1月14日AM 武蔵嵐山
私は、榊の運転する車の助手席に身を預けている。
私たちは埼玉県比企郡嵐山町にある
ドクターによる検査の結果、阿蔵、そして逃げた女吸血鬼の関連した事件は全て「未特壱号」扱いとなったことが、
日本本部では、昨晩すぐに今後の活動方針が検討された。天粕は御手洗、要の両名を各々班長としてチームを再編。引き続き阿蔵の周辺調査を行う。侑子と香椎は通常業務を担当することとし、私と榊は阿蔵に対する直接調査の担当となった。
車中にはドライブにふさわしくアップテンポの現代的なジャズロックが流れている。榊の好みだ。疾走するピアノを堅持なドラムと奔放だが包容力のあるベースが支えている。
サングラスをかけ無言で運転している榊は一見無表情に見えるが、機嫌が良いのが私にはわかる。
榊が鼻歌まじりに用意していた今朝の朝食は手製のブレックファストソーセージにバターミルクビスケット、卵2個のスクランブルエッグ。ベビーリーフのサラダに自分でブレンドしたコーヒー。
私は常の通りコーヒーだけを楽しみ、食事をする榊を眺めていた。榊は幼い頃からよく食べる子であった。榊が嬉しそうに食事をしている様を見るのは、私にとって小さいが重要な喜びだ。
車は東松山インターチェンジから国道254号を西へ向かう。嵐山渓谷を抜け、山間部に向かって進むと、紅葉山病院の建物が見えてくる。私が来院するのは久しぶりだが、榊は定期的に検診に通っている為、手慣れた道中である。
齢800年を超える
極めてセンシティブな為、気安く口外されることはないが、彼の生まれた立場、環境が人となりを形作っているのは間違いないと私は思っている。ノブレス・オブリージュ。太洋を挟んでも同じような考えが自然と体現されているのは興味深い。
そのドクターの居城である紅葉山病院は世界最先端の吸血鬼関連医療施設である。
基本的に吸血鬼は定期的に血を飲んでいればほぼ無限に生きられる。と考えられている。現に
だが、その一方で、およそ200年を超えたあたりから精神や肉体が壊れる吸血鬼も少なくない。長く終わりの無い二度目の生に対し、主に精神のほうが先に崩れていく。長期の眠りを挟んだとしても、いつかはその壁に向き合うことになる。誰もが
以前ドクターが言っていたが、何か打ち込めるものがある連中のほうが元気に長生きするそうだ。血族以外の知り合いは確実に老い、自分よりも先に死んでいく。血族である以上、必ず向き合うことになる虚無に対し、どのように折り合いをつけるか。折り合いをつけられない者の心は死に、灰になって消える。
しかしながら、肉体が崩壊する分には本人が灰になるだけで他人に迷惑をかけるものではない。問題は精神錯乱した吸血鬼である。こちらは
日本においては、早期にドクターの呼びかけによって定期的な
駐車場から病院の玄関に向かうと、こちらを待っている者がいた。
艶のある黒髪が風に揺れている。モスグリーンのハイネックセーターに落ち着いたブラウンのタイトスカート、その上から長めのドクターコートを着た女性が声をかけてくる。
「お待ちしておりました」
「こんにちは。
榊はぺこりと頭を下げた。
「遠くまでお疲れ様ね。禮子ちゃん」
優し気な笑顔。切れ長の眼。ドクターの妻たちの一人。
「彼は素直に従ってはくれているのですが、さすがに一般病棟というわけにもまいりませんので」
「拘束はしていないのか」
私の問いに御形は頭を振る。
「はい。当然です。ドクターはそのようなことを好みません。部屋は
「そうか」
私が納得すると、榊が御形に話しかけ、しばらく会話が続いた。検診のたびに顔を合わせているので、ドクターの妻たちとの仲は良いらしい。私は榊の人間関係を詮索する気はないため、詳しくは知らない。
今はどうも服装などについて話をしているようだ。私は相も変わらず黒ずくめのスーツだが、榊はタイトなジーンズに大きめの白のセーターを着ている。仕事以外の服装を見ることは以前に比べると随分と減った。
一見、壁と見間違うところが建物の玄関のようだ。御形はカードキーを取り出し、壁のパネルにタッチした後、パネルの蓋を開けて暗証番号をボタンで入力した。微かな電子音の後、堅牢な鉄扉が左右に開いていく。病院の施設というよりも、軍事施設のような雰囲気だ。
建物に入ると、表のドアがすぐに閉じ、小部屋に明かりがついた。背後を除き三方が壁である。御形は正面の壁にカードキーをタッチさせると、改めて目の前の壁が左右に割れていく。こちらもドアだったようだ。
入りにくいのは当然として、中からも出にくい構造となっている。そういう目的の施設なのだろう。御形は私の様子を見ると、詫びの言葉を口にする。
「ここから先もご面倒をおかけしますがご容赦ください」
榊も初めて入ったようで、各所を興味深そうに眺めている。
「此処は入ったことがなかったな。ドクターが言っていた例の
「はい。今回の彼のように特別な方だけをお通しする部屋がありますもので。部長や禮子ちゃんにはご縁はありませんね」
御形は笑顔である。BSL(バイオセーフティレベル)は、細菌・ウイルスなどを取り扱う実験施設の分類だ。レベルの数字が大きくなるほど、施設設備や管理体制のレベルが上がっていくことになり、BSL4は最も高い。
エボラウイルスやラッサウイルス、天然痘ウイルスなどの取扱いレベルとなり、表向きは、東京都武蔵村山市にある国立感染症研究所・村山庁舎にあるのみ。理化学研究所の筑波研究所は規格は満たしているが、レベル3での稼働であったと記憶している。
意思を持って自ら動くことを考えると、どんな強いウイルスよりも吸血鬼の方がたちが悪い。
ドアの全くない廊下を進むとすぐにエレベーターがある場所に着く。ここでも御形がカードキーをタッチしてエレベーターを呼んだ。
箱に入る。フロア表示は1階から地下5階までと、数字が飛んで地下10から15階までとなっている。御形は「15」を押した。自然と三人とも無言になった。
地下15階に到着する。エレベーターのドアが開くと、思ったよりも明るい廊下が伸びている。御形はエレベーターからほど近い部屋のドアをノックする。
「どうぞ」
部屋の中からのんびりとした声が聞こえる。
「ドクター。お連れいたしました」
「ありがとう。御形」
机でパソコンに向き合っていたドクターが椅子から立ち上がりこちらに向き直る。深い紺色の細身のパンツに黒のハイネック。御形と同じく白のドクターコート。切れ長の眼に優し気な笑顔。緩くウェーブのかかった髪には、濡れたような艶がある。
眼鏡を机に置くと彼は言った。
「部長、それに榊さん。わざわざご苦労様だね」
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