第5話 筋力百倍③

 


 バキバキっ!


 もう少しで森を抜けられる所で妙な音が微かに耳に入る。


「ん? なんだ? 今の」


 周りを見回しても特に異常はない。


「どうしたんですかぁ?」

「いや、何か遠くて聞こえなかったか?」


 ルビアは耳に手を当てる。


「んー、何も聞こえませんよぉ? 気のせいじゃないですかぁ?」


 ルビアには聞こえなかったらしいが、まるで木々が倒れたような音が聞こえたんだけどな。


「まぁ、気のせいならいいんだけど……………………」


 ドゴォン! バギギギ!


「⁉︎ なんだ⁉︎」


 さっきよりもハッキリと音が聞こえ、少し遠くの方で土煙が見えた。


 「…………げろ…! ……早く………………!」


 更には遠くから人の声も聞こえる。


「お、おい、これやばいんじゃないか⁉︎」

「リクさん、早く身を隠した方がいいですよぉ」


 そう言うルビアはすでに草むらの影に隠れていた。


「早いな! おい!」

「リクさんが遅いんですよぉ」


 俺も急いで草むらに隠れて息を殺す。徐々に人の声が近づいてくる。


「なぁもしかして、さっきの盗賊たちじゃないのか? 俺たちが来た方から聞こえるけど」

「ん-、そうかもしれませんねぇ」

「だったらやばいだろ。殺されるのも奴隷としても売り飛ばされるのも嫌だぞ。ゆっくりこの場を離れよう」


 俺はゆっくりと声が聞こえる方から離れようとする――。


 ドゴッ!


「っ⁉」


 身体を震わせ、鈍い音が聞こえた方を振り返ると。


「は?」


 俺の視界に何か大きくて黒い物体が飛んできた。一瞬、何が飛んで来たのかわからなかったが物体は気に激しくぶつかる。

 ドサッと地面に落ちたのを見るとそこには、人が血まみれで倒れていた。


「ヒュー…………ヒューっ…………」


 俺は頭が混乱してしまう。

 は? 何これ? なんで人が飛んでくるんだよ? ってかこれ死にかけてるんじゃ…………。

 俺から見ても虫の息で死にかけに見える。すると、横でルビアが声をかけてくる。


「リクさんあれ!」

「えっ? な、なんだ? どうしたんだよ?」


 何が起こっているかわからない状況でルビアの方を見る。何をしているか理解できなかったが、ルビアが指を指しているのに気づく。そして視線をそちらに向けると。


「お、おい、あれって」

「オーガの亜種ですね」


 この森で初めてみた屈強なモンスターがそこにいた。遠くから見ているとオーガは盗賊を追い蹴散らしていた。

 盗賊も必死に逃げているが、オーガはその巨体に見合わず俊敏な動きで盗賊を捉える。殴り、掴み、投げ飛ばし、踏みつぶす。

 俺の世界では考えられない光景がそこにあった。体が硬直しうまく動かない。


「リクさん! 逃げますよ! ほら急いでくださいよぉ!」


 いつもは気だるげに話すルビアが真剣な声で呼びかける。それを聞いて本当にやばい状況だと察する。


「最初に見つけた時より殺気立ってますから、息を殺してゆっくり逃げますよ」

「あ、ああ。わかった」

「オーガの亜種は通常種よりも俊敏に動きますから、見つかったら逃げ切れませんよ」


 ルビアが小さな身体で俺の背中を押す。

 そして遠くから盗賊の叫ぶ声が聞こえるが、叩きつけられ、骨が砕ける音が響いた。

 その音に俺は身体を震わせてしまうがその時――。

 パキっ!

 俺は落ちていた小枝を踏んでしまう。そこまで大きな音ではないはずだが、周囲の空気が張り詰め不意に周りが静まり返る。

 振り返りオーガの方に顔を向けるが、木々の先にいるオーガは背を向けていた。そして、手には低くうなり声をあげる盗賊を掴んでいた。


「よ、よかった、聞こえたわけじゃ………………」


 ほっと胸を撫でおろした刹那。オーガは盗賊を握りつぶし、俺たちがいる方に顔を向ける。その時不意に目が合ってしまった。


「リクさん! 走ってください!!」

「っ!!」


 俺はルビアの声に従い持っていた薬草のかごをその場に投げ捨て、立ち上がり全力でその場を走り去る。

 背後からグシャッっという音が聞こえた。おそらく握り潰した盗賊をなげ飛ばしたのだろう。そして――。


「ガアアアァァァァァァァァァ!!!」


 肌が震え、足がすくみそうになる雄たけびをあげた。

 バギッ! バギギギ!

 木々をなぎ倒し俺を追いかけてくる音が聞こえる。俺はこの時初めて、命の危機を強く感じた。平和な日本では感じることのできない恐怖を。


 


「はぁ……はぁ、はぁ…………!」


 俺は必死に足を動かす。

 背後から木々が裂けるような音が先ほどより近く聞こえる。それでも俺は足を動かすことをやめない。

 森の木々の間や茂みを走っている内に、少し開けた場所に出てしまう。その時俺は後悔する。

 しまった! 木々がないからオーガの足止めが…………!

 不意に俺は背後を振り返ってしまう。そこには――。


「グルァァ!!」


 目の間前に鬼の形相を浮かべるオーガが迫っていた。


「!! っ!」


 オーガは右腕を左から右へと振り払う。俺はそれを避けようと右前方に大きく飛び込むが、オーガの指が左わき腹に触れ体勢を崩してしまい、その場で転げ倒れ伏してしまう。


「がっ!!」

「ガァァ! フ―っ……フー………………!」


 オーガは粗い息遣いで俺を見下ろす。俺もすぐに立ち上がり逃げようとするが。


「ぐっ! い、いてぇ…………」


 少し動くとわき腹が痛み、涙が出てくる。折れるまではいっていないかもしれないが、骨にひびは入っていそうだ。


「フーっ…………」


 オーガは息を整え、血まみれの拳を固く握りしめる。


「リクさん! 何してるんですか⁉ 早く立ち上がってください!! 殺されますよ⁉」


 ルビアの切羽詰まった声が聞こえ、本当にやばい状況だと再認識してしまう。

 オーガはゆっくり俺に近づいてくる。その姿を見て、死を感じた俺の頭に浮かんだのは――――家族の顔だった。


「ぐっ!………………うぅ…………!」


 不意に涙が溢れてくる。異世界に来る前は死んだと聞いても実感がなかったのに、死ぬという恐怖を感じて思い浮かべた家族の顔に涙が止まらない。寡黙だがいつも家族を気に掛ける父、いつも温かい飯を作ってくれる母、クソ生意気でお小遣いをよくせびりにくる妹。


「リクさん! 泣いてる場合じゃないですよ! 早く立ち上がってください!」

「ぐずっ……くっ…………!」


 俺の頭はとっくに逃げられないと言っているのに、身体は生きようと必死に動いていた。そして、近づいてきたオーガが拳を振り下ろす。


 その拳を間一髪で避ける。オーガの振り下ろした拳は地面に小さな穴を穿つ。その衝撃で1メートル程吹き飛ばされる。


「……はぁ……はあ……クソぉ…………」


 何とか上体を起こす。

 わかっている。頭では逃げられないと。だが、俺はまだ生きたい! まだこんな所で死にたくない!!

 俺は溢れる涙を拭い、オーガを見据える。オーガも地面から拳を引き抜き、俺の顔を見据える。

 その鬼のような形相に恐怖を感じるが、それでも俺は生きたいと心を、身体を奮い立たせる。


「……俺は…………生きたい! ……こんなところで死んでたまるかよ!」


 立ち上がるために全身に力を込める。その時――。


「っ⁉ なんだ?」


 身体全身に熱を帯びた感覚を感じた。近くにあった小石を握ると豆腐を潰すように簡単に崩れる。


「これは…………もしかして……」


 いや、きっとそうだろう。これがあの筋肉神に貰った【筋力百倍】のスキルだろう。

 全身が燃えるように熱く。筋肉の繊維一本一本に激しい熱を感じる。


「ははっ…………もう少し早く発動してくれればな…………こんなボロボロになることも……」


 だが、これで希望が見えた。誰かを殴ったことなんてないが、今はこれに賭けるしかない。


「グルアァァァァァァっ!!」


 俺の異変に気付いたのかオーガは俊敏さで俺の目の前まで近づき、拳を振りかざす。


「っ!!」


 わき腹が痛み体勢が崩れてしまったが、俺も渾身の力を込めて腕を引く。そしてーー。


「ガァァァ!!」

「おおおおっ!!」


 オーガと俺の拳が衝突する。

 オーガの拳はでかく硬い。だが俺の拳はオーガの拳にめり込み腕ごとへし折る。


「グアぁぁ⁉」


 それでも、俺は腕をまだ振り切っていない。その拳はオーガの胸部を捉える。皮膚に触れ、筋肉にめり込み、骨を砕く感覚が拳から伝わる。

 腕を振りぬきオーガをゴムにはじかれたように吹き飛ぶ。そして、木々に衝突しなぎ倒され、拳の衝撃波で木が倒れる。


「ぐっ! はぁ……はぁ……はぁ………………!」


 俺はオーガに視線を向ける。


「グルアアアアアアァァァァァァ!!………………ゴブっ!!」


 オーガの胸部は抉れ大穴が開いていた大量の血を口から吐き。最後に雄たけび…………いや、断末魔を叫び動かなくなる。周りは信じられないくらい静かになり、遠くから小さく鳥の鳴き声まで聞こえる。そして――。


「いっでえぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」


 俺の悲鳴が響き渡る。





 

「いやぁ、やりましたねリクさん。何とか切り抜けましたよぉ」


 ルビアがいつものように気だるそうに話しかけてくるが。


「いや! それどころじゃねぇわ! 見ろよ! この腕!」


 俺がオーガを殴り飛ばした腕を見せると。


「あぁ、なんか変な風に折れてますねぇ」

「折れてますねぇ、じゃない! どうなってんだ⁉ これ⁉ 【筋力百倍】になってるのになんで折れるんだよ⁉」


 俺の言葉にルビアはやれやれという表情を浮かべる。


「それはぁ、筋力が百倍になりますけどぉ。骨の強度も百倍になる訳じゃないので仕方ないですよぉ」

「⁉ ふざけんな! それ使うたびに腕折れるってことか⁉」

「いやいや、今回はリクさん体勢を崩して腕だけで殴ってましたよね? ちゃんと腰を入れて殴ってたら全身の骨はもちろん、内臓も破裂してたかもですねぇ」

「怖っ! なんだよ内臓までって! …………………ちょっと待てよ? もし鍛えた分の筋力を百倍したら…………」

「全身が破裂するんじゃないですかぁ? アハハ」

「ハズレスキルじゃねぇか!! 何処の世界に敵殴って自分が破裂する奴がいるんだよ!!」


 ちくしょう!! せっかくスキル使えたのにほぼ使えねぇじゃねぇか!! どうせ破裂するならあの筋肉神をぶん殴ってやりたいわ!!


「くそ、いてぇ。早く医者に行きたい」


 俺は腕を抑え、町に戻ろうとするが――。


「リクさん、治療を受けるお金持ってるんです?」

「…………」


 そうだったわ。お金稼ぐためにこの森に来たんだったわ。


「よ、よし、とりあえず。さっき投げ捨てた薬草を取りに行くぞ。それで治療を…………」

「全然足りませんよぉ? 今回の報酬じゃぁ」

「………………因みに保険とかは?」

「ある訳ないじゃないですかぁ」


 ちっくしょぉぉぉぉ!! なんでだよ⁉ 税金はあるのになんで保険はないんだよ異世界⁉


 俺はルビアの方を向き。


「頼む! せめて治療費を貸してくれ!」


 ルビアにお金を貸してほしいとお願いするが、嫌そうな表情を浮かべ。


「えー、嫌ですよぉ。気合で直してくださいよぉ」

「頼むよ! 痛すぎて今にも泣きそうなくらいなんだよ!」

「ウケる~」


 マジではたき落としてやろうか!! こいつ!


「はぁ~、しょうがないですねぇ。今回だけですからねぇ?」

「お? 本当か⁉ ありがとうルビア」


 この世界に来て初めてルビアに感謝の言葉を送ると、俺の目の前で腕を組み。


「ただし、条件があります」

「え? 条件? な、なんだよ?」

「治療費も払えない私にお金を恵んでください、ルビア様。って言ったら貸してあげますよ?」


 この野郎!! 調子に乗りやがって!!


「ほらほらぁ、どうしたんですかぁ? 早く言わないとお金貸しませんよぉ?」


 ルビアはにやけながら、俺の折れた右腕をつつく。そのたびに激痛が走る。


「おい! やめろ。本当に痛いんだぞ!」

「ん~? やめろ? やめてください…………だろぉ?」


 さっきの感謝の言葉返せ!! むかつくな!


「ほらほらぁ」


 ルビアは耳に手を当て、にやけた表情で挑発してくる。だが、治療費が必要なのは確かだ。だから――。


「ぐっ……治療費も払えない……私にお金を恵んでください、ルビア…………様」

「しょうがないですねぇ。全く」


 ルビアは満足したのか笑顔を浮かべながら飛んでいく。

 とりあえず、筋肉神の前にこの精霊に【筋力百倍】のスキルを叩きこみたい!!





 

 その後、薬草の入ったかごを回収し報酬を受け取った後にルビアに借りたお金で治療を受けた。


「お大事に」

「ありがとうございます」


 俺は治療を受け建物の外に出る。俺の腕は木の棒で固定され、包帯でぐるぐる巻きにされている。


「はぁ…………」


 俺は溜息を吐き空を見上げると綺麗な星空が目に入る。町に戻って来た時にはもう夜だったから今は深夜だろうか。そんなことを考えていると背後から。


「えーと、治療費が50000ルピスで今回の依頼の報酬が2700ルピスなので…………まぁ、食費くらいは残してあげますかぁ。じゃあリクさん残りの48300ルピス頑張って返してくださいね」

「わかってるよ!」

「はい、じゃあこれ。食費の1000ルピスです。私は疲れたので宿屋に戻りますねぇ」

「…………ルビア確か食事付きの宿屋が2000ルピスだったよな?」

「? はいそうですよぉ?」

「あと、1000ルピス貸してくれないか?」

「じゃあ、リクさんまた明日」


 そう言うとルビアはふわふわと宿屋の方に飛んでいく。


「ちょっと待て!! 俺重症なんだけど⁉ この状態で野宿すんの⁉ あと1000ルピスくらい恵んでくれてもよくないか⁉ ちょ、待って! ルビア様!!」


 俺の声を無視して夜の闇に消えるルビア。俺は食費にと渡されたお金を握りしめる。

 ちくしょう!! 異世界に来てまだ二日しか経ってないのになんなんだよ⁉ 日本に帰りたい!!

 俺は星空を眺め――。

 

 もし、異世界でチート無双が出来るとか自由な生活が送れるとか甘い考えを持った転生者に会ったら俺は【異世界なめんな!】って言ってやる。と心の中で誓う。

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