十六日 #にわか雨

 トウマが旅立つ日も、空は暗かった。分厚い雲が日に日に黒さを増すようにも見えてくる。

 家の前で見送る時になって、兄の背が延びたなとヤヨイは改めて思った。

 白の手甲てこう脚半きゃはん、柳の鈴懸すずかけ赤丹あかに梵天ぼんてんがついた結袈裟ゆいけさをきっちりと着こんだ修験者姿は、トウマによく似合っていた。地味な色ばかりの木綿の着物と違って見栄えもいい。

 舞装束と同じ色合いなのに、身につける者で見違える。この出で立ちなら、天狗でも退治してしまいそうな剛健さを兼ね揃えていたが、中身まで変えたわけではなかった。

 晴れてようが曇りだろうがトウマの小言は健在だ。


「いいか、ヤヨイ。絶対に稽古をさぼるなよ。山で遊び呆けずに、父上と母上の言うことをしっかりと聞くんだ。の糸を切らしたりしたら、承知しないからな。それから」

「トウマ、厳しすぎやしないかい」


 父が間に入ったのは、拳を握る娘を落ち着かせるためだ。母は殴りかからないよう、いななく肩に両手を置く。

 トウマはまだ言い募ろうとした口を閉じて、ぴしゃりと言い放つ。


「父上と母上は甘すぎます」


 息子の指摘に、父と母は顔を見合わせた。甘いかもしれないという結論にいたり、生真面目で厳しい息子に苦笑する。


「一丁前に言えようになって。そう、背伸びせずに困った時には素直に頼りなさい」

「あなたのことだから、心配はしていないのだけど、念には念をいれて気を付けなさいね」


 父は息子の肩を叩き、母は大きくなった手を両手で包む。

 しばらくして、ため息と一緒に仏頂面を引っ込めたトウマは、はい、と安心させるように笑った。声音を少しだけ和らげて、口をへの字にしたままのヤヨイに声をかける。


「十日ぐらいで帰ってくる。何かほしいものはあるか?」

「海の近くに行く?」

「行くかと訊かれれば行く」


 晴れ間のように顔を輝かせたヤヨイは、トウマに詰め寄った。


「海がほしい!」

「海? どうやって?」

瓢箪ひょうたんでも竹筒たけづつでもいいから、持って帰って!」


 どうして、またと不可解な顔をするトウマに対して、ヤヨイはもう土産を手にしたように、はしゃぐ。


「海ってしょっぱいんでしょう? ずっと前から確かめて見たかったの」

「わかった。できたらな」


 そんなものでいいのかと言いたげな顔でトウマは頷いた。できうる限りのことをしてくれると知っているヤヨイは大いに期待する。

 血色のよくなった頬を冷やすように、空から滴が落ちてきた。

 雨だ、という呟きにつられ、一同で空を見上げる。


「本降りにならないといいのだけど」

「少しぐらい降らないと、山がかわいそうよ」


 母と娘の会話に目元をゆるめた父は、息子の背を叩く。


「無事な帰りを待ってるからな」


 ひとつ頷いたトウマは、雨の振りだした里を駆け出す。

 願いが届いたのか、雨は叩きつけるものに変わり、山を濡らし大地を潤した。



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