◇EP6
聖女としての活動に明け暮れていると、以前よりも時間が速く流れるように感じられた。
わたしは14歳になっていた。
今日も野戦病院で多くの人を治療した。仕事を終えたわたしは与えられた宿の一室で顔を洗った。
洗面台に備わっている鏡にわたしの顔が映る。
「おんなじだ……」
わたしはふと思った事を口に出した。
鏡の中の顔は元の世界のわたしの顔と非常に似通っているように思えた。幼い頃は鏡を見てもその事を特に意識しなかったのだが、今、ある程度成熟した自分の顔を見て初めてその事に気が付いた。
元の世界でわたしが死んだのは16歳。その時の顔に似ている。では、16歳を迎えたのなら、全く同じ顔になるだろうか。元の世界で14歳の時の顔は今と同じだっただろうか。よく覚えていない。
わたしはふと思い立ち、自分の右の二の腕を見た。
そこには二つ並んだほくろがあった。
同じだ。元の世界の身体にも、そこにほくろがあった。
転生しても、身体的特徴は引き継がれる――この事はほぼ確定だ。そうでなければ偶然が過ぎる。
その事に気付いたわたしの元に、一つの考えが浮かぶ。
「それなら、もし唯が転生していたら――唯を見付けられる……?」
言葉の尻が震えた。わたしの身体は高揚に似て、そうではない不思議な感覚に包まれた。
唯がこの世界に転生している。
その可能性は以前に考慮した事が無いわけではない。
わたしが実際に異世界転生をした以上、唯も同様に転生する可能性はあって然るべきだ。
しかし仮に唯も転生をしていたとして、彼女を見付け出す事など不可能に等しいから考えないようにしていた。もし目の前に彼女が現れたとして、その人物を彼女だと識別する方法が無いものと思い込んでいた。この世界の彼女は全く違った顔立ちをしているかもしれないし、黒髪じゃなくて金髪かもしれないし、女じゃなくて男かもしれない――そう思っていた。私が「水無子」ではなく「ミィナ」として生きているように、唯もまた別の人間として生きている筈だ、とも。
ただ、身体的特徴が引き継がれているというのならば、話は別だ。
もし彼女の姿を見たのならば、わたしは唯を唯として認識出来る。そして、唯の側からもわたしをわたしとして認識出来る筈だ。
この世界で、わたしは唯と再び巡り合う事が出来る。
「唯……」
小さく呟く。彼女を求めるように。
分かっている。
仮に身体的特徴が引き継がれていたとしても、再会なんて絶望的だ。ショッピングモールで親とはぐれた時でさえ、再会するのは大変だった。この世界はショッピングモールの何倍の大きさだろうか――。
そうだとしても、また唯に会いたい。会って彼女を思いきり抱き締めたいし、キスをしたい。
わたしは熱くなる感情を冷ませないまま、洗面台から離れた。そして、わたしは大きなベッドに身体を横たえた。
そして、スカートをたくし上げ、ショーツへと手を這わせた。
いけないとは分かっていても、歯止めが効かなかった。ショーツの中に手を入れる。
そして、指先で熱くなっている所に触れた。
「ん……ッ」
声が漏れた。我慢したつもりだったのに、思ったより大きな声になってしまった。大丈夫。この宿の壁はそれほど薄くない。他の部屋に聞こえる事は無い筈だ。
指を動かす。熱が身体全体へと伝播する。
中に指を入れると、より強い刺激を感じた。
「は、ぁ……っ」
こういった行為を教会は禁忌としている。大罪の一つである『色欲』に抵触するからだそうだ。だったら神様への意趣返しになるのではないかとわたしは開き直った。
唯を救ってくれなかった神様。わたしを転生させ、心中の邪魔をした神様。
稀代の聖女であるわたしがこういう事をすれば、そんな神様の鼻っ柱をへし折ってやれるのではないかと思った。
それに、これは悪い事なんかじゃない。
唯を求める事が悪い事だなんて言われたら、たとえ神様が相手でもわたしは反旗を翻す。
「唯……唯……」
わたしは彼女の名前を呼んだ。
――水無子。
そう返ってきたような気がした。唯がまたわたしの名前を呼んでくれたかのような気がした。
そんな事は有り得ない。分かってる。唯はここに居ないのだから、声がする筈が無い。
けれど、その呼び声の亡霊によってわたしの胸はきつく締め付けられる。
唯の事を強く意識する。唯と身体を重ねた時の事が鮮明に思い出される。痛々しいまでに白く細い身体。わたしを感じて乱れる声と表情。わたしを求める熱。
切なくて、わたしは荒く息をしながら指を更に奥に入れた。
唯の事を感じたかった。唯が触れてくれた身体は元の世界で死を迎えた時に無くなってしまって、今のこの身体とは別なのだろうけれど、奥の方に唯の残滓があるような気がした。
感情がぐちゃぐちゃになっていた。
唯を渇望する気持ちと、自らに対する嫌悪が入り混じっていた。
わたしにとって唯は掛け替えの無い存在だ。だから唯が居なければ生きていけない――そう思ってた筈なのに。
わたしは二度目の人生で、唯を欠かしたまま14年も生きてしまった。
わたしは唯の居ない人生を、立ち止まる事無く歩き続けている。多くの人を助けるという使命に身を捧げている。
唯以外に生きる意味を見い出してしまった。
その事が辛かった。罪悪感で胸が張り裂けてしまいそうだった。
わたしの人生に、必ずしも唯という存在が無くてはならないわけではなかったのだ。
でも――そうだとしても。
「すき……唯……大好き……」
わたしが今も尚、唯の事を愛しているというのは間違いの無い事実だ。
「唯……っ!」
強く彼女の名前を呼ぶ。それと同時に、電流が走るような感覚があって、わたしの身体が跳ねた。
絶頂を迎えたわたしの身体から熱が引いてゆく。脱力感がどっと押し寄せた。
ショーツの中から引き抜いたわたしの手は濡れていた。
ふと、冷静になって考える――唯。彼女がこの世界に転生していたとして、わたしを失ったまま生きているだろうか?
唯にとってわたしは彼女の全てだった。だから、唯はあんなにも病的にわたしを求めたのだ。
そんな唯が、わたしを欠いたまま生きる事を良しとするだろうか。
転生した彼女が心中を失敗したという事を受容出来るとは思えない。今度こそ完全に自分の存在を消す為、再び自害を試みるだろう――今度は自分一人であっても。彼女の視点に立ってみれば、わたしも転生している筈だという思考が生じるとは考え辛い。だから、既に死んでいる筈のわたしを追い掛ける。
わたしが知っている唯はそういう人間だ。
となれば、唯は既にこの世には居ないのだ。
「唯ぃ……っ」
濡れたわたしの手。その輪郭が曖昧になってゆく。
わたしが流した涙は頬を伝って、ベッドの上に滴り落ちた。
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