あこがれ それは

クライングフリーマン

あこがれ それは

 あこがれ それは


 それは、中学の学芸会だった。

 私は、知らなかった。彼女が演劇部にいたことを。

 何かの都合で、途中から観たのだと思う。

 彼女と相手役の男子が、離ればなれになる前の時間を過ごし、手を繋ぎ、途中から手を離して、違う方向に去って行く。

 何とも悲しい話だったが、題名も知らないままだ。

 スタンディングオーベーションまで行かないが、拍手はなかなか鳴り止まなかった。

 高校に進学。

 私は、同窓生に誘われて、英語部に入った。

 既に先輩に誘われてコーラス部に入っていたのに。

 コーラス部は、中学の時、剣道部の後輩に誘われ、お昼休みの活動のクラブだった。

 学芸会の時、「筑波山麓男声合唱団」を歌う為のグループが編成された。

 皆勤で、指導する音楽教師のお気に入りと「錯覚」していたのに、私はメンバーに選ばれ無かった。

 この歌は、「4人編成」のコーラスだったのに、5人でグループが組まれた。

 後に、教師に尋ねたが、明確な答は得られなかった。

 それもそのはずだ。5人目は、後から追加されたのだ。所謂「」町の有力者」だった人の息子だったから。

 私は、自宅で忍び泣いた。

 そんな経緯があって、中学の先輩に誘われて入ったコーラス部の男子は、たった3人。

 3年生1人、2年生1人、1年生は私1人。

 3年生はすぐ来なくなり、2年生は、たまにしか来なかった。受験勉強が忙しくて。

 私は、仕方無くアルトのパートの女子の最後尾に並び、練習に参加した。

 私が「当て」にされたのは、部室の移動の時だけだった。

 それで、腐っていたから、英語部にも入り、英語劇の応援に入った。

「白雪姫と5人のこびと達」・・・人数あわせだけだった。

 文化祭。今度は、同級生が演出をした「クリスマスキャロル」。

 私の役は、クリスマスフェアリー。女性の役なのに、オカマの役に仕立てられてしまった。

 私は、スカートや靴を借りまくり、メイクもされて臨んだが。案の定、ブーイング。

 今から思えば演出は、思いつきでしかなく、長かった。

 そして、悲劇は「舞台の上」でないところで起こった。

 メイクを落して、1演目置いた後のコーラス部の発表の場に駆けつけると、副部長(部長)に帰れと命じられた。

「練習だけだと思っていたのに。声が濁るから。」と、言われて。

 泣きながら、楽屋を通って、外に出た。

 フェンスを越えて、トラックに轢かれようかと思った。

 間もなく、コーラス部は退部した。

 後から思えば、私は舞台の後方で、客席からは見えない。「口パク」を命じれば、それで済んだのだ。

「練習の為」だけの部員。他に辞める理由があるだろうか。

 半年位経ったろうか。私を中学の先輩後輩のよしみで誘った先輩が、また誘いに来た。

 部長は受験勉強引退の為、次の部長に交替していた。

 私は面白く無かった。復帰してから、顧問の先生の配慮で2度、発表会の指揮者に任命された。

 タクトの振り方は中学の時に教わっているものの、私のポジションは「指揮者役」だった。面白く無かった。

 美術部に所属する同級生の誘いで、人形劇に参加し、部長の知り合いの教会や施設での発表会の裏方をした。

 私自身のオープンリールテープレコーダーで音響係をやったのだ。

 夏休みに、気まぐれに描いた抽象画を展覧会に出品して貰っていたから、喜んで参加した。

 高校3年になった。

 私は、部活を4つ掛け持ちした。放課後の教室掃除をした後である。

 演技貴部に入り、「疲れた」と言って、同窓生の部長は私に部長を任せた。

 予算会議も出たし、発表会にも「殿様役」で参加した。確か童話である。

 その時に知り合った文芸部の部長に「廃部記念出版」の投稿を依頼され、投稿をした。

 それが、「答辞委員」の草稿を押しつけられる原因になった。

 エッセイである。内容をざっくり言うと、「真面目に授業を受けない生徒達への告発」である。

 高校の卒業式。今時の言葉で言う「オパ〇」のため、答辞は台無しにされた。

 大学に進んだ。

 誰もいない校舎の屋上で寝転んで、演劇部がないので、がっかりしていた。

 しかし、数日後。「新入生入部勧誘会」があり、演劇同好会の存在を知り、その場で入部を申し出た。

 このことが、執拗な応援団の勧誘から、後に団長になる同級生に庇って貰うきっかけになった。彼曰く、「堂々としていたのが気に入った。」

 1年間、演劇同好会に所属して、「言語祭」という文化祭に「日本語代表」として、演劇同好会も参加することになった。(詰まり、英語部は英語劇)

 だが、副部長は、演出に拘り、台詞の少ない私が舞台監督を兼ねることになった。

 借りるホールとの打ち合せ等にも、他の部の部員と共に参加したが、スタッフを兼ねているのは、演劇同好会だけだった。

 副部長と意見が合わず、私は翻訳同好会に入った。

 ここでも、辛酸を舐めることになる。演劇に詳しいから、と戯曲班班長を命じられ、文化祭に出品したが、中途半端なまま出品せざるを得なくなった。

 班員が、ろくに勉強研究をせず、「小説的文章」に拘ったからだ。

「戯曲」は「ト書き」に代表されるように、独特の表現方法があるのだ。

 辟易して、やはり1年で退部、観劇して回った。

 そんな或る日、何度か観に行った劇団から誘いがあった。

 卒業してからなら、と一時辞退した。

 また選択を誤った。

 誘ってくれた団員は、入団した時、既にいなかった。

 1年後、「本格的な演劇の勉強」の為、上京し、テア〇ルエ〇ー陽成所に入所。

 将来を嘱望されていたが、ある事件が切っ掛けで「進級」出来なくなった。いや、クビになったのだ。

 その後、数年間大道具のアルバイトを経て帰阪した。

「東京」と「細く長く」続いて、時折観劇に上京していた。

 だが、もう恩師は誰もいない。

「第二回全体同窓会」以来、会えなくなった。

 大道具のアルバイトを紹介してくれた、一番の恩師、いや、「師匠」の死は痛かった。流行病で。奥様と同時に亡くなった。

 私は今、終活をしている。

「物理的な断捨離」と共に「精神的な断捨離」をしている。

 黒歴史は恥ずかしいことではない。昇華すれば、「あこがれ」の時に戻るのだ。

 あこがれ それは


 ―完―






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あこがれ それは クライングフリーマン @dansan01

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