い、そして唯一の未解決事件。真祖シェムハザによる能力ギフト授与およびその血統に連なる者どもによる一連の事件。


可能性は」

 私はシェムハザからの能力ギフト授与により、阿蔵が真祖化した可能性を問う。

「ないね」

 ドクターの即答。

「首筋じゃなくて胸に噛み跡があったよ。情熱的だね。逃げた女吸血鬼が真祖の可能性が高い。噛まれて転化したんだから真祖じゃあないだろうね」

「なぜ胸に噛み跡が」

 榊が疑問を口にする。一般的に吸血は首の動脈から行われる。

「偽装だろう」

 私が答える。

「僕もそう思うよ。誰か…… それこそシェムハザが入れ知恵をした可能性もあるね。現に榊さんも首は見たけどそれ以上は確かめられなかったでしょ」

「はい。お恥ずかしいですが想定していませんでした」

「服を脱がせるほどの潜入は指示していない」

「あらあら。部長はいつもお優しいですね」

 御形は皮肉ではなく、本心からくつくつと笑っている。榊の表情は見えない。


「じゃあ、彼に話を聞いてみようか」

 御形の先導で部屋を出る。エレベーターを使わず、階段で地下14階へ向かう。

「面倒なのは勘弁してね」

 ドクターの声は薄暗い階段の奥に響いていく。

「ここは隔離施設じゃなくて、本当は霊安室モーチュアリーにするつもりだったんだよ」

 ドクターの言う霊安室モーチュアリーとは、吸血鬼の寝床を指している。転化したての新生者ニューボーンは人間の生活習慣が抜けないため、毎日起きて毎日眠る生活を繰り返す。しかし、吸血鬼としての生活に慣れてくると、血を飲んで好きなだけ行動し、気が向いたら数日から数か月、長ければ数十年の眠りにつく。その際に安心して眠れる場所の確保と維持は、多くの吸血鬼にとって悩みの一つとなっている。

「安心して眠りにつける寝床を持つ者ばかりじゃあないからね。ホテル業でも始めようかと思ってたのに、こんな面倒事を押し付けられるとは思わなかったよ」

「詳細は私も知らない。本部バチカンか」

「いや。老人オールドワンから直接。血族の尊厳を守るなんて口では格好いいことを言ってるけど、厄介者は無期限で監獄に放り込むことで問題の先送りと責任放棄しているだけだからね。速佐須良比売はやさすらひめが、罪だの咎だのを持ちさすらいうしなひてむってわけにはいかないってことがわかってないんだろう。頭の中はもう灰が詰まってるのかもね」

 ドクターの口調はのんびりとはしているが、言っている内容は厳しい。私も同意見だが、ドクターとは立場が違う。黙って話を聞くにとどめた。


 階段を上がりドアを開けると、真っ白い空間に出た。左右のどちらを見ても、廊下が果て無く伸びており、緩やかにカーブしている。おそらくかなり広い円形だと思われた。

 「こちらへ」

 御形は迷わず進む。しばらく廊下を進むと、この施設の入口にあったような重厚な扉が見えてくる。ドクターがカードキーを使いドアを開けると、鈍い音を響かせながら左右に鉄扉が開いていく。扉が開くに従い、中から重苦しい冷気がじわりとじわりと廊下に吐き出されてきた。


 中は暗く広かった。天井も高い。フロア内にぽつりぽつりと照明が立っており、心細い強さで周囲を照らしている。近代的な廊下と違って、部屋の中はコンクリートや配管がむき出しになっていた。

 「すごい……」

 榊がぽつりと漏らした。


 広大なフロアの中央に真っ黒い箱がある。サイズはプレハブの簡易住宅程度はあるだろう。その四方に朱塗りの鳥居が立っている。紙垂しでは純白だが、注連縄しめなわは漆黒で、周囲の灯りを反射し、てらてらと鈍い光を放っている。


 箱の左右には人影があった。向かって左には浅葱色のスーツを着、きっちりとしたショートカットの女性が緋毛氈ひもうせんの敷かれた台に腰掛けている。向かって右には艶のある黒髪で身体のほとんどが覆いつくされている女性。黒髪の隙間から垣間見られるのは白の着物に白の袴。こちらは床に直に正座している。


繁縷はこべ。ありがとう。もうほどいてあげて」

 ドクターの声がフロアに響く。右の女性が微かに頷いたように見えた。その刹那、フロア中央の箱を覆っていた黒。繁縷の黒髪がほどけてゆくと、四方全面がガラス張りになっている部屋が姿を現してきた。中央に人影。阿蔵だ。椅子に座って本を読んでいる。


 私たちは阿蔵に向かって歩いていく。彼は私たちに気づくと、本を机に置いて立ち上がった。そして、深々と礼をする。頭を上げた阿蔵と目が合う。その眼は濁りのない深紅。怯えることなく、恐れてもいない。強がっているわけでもなく、警戒もしていない。素直な顔つきだった。


 鳥居の注連縄が解けていき、紙垂がはらりと舞って落ちた。

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