第18話:銭湯でくらいおとなしく寛がせてくれ
宿に戻った俺は寝る前に一度、公衆浴場に体を沈めて精神を落ち着かせることにした。
いくら俺でも、今回のことはさすがに精神的なダメージが大きかったのだ。
愛玩用ゴーレムに夢中なドールフリークという誤解が焼きついたことよりも何よりも、義姉とはいえ、知らない間に、1年以上も前から眠っているときに姉さんにたびたび襲われ、幾度も肌を重ねてしまっていたという事実が、俺を打ちのめしていた。
義姉サフィーネはとても魅力的だ。彼女と肌を重ねたことそれ自体が嫌なわけじゃない。
義理の姉だから、実の姉ではないから、と自分に言い訳することは、まあできる。
だが、ハーフゴーレムに改造されてしまった姉さんを買い戻した日、俺を性犯罪者そのものの顔で押し倒した姉さんにせめて肌を重ねるなら両親に結婚の挨拶をするくらいの筋は通したいと真剣に訴えたことが完全に茶番だった、というのが、どうにもつらい。
俺はとうに、そんな風に善人ぶることができないところにまで落ちていたというのに、それに気づかず、善人ぶろうとしていたのだ。
そもそも、俺が本当に姉さんを大切にしていれば、姉さんがそこまで思い詰めて、寝ている俺を襲うなどという行為に走る前に、何かの予兆に気づいて、止めてやれたのではなかったか。
…いや、このまま考えていても気が滅入るだけだな。
「ふぅ…」
湯船に体を沈め、ため息をつく。
デザインはなんというかローマ的だが、バカでかい湯船に体を沈めるのはやはり心地よい。
転生前によく通っていた銭湯と同じように体を包み込むお湯は、ささくれた心を滑らかにしてくれるような感覚を与えてくれる。
他の利用者もいるのでいささか騒がしい空間ではあるが、まあそれは仕方ない。
ところで、江戸時代の銭湯は混浴だったという話をご存知だろうか。
もちろん、それは性的産業などではない。
男女の公衆浴場を分ける社会的なコストと、裸を異性に見られる個人の羞恥を天秤にかけ、社会的なコストの削減を優先する社会だった時代があるということだ。
そのような社会の一員である者のマナーとして、公衆浴場の利用者は他人の裸をなるべく気にせず、紳士的に、淑女的に入浴を楽しまなければならない。
そして、それはこの世界でもおおむね同じだ。
つまり。
「姉さん、ミラ、ちょっとだけ離れてくれると俺、嬉しいな…なんて…」
今、両側からしなだれかかるようにして俺に体重を預けている姉さんとミラの行為は、マナー的によろしくないのだ。
「「はぁ~い」」
姉さんとミラは不承不承といった様子で俺から離れ、間に人が座るのは不可能な程度の、ごく短い距離を開けて座り直した。
…今のも命令判定なのだろうか。命令文にならないよう気をつけたつもりではあるが…。
仮に命令扱いだったとして、家族や恋人が並んで入浴する程度の適切な距離まで離れる、という最も適切な行動を選び取っていることは、改めて俺にミラの性能を思い知らせる。
元が人間な姉さんはともかく、操霊術師のプログラムで動いているはずのミラがそれを成し遂げるのは、本当に凄いと改めて思う。
酒場から逃げるためにフリーハンドを与えたら公衆の面前で俺はドールフリークだと吹聴してこれからお楽しみだと宣言してしまうくらいの配慮不足は、愛嬌の粋なのかも知れない。
いや、愛嬌では済まないな。
ゴーレムは嘘をつけないはずだ。
俺はミラに今夜相手しろなどと命令していないし、あの言葉は間違いなく、あの場を切り抜けるための方便だ。
だが、それは本来ありえない。
ありえないはずだ。
使用者に嘘をつくような機能を持つゴーレムを使いたがる者はいなため、ゴーレムはそもそも嘘をつけないように作られるはずだが…ミラを作った古の操霊術師、おそらく俺と同郷の変態は、その原則すらも無視したのだろうか。
「ミラ、君はもしかして、嘘をつくことができるのか」
俺が訊ねてみると、ミラは不思議そうに首を傾げた。
「できないはずだけど、どうして?」
ちなみに俺の質問とミラの回答は、論理的にはあまり意味をなしていない。
嘘をつけない存在なら「できない」と正直に答えるし、嘘をつける存在なら「できない」と嘘をつくか、「できる」と正直に答えるかの2択がある。
ミラが嘘をつける存在であり、かつ正直に「できる」と答える場合でない限り、ミラが嘘をつく能力を有しているかどうかを確定できないのだ。
…閑話休題。とりあえず、ミラが嘘をつけない、ということを信じたと仮定して、質問を重ねる。
「酒場から逃げるときの言い訳は、嘘にあたらないのか?」
ミラはもう一度、首をかしげて見せた。
「嘘なんて言ってないよ」
ミラの言葉に、俺は目を見開いた。
あれを嘘ではないと言い切るのは無理がある。
どう考えても、酒場から逃げる方便として、さもこれからしっぽりお楽しみであるかのような嘘を、確かにミラは口にしたはずだ。
「英雄色を好むって言葉は存在するし、オタク君が客観的に見て愛玩用ゴーレムを二体も連れ回すドールフリークなのは間違ってないし、あの状況のオタク君にとっては、宿でぐっすり眠るのは何よりの楽しみでしょ?」
ミラがいたずらっぽく笑って口にしたのは、すげえ詭弁だった。
逆に言えば、そんな詭弁で、嘘に等しい『意図的に誤解を生む表現』ができるくらいにミラは高性能なわけだが…それは、危険なレベルに踏み込んでいるのではないだろうか。
「ね?
…嘘は確かに言っていない。
言っていないが、誤解を誘導するという、ルールの穴を突いた嘘の代替手段を使いこなすというのは、嘘をつくよりも不誠実で、困難だ。
ミラは、そんじょそこらの人間よりずる賢いらしい。
古の操霊術師…おそらく俺と同郷の変態よ、これが、お前の望んだ『オタクに優しいギャル』の姿なのか?
その疑問に答えてくれる存在は、当然いなかった。
考え込む俺の体を誘うように撫でながら、ミラは俺にささやく。
「それに、オタク君が襲ってくれたら、その誤解も、事実になるよ?」
だから公衆浴場は紳士的淑女的に入浴を楽しむ場だと言っとろうがこの淫乱ゴーレム。
古の操霊術師…おそらく俺と同郷の変態よ、一つ言わせてくれ。
お前さんの『オタクに優しいギャル』像はなんかこう…エロ同人方面に偏りすぎだ。
きっと何百年も前にこの世界を去っているであろう、おそらくは異世界の価値観を共有できるはずの男に向けて、俺は祈るように悪態をついた。
「襲ってくれなかったら、お姉ちゃんが寝込みを襲うから」
そして、反対側から姉さんが再度しなだれかかってくる。
姉さんは何故、そうまでして俺を求めてくれるのだろうか。
俺は姉さん…義姉サフィーネの両親に拾われ、急に弟として家族の中に割り込んできた異分子のはずなのに。
俺が何か、姉さんにしてあげられたことがあったとも、思えないのだが…。
いや、この場でそれを考えるのはやめておこう。
周囲の視線もそろそろ険を帯びてきた。
これ以上、姉さんとミラが結構露骨に誘惑してくる姿を人様に見せるのはまずい。
何度も繰り返すが、公衆浴場は紳士的淑女的に入浴を楽しむ場なのだ。
今の俺たちがしていることは、マナー的に全くもってよろしくない。
俺は湯船から立ち上がり、脱衣所に向かった。
…何というわけでもないが、程よい運動をしてから寝るとぐっすり眠れるんだなと、そんな教訓を、俺はこの日得たのだった。
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